■ 8:楽しかった、幸せだったはずなのにな

密かに好きだった……といっても、周りから見たらバレバレらしいあたしの恋は、ノブからの告白で実を結んだ。

あれから、あの先輩には会ってない。
あたしが朝練を休んだ日。
その日から、先輩は学校へ来なくなったという。

しばらく会ってないという事と、あたしの傍にはノブがいてくれるっていう事で、完全に安心しきっていた。

けれど、そんな考えは甘かったという事を、今更ながらに感じた。


ちゃんと注意を怠っていなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。
最悪の事態は免れることが出来たかもしれない。

テレビやニュースで見たときには、他人事としか思ってなかった。

まさか、あたしがそんな立場に置かれる日がくるなんて


自分の人生で、他人に殺されそうになるなんて、そんな事



──あるはずがないと思っていた。









「ノブ、おっはよ!」

「おお、おはよーさん!沼田、お前今日の宿題やってきたか?」

付き合うことになった日から、あたしとノブは一緒に登校している。
お互いに朝練を終えて、また一緒に教室へ行く。

ここ数日はそんな毎日を送っていた。

……それにしても、あたしには『ノブ』って呼ばせるくせに、ノブはちっともあたしを名前で呼んでくれようとしない。
こっちから言ったこともなかったけれど、ノブはそんなに気にしてないのかな?

そう思い、じぃっと顔を見つめてみた。

「な、なんだよ」

ほんのり頬を染めるノブ。
こいつ、普段は元気が有り余ってる馬鹿猿みたいな感じなのに、結構可愛いところがあるんだよね。

「ノブ、あたしのこと名前で呼んでくれないの?」

「は?!な、名前!?」

すっごいわかりやすい。
こうやってどもる時は、少なからず緊張している時。

「そう、名前。あたしはノブって呼んでるのに……」

「え、ちょ、おい!顔あげろって!」

なんであたしの事は呼んでくれないの、と俯きながら言ってみた。
ちょっと演技っぽいかな、なんて思ったけど、ノブはやっぱり単純で。

「…………」

「おい……おいって。なあ。…………美加子」

無言のあたしをどう思ったのか、最後に小さな声で、呼ばれた名前。
それを聞いた瞬間、あたしの顔はニヤリという効果音が聞こえるような表情に早変わり。
そのまま顔を上げると、ノブは真っ赤な顔をしていた。

「……っ、てめー!もしかして騙したな!?」

「あはははは!ノブ、単純!真っ赤になっちゃって可愛いー!」

「あー、もう!!わかった!そういうこと言うヤツはもう二度と呼んでやらん!」

「え、嘘!嘘ですノブさま!名前で呼んで欲しいです!」

「……そんなに呼んで欲しいかよ?」

「うん、そんなに呼んで欲しい!」

「じゃあ、今日の宿題見せてくれ」

「……どんな交換条件だよ」

名前を呼んで欲しいとお願いするあたしとは逆に、今度はノブが宿題を見せてくれとお願いしてる。
そんな普通のやりとりが楽しすぎて、あたし達は終始笑顔が耐えなかった。

結局、あたしは宿題を見せる事を約束し、ノブはあたしを名前で呼んでくれることを約束し。
取引成立。


HRが終わって、授業が始まる前に、あたしのノートをノブに貸した。
一生懸命必死で写している姿を見ていたら、『ああ、こんな日がいつまでも続けばいいな』と、ささやかな幸せを感じた。
写し終えて、『サンキュー!』なんて言いながらノートを返されて。

その笑顔を見るだけで、あたしも嬉しくなるんだよ。

あたしがこんなこと思ってるなんて、ノブは気づいているんだろうか。
もしこれが逆の立場だったら、ノブもそう思ってくれてるんだろうか。

そんな事を考えてしまうあたり、あたしも一応ちゃんとした女の子なんだなって、自分自身に笑ってしまった。



今日も今日とて幸せな一日が終わり、これから部活の時間となる。

部室棟の前で、一旦ノブと別れ、それぞれの部室へと入って。
今日はHRが少し長引いて、遅れてしまっていたので急いで着替えた。

部室棟から体育館までの距離は短いので、着替えてからはいつも一人で走って行くことにしている。

だけど、この時ばかりはノブと一緒に行くことにしておけばよかったと、後悔した。


部室を出た瞬間、目の前の人物が視界に入って。
あたしの体は硬直してしまった。

「……アンタ、まだいたの……」

「せ、んぱい……!」

それは、最近学校に来ていなかった先輩。
あたしを生意気と言って、突き飛ばした先輩。

だけど、先輩の様子がおかしい。

顔つきも今までと違って、目の焦点も合ってない……ように、見える。


やだ、どうしよう……!!


「ちょっと来なよ」

「ッ!や、やだ……!!」

「うるさい!!つべこべ言わずに来い!!」

「きゃ、」

腕をぐいっと引っ張られて。
抵抗したら、頬を殴られて。

怖くて、声が出ない。



やだ、やだ!!


怖い…………!!




先輩の力は強くて、振りほどこうにも解けなかった。
これ、本当に女の人の力……!?

掴む手の力はどんどん強くなり、痛みに顔が歪む。

ずるずると引っ張られ、校舎裏の、人気のないところまで連れて来られてしまった。
そして、掴んでいた腕をぐいっと押し返され、その反動で体が壁に叩きつけられる。

「ッ……!!」

肩に走った痛みに、思わず蹲った。

「……アンタさあ、清田くんと付き合い始めたらしいじゃん?アタシの忠告、聞かなかったねぇ」

そう言ってクスクス笑っている先輩。
ふと顔を上げて、先輩の方を見ると。


右手に、ナイフ。


「っ!?」

「忠告聞けない子には、おしおきしなきゃいけないよねぇ」


じりじりと、距離が縮まる。



どうして

おかしい、こんなの!

こんなことする人じゃなかった……!


どうしてこんなことになってしまったのかなんて、そんな事を今、考えている余裕なんてないのに。
あたしの頭に浮かぶのは、『どうして』とか『なんで』とか、そんな言葉ばかりで。
冷や汗が、頬を伝った。

「あははははは!!死ね!!言う事聞けないヤツは死ねばいい!!」



狂ってる……!!



先輩の右手が、あたしの頭上に振り上げられた。

あたしの声帯は震えることを忘れてしまったかのように、何も反応することが出来ず。


一瞬、頭に浮かんだのは、ノブの笑顔。




──殺される




直感的に、そう感じた。

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