……殺す、か。
この世界での俺にそんな権利があるとは思えない。 元々、弥生を殺すだなんて微塵も思ってなどいないが。
平和そうに見えるこの世界は、本当に俺達とは別の世界なのだろうか。
あの壁の向こうの果てしない大地には、こんな町が広がっていたりするんじゃないだろうか。
希望のように思い浮かべては、片っ端から消していく。 こんなぬるま湯に浸かっては駄目だ。 元の世界に戻ったときに辛くなる。
溜息を零し、ソファーに身を預けて天井をあおぐ。
きっかけは何だったのか不明だった。
つい先日、エレン・イェーガーとミカサ・アッカーマンが巨人との戦闘中に消えた。 ウォール・ローゼ内に帰還したと同時に目の前に現れた二人。 一体何があったと問い質せば、二人とも異世界に行っていたと言う。
異世界に行った、という例はこの二人だけではなかった。 一ヶ月ほど前にも確か……サシャだったか。 ただの虚言かと思っていたが、こんなに立て続けに同じ例が出てくるのもおかしい。
二人から詳細を聞いてみれば、その世界では一週間ほど過ごしてきたという。 とても平和で、巨人に怯えることなく皆が幸せに暮らせる世界だと。 そんな世界があるのならば、俺だって見てみたいものだ。
この時は、軽く考えていた。 まさか自分が異世界に飛ばされるとは思いもしなかった。
段々と現実味を帯びてきたのは、昨日ナナバまでもが消えたからだ。 そして出現する場所はエレンやミカサと同じくウォール・ローゼ内。 話を聞けばやはり異世界、という単語が出てきた。 ナナバは常に冷静で、真面目なヤツだ。 もちろん信頼も得ている。 そんなヤツの言葉を無碍にするわけにもいかなかった。
……いや、エレンやミカサの言葉を無碍にしていたわけでもないんだがな。
しばらく物思いに耽っていると、玄関の扉が開く音がした。
「ただいま帰りました」 「遅い」 「そんな事言われても……」
理不尽だ、とわめき散らす目の前のオンナ。 俺が異世界に来たときに最初に出遭った人物。
「弥生、さっさとそれを寄越せ」 「うわー……なんて横暴なの……」
ホラ、と手を出せば素直に渡される紙袋。 中を開けると予想通り服が入っている。
「ほう……これがこっちの世界の服か。そこまで変わらんな」 「基本的にはこんな感じです。とりあえず着替えます?よね」 「ああ」
早速着替えようとボタンを外す。 すると、弥生がまたワアワアと騒ぎ出した。
「ちょっ、ちょ!リヴァイさん!一応女の子が目の前にいるんですから気を使って下さいよ!!」 「どこに女がいる」 「ここですよ!ここ!私!」 「お前はそんなに男に免疫がないのか。たかが着替えくらいで喚きやがって」 「あー、もういい。わかりました私が別の部屋に行けばいいんでしょ!」
そう言うや否やくるりと振り返り、隣の部屋へと逃げ込んだ。 その間抜けな姿に思わず笑いが零れ出た。
こんな風に笑ったりするのは、いつぶりだろうか。 凄く昔の事のように思えて忘れてしまった。
怖がったり、怒ったり。 気を使っていると思えばそうでもなさそうだったり。 ちょっかいかければ面白い反応が返ってきたり。
平和な世界なんて、あっという間に過ぎる。 どうせひと時の夢だろうと思っていたが。 どうやら弥生のおかげで一週間……退屈しないで済みそうだ。
「オイ」
隣の部屋のドアを開けると、弥生がビクリと肩を揺らした。
「なにビクついてんだ。着替えたから行くぞ」 「行くってどこへ」 「買い物」 「あ、ああ……そうですよね、買い物行くんですよね」
心なしか、弥生の顔がさっきよりも赤くなっている気がした。
「そんなに暑いのか、この部屋」 「え!?ああ、はい!そりゃもうあっつい!」 「…………行くぞ」
挙動不審に構っている暇はない。 車の鍵を奪い取ると、あ、と呼び止められた。
「何だ」 「これ、眼鏡と帽子もしてってください。これなら顔と髪型でわかることもないと思うんで」 「へえ、結構いいじゃねえか」
受け取って装着すれば、ぽかんと口を開けて見ている弥生。 なんなんだ、こいつは一体。
「に、似合ってます、ね」 「……は、」 「い、行きましょう!今度こそ進撃の巨人を買いに行くのです!」
似合ってます、と言いながらも先ほどよりも顔の赤みが増した。 もしかしてこいつは。
「何だ、俺に見惚れてたのか」 「は!?違います!そんなわけないじゃないですか!ホラ、行きますよリヴァイさん!」 「…………」
素直じゃねえな。 何処の世界も女ってーのは素直な生き物じゃない。 そして面倒でもある。 極力関りたくねえが、人類の敵を目前にしてそんな事も言ってられないって事くらい理解している。
だが、こいつは色んな反応があって面白い。 今まで女に対し、面白いと思う事はあっただろうか。
異世界の人間だからか? 理由はわからないが、興味が湧いたのは確かだ。
再び車の運転席へと乗り込むと、隣に座った弥生は何故だか嬉しそうな顔をしていた。
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