―After a week―
『逆鳥警報が解除された頃から、依然として行方不明者は増えており――』
最近、全世界で行方不明者が続出しているというニュースばかり流れる。 そのいずれも一切の消息は不明で、何の手がかりも掴めないのだそうだ。 まるで、最初からそこに居なかったかのように跡形も無く失踪してしまっているらしい。
どこかの知的な人攫い集団が人身売買でもしてるんだろうか。 平和だったはずなのに、こんな事件が増えてくると怖くなる。
ニュースからコマーシャルへと切り替わり、私はゆっくりと立ち上がった。
……さて、今日も仕事に行かなければ。
テレビの電源を消し、最後に髪型のチェックをしてから家を出ようと洗面所に移動する。
鏡に向かって確認すれば、目の横にマスカラの液が飛んでいる事に気づいた。 しかも結構な範囲で広がっているので、このままで外に出るのは恥ずかしすぎる。 何故だ、バッチリできてた筈なのに。
やばい、化粧しなおさなきゃ。 慌てて時計を見れば、出勤時間までは後30分の猶予がある。
……5分で終われば、間に合う!
急いで顔を洗って、タオルへと手を伸ばす。
「弥生」
ふいに聞こえたそれに、私の身体はピタリと動きを止めた。
…………今、
…………誰か…………私の名前を、呼んだ?
空耳かもしれない。 なのに、聞き覚えのある声に、次第に手が震えて。 当てたままのタオルを外すのが怖くて、微動だにする事が出来なかった。
「弥生」
また、聴こえた。
嘘だ、だって、彼は。
いや、きっと私の願望が生み出した幻聴に違いない。
私を呼ぶ声など、聴こえるはずが無い。
だって、彼はもう五年前に――――。
そのまま動けずにいると、後ろからふわりと抱きしめられた。 その温もりは、私が良く知っているものだった。
彼の事を思い出すたびに、その温もりが蘇っては消えていく。
今感じている温もりは、それと同じもので。 しかも、消えることがなくて。 でも、それでもまだ信じられなかった。
「弥生、待たせて悪かった」 「……っ、そ、だぁ……うそ、だ、だってリヴァイは……!」
耳元で囁かれる声も、抱き締めてくれるその腕も。
全部、ぜんぶ、私の欲しかったものだ。
「俺はここに居る」
何かに弾かれたように顔を上げれば、鏡越しに交わる視線。 紛れもなく、私の一番会いたかった人が私の目の前に居る。 会いたくて、何度も夢に見た。 会いたくて、何度も名前を呟いた。
もう二度と、会えないと思っていたのに。
「……リヴァイ、どうして……」 「言っただろ、迎えに来るって」 「……言った。言ったけど、本当に、迎えに来てくれるなんて……!」 「俺は約束は破らねえ。ましてやお前との約束なら尚更だ」 「でも、どうしよう……目の前に居るリヴァイを見ても、まだ信じられない……」
そう言うと、リヴァイは眉間に皺を寄せた。 そして、私の身体を反転させて。 無言で唇を塞がれる。
「っ、」 「これでもまだ信じられないと言うのか」 「…………リヴァイ、相変わらずずるい」
あの時、リヴァイが最後に残した言葉。
『いつか、迎えに来てやる』
その言葉は私に心細い思いをさせないようにと吐いた、優しい嘘だと思ってたんだ。 でも、嘘なんかじゃなかった。 本当だった。
「弥生が悪い」 「……変わらないね。その態度も、顔も…………ん!?変わら、ない……!?え、リヴァイ、あの時と変わってないよ!?」
言いながら、自分の中で疑問が生まれた。 五年の月日が流れたにしては、変わってないのだ。 何もかも。
「そういうお前はずいぶん髪が伸びたな」 「そりゃあ五年も経てば……」 「五年?二年の間違いじゃないのか」 「二年!?まさか、リヴァイの世界では二年しか経ってないっていうの?」 「…………そうか、この世界と向こうでは時間の流れが違うんだったな。覚えてるか、こっちの世界での一週間は、向こうの世界で一日にも満たないと」 「あ、そ、そうか。そういうことなんだ……だから、変わってなくて当然っちゃ当然か。二年と五年じゃ全然違うよなあ……」 「一人でブツブツ言ってんじゃねえ」
言いながら、リヴァイは逃がさないと言うように私の顎を押さえて。 そして、深いキスを何度も繰り返す。 まるでお互いの存在を確かめるように、執拗に何度も、何度も。 会えなかった分の歳月を取り戻すかのように。
ゆっくりとお互いが離れると、リヴァイが口を開いた。
「弥生、俺と一緒に来い」 「え、」 「自分の世界に帰ってから、決めた事がひとつだけある」 「…………それは、何?」 「俺はもう二度とお前を離しはしない。従って、お前に拒否権は無い」
その目は至って真剣で、冗談などこれっぽっちも含んでいなかった。
本当に?
本当に私も、リヴァイと一緒に行けるの?
「……うん!行く。私、リヴァイと一緒に行く!」
夢みたいだと思ったが、今、私の目の前に彼がいるのが現実だ。 この温もりは幻なんかじゃない。 本当に、本物のリヴァイなんだ。 それが嬉しくて、自分の意思表示をしてみれば、怪訝な表情のリヴァイ。
……何故、このタイミングでそんな顔をするのだ。
「……そこは、『何で拒否権がないの』じゃねえのか」 「え?」 「忘れたのか?最初に出会った日の事を」
『そんな事ぁどうでもいいんだよ。俺を保護するのかしないのか。……まあ、テメェには選択肢は無いようなもんだが』
『なんで選択肢が無いの』
……そういえば、そんな会話をしたような気がする。 まだ何も知らなかったとはいえ、最初から憎まれ口を叩いていたんだね。 今となっては、本気で憎まれ口を叩こうだなんて思わないけれど。 リヴァイがそんな細かな事まで覚えててくれたのが嬉しくて、私の顔がどんどん緩んでいく。
「あの頃と今とじゃ違うでしょ」 「チッ、つまんねえな」 「つまらないとは聞き捨てならない」 「つまんねえだろが、無理やり攫っていこうとした俺の意気込みをどうしてくれる」 「無理やり……?そんなの無理に決まってんじゃん」 「……何故だ」 「私が、リヴァイと一緒に居たいと思っているから」
簡単なことなのに、と、答えを返せば。
「……、お前、ほんと馬鹿だな」 「馬鹿とは何だ!」 「可愛すぎなんだよ、この馬鹿」 「っ!褒められてるのかけなされてるのかわからない!!」
可愛すぎなんて言葉、リヴァイの口から出るとは思ってなくて。 突然の不意打ちに素直に嬉しいなんて言えなかった。 リヴァイは言いながら私の頭をぐしゃぐしゃにして、笑っていた。
「……でも、本当に行けるの?」 「行けるさ」 「しかも、二度も逆鳥してきたなんて聞いたことが無いよ」 「出来たから俺はここに居るんだろうが」 「そりゃ、そうなんだけど……」 「じゃあ行方不明者多数の話は知ってるか」 「最近ニュースで流れてるアレ、って、まさか……」 「居たんだよ。俺達の世界にも」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるリヴァイの口から、次に出てくる言葉を待つ。
「お前と同じ、この世界の人間がな」
なんだ、そういう事だったのか。 行方不明者だなんて、変な犯罪とかじゃなかったんだ。 行方不明になったとされている人達は、きっと――今の私と同じように。
「行くぞ」
スッと差し出された手。 小さい癖に、強くて、頼りになるリヴァイの手。 この手を取れば、もうここには戻って来れないだろう。
今日までお世話になったこの世界にお別れをしよう。
きっと、幸せな明日が待っている。
期待を胸に、私はその手に自分の手を重ねた。
――後日。
行方不明者として冬野弥生という名前が報道された。 しかし、その事実を私が知ることは一生無いのだろう。
何故なら、こうして幸せに生きているからだ。
愛する人と共に、違う世界で。
End
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