一度弥生の家に戻ってきてから、買ったばかりの浴衣に袖を通す。 着方は良くわからなかったが、弥生が知ってるとの事だったので全て任せることにした。
着替えてしまえば、後は祭り会場に行くのみ。 だが、弥生が支度に手間取っているようなのでテレビを見ながら待つことにした。 これだから女は、とも思ったが、何故かこの時間が心地良いものに思えた。
……大分、絆されてんな。
しばらくテレビを見ていると、隣の部屋から「終わった!」という声が聞こえてきた。 声に出さずともいいだろうに、と、弥生が姿を現すのを待つ。
「見てみて、今日は上手く出来たかも!」
見て、と言いながら自分の頭を指差す弥生。 普段下ろしている髪の毛をアップに纏め上げたその姿は、見慣れない衣装に包まれているという事もあってかとても綺麗に見えた。 こうしてみると普段の騒がしい感じが嘘のようで、清楚で可憐な女にも見える。
普段から思った事を素直に口にしたりはしないのだが、弥生との時間が残り少ないと思うと素直じゃないのは勿体無いという気がした。
「ああ、似合ってる。綺麗だ」
だから、心の中をそのまま伝えれば途端に真っ赤になる弥生の顔。
「え、と、ありがとう」
はにかむその姿に、手を差し出す。 当たり前のように感じられるその行為も、あと何回できるだろうか。 重ねられた手からはじんわりと熱が伝わって、少し汗ばんでいる。 暑いと感じてはいたが、そんな理由でこの手を離したくはなかった。
「じゃあいこっか」 「ああ、会場は近いのか?」 「歩いて20分くらいだよ、下駄履きなれないからもうちょっと時間かかるかもしれないけど」 「そんなの俺だって同じだろうが。気にすんな」 「うん、ありがとう」
弥生の口からこぼれ出るありがとうの言葉は、俺の心を暖かくさせた。
二人して慣れない下駄を履き、ゆっくりと祭り会場までの道を歩く。 準備に時間がかかってしまった所為か外はほんのり薄暗くなっていた。
会場の近くまで来ると、太鼓や笛の音が聞こえる。 人通りも段々と多くなってきたので、少し強めの力で繋いだ手を握りなおした。
「離すなよ。はぐれるから」 「うん」
そう言うと、弥生もほんの少しだが力を強めた。 余程の事がない限り、この手が離れる事はないだろう。 そう思ったら酷く安心した自分が居た。
「さすがに人多いねー、浴衣着てる人たちもたくさんいる!」 「結構規模が大きいようだな」 「そそ、地域じゃ自慢のお祭りなんだ。ちょっと遠方から来る人たちも少なくないんじゃないかな」 「へえ。それはいい時に来たもんだ」 「……だよね、ほんとタイミング良かったよ」
その返事に元気が無かったのは直ぐに気づいた。 理由は、なんとなく理解している。 だがそれに茶々を入れるのは野暮ってもんだろう。 それとなく話を逸らす。
「で、何が美味いんだ」 「ん?お腹減った?」 「まあ、それなりにはな。というよりお前が言ったんだろう、祭りの醍醐味は食べ物だって」 「あれ、そうだっけ。私花より団子タイプだからなー、はは」 「なんだその花より団子ってーのは」 「見て美しいものよりも、実際に役に立つもののほうがいいって事。見てるだけじゃ腹は膨れない、ってね」 「……弥生らしいな」 「それ褒めてないよね!?」 「褒めてる褒めてる」
棒読みでそう返してやれば、弥生はキイキイと喚いていた。 もっと怒れ。 もっと笑え。 俺が帰るまでに、もっとお前の色んな顔を見せてくれ。 決して忘れないように、俺はそれを心の中に刻み付けていくから。
「じゃあ、とりあえずチョコバナナ食べよう」 「チョコバナナとはあれか」
氷の台に、何本も刺さっているその物体。 お世辞にも美味そうには見えないが……こりゃ感覚の違いってヤツか。 弥生は嬉しそうにしているし、好物のひとつなんだろうな。
「じゃんけんで勝つともう一本もらえるからさ、リヴァイじゃんけんやってよ」 「確実に勝ち取ってやろう。任せておけ」 「ふわ、頼もしい」
楽しそうに笑っている弥生の手を離さずに、空いてるほうの手で店のばあさんとじゃんけんをする。 相手の動きをじっくり見てれば、俺の敵ではない。
「ありゃ、負けちゃった。はい、お兄ちゃんふたつどうぞー」 「やったー!リヴァイ、さすが!」
凄いとか流石とか、そんな言葉は聞き慣れていたはずなのに。 弥生に言われると少しむず痒い。 これは羞恥心か? いや、違う。
愛おしい、という感情。
………………愛おしい、だと?
自分の中で繰り返し、ハッとした。
……なんて事だ。
まさか、俺が弥生に恋心を抱くなど。
気づきたくはなかった。 気づいたとしてもここに居る間にそんな感情には蓋をしていたかった。 せめて、向こうの世界に帰ってから気づけば良かった。
恋なんて、弱い者がするものだと思ってた。 恋だの愛だのにうつつを抜かしてるヤツは、弱みを持っているのと同じだ。 そんなくだらない物が、自分の弱みになるなんて有り得ない事だった。 だから俺は、恋など自分には無縁だと思ってたんだ。 この世界に来てからまるで俺が俺じゃなくなっていくような感覚。 同じ人間なのに、全くの別物なんじゃないかという錯覚。
そんな気持ちを誤魔化すように、弥生の頭をくしゃりと撫でれば、気の抜けたようなふにゃっとした笑顔を向ける。
そんな姿が、更に愛おしく感じた。
悔しいが、弥生を好きになってしまった事を認めざるを得なかった。
一度気持ちに気づいてしまえば、心の中では制御する事なんて出来ない。 だが、心の蓋は外れてしまってもまだ間に合う。 悟られるな。 冷静を演じ通せ。 絶対、気づかれては駄目だ。
弥生はそんな俺の気持ちも露知らず、隣でチョコバナナを頬張りながら次はどこ行こうなんて悩んでいる。
どうか、俺の事など好きにならないでくれ。
この短期間での事を振り返れば、もう手遅れかもしれないと思うのは傲慢だろうか。
……きっと、こんな姿を仲間達が見たら大爆笑するんだろう。
あのリヴァイ兵長が、恋をした、と。
正直自分でもおかしくて、弥生には決して聞こえないように自嘲気味に笑った。
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