1話 トリップしました愛する人には先立たれ、たったひとりの弟にも先立たれ。
けれども、子供とたくさんの孫に囲まれて、見送られて。
私の人生は幸せに幕を下ろした。
……はずだった。
病気も何度か経験したけれど、最期は老衰で静かに息を引き取ったはずだったんだ。
でも、何で意識があるんだろう。
視界もハッキリしてるし……、体も動く?
寝ていたであろう体を起こし、手を開いたり閉じたり繰り返す。
何故か肌がすべすべだ。
あのしわしわの手は、腕は、どこにいったんだ。
そしてここは一体何処なんだ。
キョロキョロと見渡してみても、自分の記憶の引き出しにはない場所だった。
でも、何故か馴染んでいる気がする。
死ぬ前の夢でも見ているのだろうか。
そこそこに寝心地の良さそうなベッドから降りてみる。
足もちゃんと動くし、やっぱり肌がすべすべだ。
たるんでもいない。
腰も痛くないし、捕まりもせずにスムーズに立てる。
腰痛と付き合い出したのはいつ頃からだったかな。遠い記憶すぎて忘れてしまったな。
それが当たり前になっていたから、逆に違和感がある。
若いってこういうことか。
部屋の中は割とシンプルで、必要最低限のものしか置いていない。
自分好みの部屋だと言える。
ドアの横に縦長の鏡があるので、姿を確かめようとした時だった。
コンコン、と、ドアをノックする音が聞こえた。
「姉ちゃん、起きた?」
返事をする前に開かれたドアの前には、若かりし頃の弟の姿があった。
「翔……?」
「ああ、起きてたんなら早く降りてきなよ。朝ごはん出来たって」
「え、朝ごはん?」
「食べないの?」
「いや、食べる……けど……」
「転入初日なんだからちょっと余裕もっていこうって言ったの、姉ちゃんじゃん」
「転入? どこに?」
「…………」
思ったことをそのまま口に出していたら、思いっきり訝しげな目で見られてしまった。
だって仕方あるまい、何が何だか全く理解出来ていないのだから。
「なあ、もしかしてハマったか?」
「ハマった?」
「姉ちゃん、一度死んだだろ」
「えっ、」
死んだと言われてドキッとした。
翔は事情を知っていそうな素振りをする。
普通に喋っても大丈夫なのだろうか。
「……死んだはずだったんだけど。気付いたらここにいて、ちょっと何だかわからない」
「んんん! やっぱり!! やっと来た! この日を待ってたんだよ俺は!」
「うおっ!?」
ガシッ! と肩を掴まれ、前に後ろにぶんぶん振られる。
「やめろ! 加減を知れ!!」
「あだっ!」
頭がガクガクしたので思わず頭をひっぱたくと、パァン!! という小気味のいい音がした。
「で、どういう事なの」
「えーと、母さんはご飯作って仕事行ったし、ご飯食べながらの説明でいい? じっくり話してたらマジで遅刻する」
話せば長くなると言うことか。
まあ、そうでしょうね。この不思議な状況を説明してくれるとして、短い説明で終わりそうにもないもんね。
翔の言葉に賛同の意を返し、ダイニングに向かう。
階段を降りたりするにも、知らない人の家にいるみたいなのに、やっぱり馴染んでいるような感覚だった。
一家四人で過ごすには丁度いい長テーブルに、洒落たお皿に洒落たコップ。
朝ごはんにと用意されていたのはパンとハムエッグで、30過ぎてからこのかた、朝はご飯派なのにな、等と考えつつもパンにかじりつく。
「ハマったっていうのはさ、元の世界で死んで、こっちの世界に馴染んだって事なんだよね」
あ、結構美味しいなんて思っていたら、翔が訳のわからないことを言ってきた。
「何言ってんの?」
「異世界トリップって、聞いたことない?」
「あるけど。若い頃は大好物だったよ」
「じゃあ、ハンターハンターって覚えてる?」
「それも若い頃大好物だったよ。でも推しが死んじゃってすっごいショックだったから、それから読むのやめた。あれ、完結したのかなあ」
「完結はまだしてなかったような気が……って、完結云々はどうでもいいんだ。ここはハンターハンターの世界じゃないけど、ハンターのキャラがいる世界なんだよ。パラレルワールドっていうのかな」
「私もあんたも、この世界に若返りトリップしたってこと?」
「そう!! 理解が早くて助かる!」
半信半疑だけど、理解した体で進めないと話が終わらないと思ったから。
でも、それでも翔は嬉しそうに話を続けた。
この世界はハンターのキャラ達が普通に生活しているらしい。
念能力とかも無いし、殺し合いが日常なわけでもなく。
ごく普通の、平和な世界。
私よりも10年先に逝ってしまった翔は、10年前からこの世界で生きている。
死んでこの世界の自分に入った(同化した?)ことを、ハマったと呼んでいたらしい。
だから私にもハマった? って聞いてきたんだね。
「今日から狩人学園に転入だし、姉ちゃんタイミング良すぎ」
「狩人学園?」
「そそ、狩人学園。誰か居そうじゃない?」
「誰かって……うん、居そうな名前の学校だよね。だがしかし、さっきまで婆だったもんで、いきなり学校とか無理があるんじゃ……」
「でもそれだけ昔みたいに反応出来てるんだから、大丈夫なんでないの?」
「軽ッ! ……あれ、そういや思考も若返ってる気がする。年食ってからの喋り方もこんなんじゃなかったな」
「元々この世界に居た姉ちゃんと同化したんだから、大丈夫だろ」
「その同化云々って誰からの知恵なの?」
「それは言っても信じなそうだから、まだ秘密。いずれ教えるよ〜」
「くそ生意気」
「女の子がくそなんて言っちゃいけません」
「うるせえくそ弟」
「……うんうん……これでこそ姉ちゃんだ、久しぶりだね、姉ちゃん……」
悪口言ってる事に対して感動しないでよ、調子狂うじゃないか。
私も弟に会えたのは嬉しいけど、正直まだ実感わかないわ。
……でも、そうか。
理由は何であれ、私はここで第二の人生を歩むことになるのか。
若返ったこともそうだけど、昔大好きだったキャラに会えると思うと、これからの日々が楽しみになってきた。
自分でもこの状況を受け入れるのが早いとか思うけど、死んだと思ってたのに生きてたんだから、それだけで丸儲けだわな。
これで文句言ったらバチ当たる。
楽しむよ、私は。
ずびずびと泣いている弟を残し、私は着替えに自室に戻ることにした。
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