31:現実は苦い味がした
「…さて。こちらへおいで」
誘われて部屋の奥へと行けば、いつの間にか椅子とテーブルがセッティングされていた。
ご丁寧に、お茶の用意までしてあるようだ。
「さあ、お座りなさい」
「…はい」
座って一呼吸置くと、先程同様に悲しそうな表情のイシュマウリさんが私を見ている。
「これから話すことは、貴女にとってとても辛く、苦しい事。だがいずれは知らなければならない事だ」
その真剣な声に、黙って頷いた。
いずれ知らなきゃいけないことならば早く知っておきたい。
先に知るのと後から知るのと、対処方法だって変わってくるはず。
嫌な予感はするものの、どんな内容なのかまだわからないからなんとも言えないけれども。
「これに見覚えはあるかな?」
イシュマウリさんがテーブルに広げて見せたのは、一枚のハンカチだった。
何となく見覚えのあるようなそれ。
四隅の一箇所だけにレースの刺繍がしてある、黒い無地のハンカチ。
小さい頃、母の横で見たような気がする。
「これ…もしかして、私の母の…ですか?」
私の言葉に、今度はイシュマウリさんが黙って頷いた。
「…こんな事は初めてでね。異世界からの物が来るなど…貴女のように迷い込む人はいるのだが…ごく稀に、だけれども」
「………」
この後、イシュマウリさんからどんな言葉が紡がれるのだろう。
話を聞いているうちに段々怖くなってきて、震え始めた手をテーブルに押し付けた。
「このハンカチから、記憶を読ませてもらった」
「……それは…どんな記憶、ですか」
「…残酷かもしれない。だが、私の口から話をするよりもニナ自身に見てもらった方が早いだろう」
イシュマウリさんはそっと目を伏せ、ハープを奏で始めた。
先程の弦が切れてしまったハープとは似ているけど別物のようだ。
何個も予備があるのだろうか。
そんなどうでも良い事を考える頭とは対照的に、目の前に浮かんでいく光景に、私の心臓は早鐘を打っている。
まず、浮かび上がったのは泣いている母。
その隣には母親を支えるように、肩に手を置いている父。
二人の視線の先には、布団に寝かされている……あれは、わたし…?
『どうして、どうしてニナが死んでしまったなんて…』
『…親よりも先に逝くなんて…とんだ親不孝者だな、お前は』
『ねえ、まだ目を覚ましますよね?ニナは寝ているだけですよね?』
『……俺だってそう信じたいさ…寝ているだけなら、どんなに良かったことか…』
『…っ、うっ、ああ…ニナ、ニナ…!!』
『……』
二人とも、一生懸命私に話しかけてくれている。
でも布団に寝たままの私はピクリとも動かず、ただ時が過ぎていくばかり。
こんなに泣いている親の姿なんて、見たことが無かった。
何?
私、自分の世界では死んだ事になってるの?
嘘でしょ?
何の悪い冗談?
呆然としているうちにも場面は次々と変わっていく。
仲の良かった友人が私の家に訪ねて来ては、私の姿を見て泣いて。
それを見た母親も再び泣いて。
お葬式は雨の日の夜だった。
まるで皆の涙のように降り続く雨は、音が激しすぎてみんなが何を喋っているのかもわからなかった。
ただ、母親が泣いている姿から目が離せなかった。
父親は黙って俯き、唇を噛み締めている。
「…これは、ただの幻覚ですか?」
「……そうであればどんなに良かったことか。幻覚かどうかは貴女もよく理解しているはず」
わかってる。
物の記憶なんだって、ちゃんとわかってる。
でも認めたくなかった。
あまりにも展開が早すぎて、実際に起こったことだなんて思えない。
それに、認めてしまったら、私の元の世界での居場所が…なくなっちゃう、じゃない…。
「…はっ」
自嘲気味に口から出た笑い声。
何で笑ってしまったのか、自分で理解できなかった。
この状況を認めたくなかったからなのか、冗談としか思えないからなのか。
棺桶に入れられて、私の周りには綺麗な花がたくさん置かれる。
好きだったものや、思い出の品も一緒に。
最後に母親が私の胸のところに置いたのは、この黒いハンカチだった。
そうだ、思い出した。
これ、私が子供の頃にお母さんに頂戴っておねだりしたんだよね。
一か所だけ刺繍してある部分がやたら綺麗に見えて、とても欲しかったのを覚えている。
でもお葬式用だからダメよ、あなたにはまだ早いよ、って。
その事、覚えててくれたの?
だから、それ、わたしにくれたの?
「……も、いい、です…」
そう呟けば、ハープの音はピタリと止まった。
これ以上、見たくなかった。
ましてや自分の身体が自分の世界から無くなってしまう瞬間なんて。
そんなの、絶対に見たくなかった。
「…貴女には辛すぎる現実かもしれない。だが、それでもこのハンカチは貴女に伝えたかったのだろう」
「……私は…元の世界には戻れない、のでしょうか」
「今の光景が、答えだ」
「私が元の世界で死んだ理由って何なんでしょうか」
「ハンカチの記憶からはそこまでは読み取ることは出来なかった…だから理由は私にも知る術はない」
「そ、んな!無責任じゃないですか!理由もわからないのに死んだなんて言われたって!!そんなの信じることなんか…!!」
テーブルを思い切り叩き、声を荒げる私に対してイシュマウリさんは何も言わなかった。
言ったところで何が変わるわけでもないと解っているからだろう。
こういう時、下手に声を掛けるのは良策ではない。
そして、真摯に見つめてくるその瞳から、これは冗談でも何でもないということが、嫌と言うほど伝わってくる。
「……八つ当たり、しました。ごめんなさい」
「いや。八つ当たりで気が済むのであれば、いくらでもお受けしよう」
「…っ、…ごめ、んなさい…」
いくら八つ当たりしたって気が済むわけなんてない。
どんなに喚いたって、泣き叫んだって、現実は待ったなんてかけてくれない。
…私、帰れないんだね。
ルイネロさんが言ってた代償ってこれのことだったのかな?
私はこの世界に来た時点でもう元の世界には戻れないことになっていたの?
そりゃあ大好きな人達の命を助けられることは嬉しいよ。
それでその分だけ私の命が削られていくっていうならそれでもかまわなかった。
でも、私の存在が、居場所が無くなってしまうなんて……今、私がここに居る分の元の世界ではどうなっているんだろうって、そりゃあ時々は気にしてたよ。
両親や友達を恋しく思うときもあったよ。
もしかしたら元の世界に帰れないんじゃないかって、そう思ったこともあった。
だって、なんで平和になったはずの5年後のこの世界に私がいたの?って。
何らかの理由があるとは思ってたし、自分の意思で残ってる可能性だってあったのに。
まさか死んだなんてさ。誰が思う?そんなの。
実感なんて湧くわけないじゃん。
身体中の力が抜けた気がする。
ドサリと椅子に座り込んだ私を見かねて、イシュマウリさんがハープを奏でた。
「少し休むといい…他の皆が帰ってくるまでに、どうか貴女の心が少しでも安らぎに満ちるよう…」
ハープから聞こえる音色は、とても優しいものだった。
まるで家族に包まれているかのような安堵感。
少しだけでもいいから、今はこの暖かい気持ちに包まれて居たかった。
現実逃避と言われても構わない。
でも、この出来事を自分で受け入れるまでにはきっと…時間がかかりすぎてしまう。
この世界に平和を取り戻す手伝いがしたいという気持ちが折れてしまったわけではない。
もちろん皆に心配も掛けたくない。
私の、自分の問題なんだから自分の中に仕舞い込んでしまえばいいだけのこと。
イシュマウリさんの言うとおり、皆が戻ってくるまでに少しでも気持ちを落ち着かせなきゃ。
そう思う心とは裏腹に、自然と流れてくる涙はなかなか止める事ができなくて。
イシュマウリさんから渡されたハンカチに次々と新しい染みを作っていった。
お母さん、お父さん。
私、生きてるよ。
ここに居るんだよ。
まだ、生きてるんだよ。
でも、もう帰れないんだって。
二人の場所に、私の家には帰れないんだって。
寂しいよ。
ねえ、お母さん、お父さん。
……寂しいよ。
2016.6.18(2014.3.14)
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