花霞2







「慶……次、殿…?」


ぽかんと開いた口からようやく出たが、一体どこからが夢だったのだ?…だが、掴まれた手首に感じる体温は、確かに本物だ。

木の上からは彼の愛猿が現れ、幸村の肩へ飛び移ると、挨拶するかのように「キキッ」と鳴いた。


「…夢吉殿……」


当の慶次は、ふっと笑い、

「思いもよらないって顔だな。それはそれで嬉しいけどさ」

「な、何故っ?どうしてここに」
「文に書いてたろ?桜の下で…って」
「あれは…、ですが…」

「『君いとしき常となり ひそやかに焦がれ待つ 明けの宵夢見草の下 ひとときの逢瀬を夢見て…』」

「け、慶次殿!」

眠れなくなった要因であるそれを述べられ、幸村は染めた顔で止めようとするが、

「『狐』となり、ひそやかに焦がれ待つ──戦明けの夜に、花見も兼ねて逢えたらな…ってさ」

「これが目印のつもり」と頭上の狐面を指し、慶次は悪戯っぽく目を細めた。


「………」

“きみいとしきつねとなり──”


書面を思い浮かべ解すると、脱力した幸村は腰を着け、

「分かるわけござらぬ…」
「だよな」

慶次は悪びれることなく、尚も微笑み、

「でも会えた。俺らってすごくねぇ?」

「……」
「幸は?そこまで会いたくなかった?」

「っ…」

幸村は首を振り、

「しかし、某が出なければ会えぬままでござった。…分かりよく書いて下されば良いのに」


慶次殿は意地が悪い

ぽそりと呟き、幸村は顔を背けた。



「ッ…!?」

「ごめんな…」

身を寄せてきた慶次に手を握られ、ただちに慌てる幸村だが、

「お前忙しいだろうから、望み薄いと思って。はっきり書いて駄目だったら、二人とも寂しくなっちまいそうでさ…」


(……あ…)


その言葉と伏せがちに変わった瞳を前に、幸村の動揺は静まった。

…全く、優しさなのか自惚れなのか。押しが強いくせに、そういうところでは違ったりする。
しかし、それは幸村がどれだけ落胆するかをよく分かっているからで、そうさせたのは他ならぬ幸村なのであって、

──結局は、自身を罵る彼であった。


「……会えて、嬉しゅうござる」
「俺もだよ。…ありがとな」

きっと、一人で桜を見に来た理由も既に読まれているのだろう。

分かってはいても、幸村にはそう言うので精一杯だった。









文を届けたのは慶次本人で、祭りの舞楽には飛び入り参加をしたらしい。そこで目立てば幸村の耳にも入り、興味を抱いて観に来るかも知れないと。


「さような話も聞きましたが、よもや慶次殿とは思いますまい」
「やっぱり?けど、結構評判だったんだぜ、こんな感じで…あ、幸唄ってくれる?」
「っな、無理に決まって…!」

「冗談だよ」

慶次は笑うと、舞の触りだけを優雅に披露し始めた。

月の光と花明かりの下、銀色の扇をひらめかせ舞い踊る。狐は一層白く霞み、陽の光とは似ても似つかないというのに、幸村は同じような眩しさを覚えていた。


「…ここまで見物だとは、聞いておりませんで」
「それは光栄の極み──なんて」

恭しい芝居の所作で面を脱ぐと、慶次は幸村の隣へ戻り、

「着けてくれたんだな、それ」
「あ…!礼が遅れまして」

焦り礼を言う幸村、思いがけぬ出会いの驚きで失念しかけていた。
慶次が指摘したのは幸村の右手首、そこに掛かる紅い数珠飾りのことで、文に同封されていた物である。

慶次はその手を取り、嬉しそうに自身の手首を示す。彼の左のそれにも同じ物が着いており、初めに腕を掴まれた際にも『あっ』と思ったのだが。
ただ、そちらは幸村の珠より大きく、手首にぴったり添っていた。

「これは紐で調節できるんだけど」
「こちらは出来ぬのですな。落とさぬよう気を付けねば」
「やー…そんなに余るとは思わなくてさ」

はは…と慶次は苦笑し、「それ、実は女物なんだよな」

であるから、輪が大きい仕様なのだと。

だが、慶次の物と改めて見比べてみても、その寸法はほとんど変わらない。…違うのは二人の腕の太さで、幸村の心中は穏やかでなくなってくる。

「某とて、歳を重ねればもっと……だいたい、何故女物を」
「赤のは、この二つだけだったんだよ」
「では、慶次殿は好む物にすれば良かったのに」
「だからこれにしたんだろ?俺もこの色好きだしさ」

と、愛でるように飾りを指で撫でる慶次。
…ただし、彼のではなく幸村の物を。


「……な…」

「ウキッ」
「っあ、夢吉殿──」

再び興味を見付けたのだろう、夢吉は幸村の肩から桜の幹へ戻り、身軽そうに登っていった。でなければ、『勝手にやっててくれ』と呆れられたか、邪魔をするまいと気遣われたか。

どれにせよ、夢吉も一人と数えていた幸村は、急な二人きりに気恥ずかしくなる。しかも、こんな(一般的には全く大したことないが)状況で。
対し慶次は変わりなく、夢吉に一声掛け、その姿に笑みを浮かべていた。


「前から好きだったけど、今じゃ真っ先に目が行くし」
「え?」

「…いや、赤がさ」


「………」


さようで…、くらいは返した幸村だが、彼の桜色には気付かぬ振りをした。自分の照れだけでも居たたまれないというのに…

が、むくれたままだと思われるのは意に反する。親しい仲ゆえに言えもしたが、珊瑚の装飾品など高価な代物、そうそう贈られて良い物ではない。
そこはきちんと態度を直し、幸村は心から感謝を述べた。

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