猩々緋5
そして、翌日の午後のこと。
「若、お茶にしない?」
「!!…っ…!」
佐助が現れた途端、弁丸は勢いよく立ち上がり、文机に足の指をぶつけてしまった。
声にならぬ悲鳴を上げ、縮こまりながら、
(うぅぅ、なんと無様な…っ!)
きっと笑われて──あぁ、ならば良かったか、…いや、先日のことを思うと、冷めた目で呆れられているか…
弁丸は、激痛と戦う中落ち込んでもくるが、
「大丈夫?」
「ふぇっ…」
「見させてね。…あーあ、痛そう」
蓋を開けてみればびっくり、佐助は弁丸の膝を立たせ、腫れた指を優しくさすってきた。
佐助の手は皮が厚く、見かけによらず、ごつごつカサカサしている。だがひんやりもしていて、長い指に挟まれ撫でられる内、痛みは心地よさに変えられていった。
「す、すまぬ…」
「ううん。──あ、ごめん」
足首を持ち上げていた片方の手が、ふくらはぎを支える形になっていた。弁丸は気にも留めなかったが、佐助は急ぎ離し、目をそらした。
それもあって、気まずい空気が流れてしまうが、
「佐助、すまなかった…」
「…っ…俺様こそごめん、余計な真似」
「いや、あれは感謝しておるんだっ」
弁丸はぶんぶん首を振ると、再びしょげた様子に戻り、
「すまん…ひどい口をきいた。好きと嫌いがないのは、そうせねばならぬゆえなのに。…それがなくとも、佐助はとても優しいのに」
膝上の袴を握り、一心に詫びた。
(若……)
『そうしなければならない』とは、言っていない。五年前、『皆そうなるんだ』とは説明したが。他の忍の誰かが、そう言ったんだろうか。
しかし、佐助は指摘する気になれなかった。…実際はそちらが正しかったと、知ってしまったのだ。
いつからだろう、『優しい』だの言われても、寒気がしなくなったのは。彼の言動に、怪訝や疑問よりも先に、笑みや懸念が湧くようになったのは。
──心の臓が痛い。
締め付けられ、息が苦しくなる。苦しい、くるしい、くるおしい…
だが、これで良い。きっと比べ物にならないくらい、こちらの方がまだ。
これより辛いことが何なのかは、過ぎるほどに解っている。
「…謝る必要なんてないよ、本当のことなんだから。俺様こそ、分かんないくせに色々言って、ごめん」
「だがっ…」
「でもさ、ああいうのは無理して欲しくないんだ。若はそうできる立場なんだから、選ばれるんじゃなく、自分がそうしたいと思った人とそうなって欲しい。…俺様なんかが、言えることじゃないけど」
「『なんか』など言うな…っ」
弁丸は哀しい顔で咎めると、コクコクと頭を縦に振り、
「分かった、必ずそうする。…己をあざむき、愚かだった。手に入らぬものを、それでまかなおうとしておった…」
「うん…」
伸ばしたくて、佐助の手指がわずかに震えた。…が、為されはしなかった。
弁丸は顔を上げ、「けれど」とはにかみ、
「おれが望んでも、誰もうんとは言わぬだろうな」
と、笑う。
それを見ると、任務後の佐助でも表情がほぐれるからだろう。弁丸自身も佐助も、自覚のないやり取りではあるが。
「まさか。若を嫌がる人なんて、いるわけないっしょ」
「……そ、うかな」
思わぬ返答にうろたえる弁丸だが、次は眉を下げ、「だと良いな」と苦笑した。
──その後は、佐助が茶を淹れ、彼の作った団子で一息となった。弁丸は旨い旨いと喜び、二人は久し振りのひとときを過ごす。
佐助は、やはり胸苦しいままだったが、辛いからなのではない。本当に辛いのは、もう二度とこう出来なくなること。
ゆえに、恐ろしかったのだ。
これが懸想というなら、彼を恨む。今や自分は、忍であることが命綱なのに。忍でなければ、ここにはいられない。…だが、そもそも彼でなければ、今ここにはいなかった。そして、居続けるには、
だから、これで良い。
分からないままで。
「決して手に入らぬものは、そうあるのだと……分別せねばな」
「…そうだね」
木の葉が舞う庭を見つめながら、佐助も頷いた。
彼女は、緊張していた。
長くこの道にいるが、今夜のような客は初めてだ。馳走も酒も興も頼まず、暗い灯りに変えた部屋の隅で、静かに佇んでいる。無人に思えるほどだった。
変わっている。こんな無名に、大金を払って。となれば、疑念から恐れも湧く。惨たらしい虐使をされるのではないかと…
「…どうも」
「っはい…ッ」
声が震えてしまい焦るが、相手は気を悪くした風でもなく、
「実は、あんたを買いに来たんじゃないんです。…手ほどきを、受けに」
「……あ…」
何だそうだったのかと、彼女はいくらかホッとした。妻を娶る前に、という客は珍しくない。
「ですが、私で宜しいのでしょうか…?」
金額にも気後れし、彼女は客を窺う。
未だに姿がよく見えない彼だが、初めて感情を動かした気がした。
「あんたは、客からとても想われてるね。…愛されてる。だから、お願いしたいんだ」
──教えて下さい。
それを持つ人が、その相手をどう抱くのか。
現では叶わなくても、夢の中であっても、本当はそうしたいんです。…犯すのではなく。
(あぁ…)
静かだが真摯な声と言葉に、彼女は自分の思い違いを知る。
『いつか、叶えば良いのに』…自身の望みと重ねてしまい、切に願っていた。
![](//img.mobilerz.net/sozai/160_w.gif)
‐2013.3.14 up‐
読んで下さり、ありがとうございました。
稚拙シリアスで…色々いたたまれんですが。不快にさせてたら本当にすみません(><)
最後の佐+モブは、佐助の気持ちをどうしてもそこでやりたくて。他人行儀にするため最初は全部敬語だったけど、違和感ありすぎた。弁丸は女じゃないけど、佐助は技巧以外のものを会得したいのだろうと。
女嫌いじゃなく、普段は仲間や武田猛者たちと軽口叩いてます。萎える薬は、自分用(精神的に自慰したくないとき)
いきなり佐→弁、前回と違う雰囲気申し訳ない。15〜18歳の多感期で、弁丸も大きくなって自分に近付いてくるから、いつの間にか。
昔なら、子供も飲酒いけるかなぁと。リラックスさせるため・祝盃のつもり。
お付き合い下さり、本当にありがとうございます。あと一・二話で終わる予定です…
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