猩々緋2






佐助を呼んでいたのは信玄で、弁丸が知れば『早よう行け!』となるだろうから、あえて言わなかったわけだが。


「先日の働き、見事であったぞ」
「は、ありがとうございます」

畏まる佐助に、信玄は顔を曇らせると、

「また多勢を担ったそうじゃな。…大事ないか」
「全て浅手です。俺が最も若くて速いんで、相応に働かねぇと」

「うむ…今は休めよ。お主らの力もあって、しばらくは出ずに済みそうじゃ」
「はい」

信玄が本当に気にしているのは、怪我のことではない。分かっていたが、それも彼は悟っているんだろうと、佐助はそう答えた。

弁丸との話を聞かれ答えると、厳しかった信玄の表情が緩んでいく。子供のあどけなさと、それを話す佐助の様子に。
平素の二人らしく、弁丸について親のように語り合った後、信玄は真面目な顔になり、


「お主のことは、向こうの長に頼み込まれておる。弁丸同様、息子同然に思っておるのだ」

「…またそんな〜…やめて下さいって」
「それで聞けばお主、何やら二の足を踏んでおるそうじゃな?」

「……い゙っ…」

まさかそんな嘘だろ長!と、顔色を変える佐助だが、

「『休みがないから』と、逃げておると?意外に初心(うぶ)で、驚いたわ」
「わーわー!ちょっと!」
「ちょうど良い、これを機にゆるりと…」
「だぁぁあ…ッ」

佐助は頭を抱え、かの長への恨み言を浮かべた。

術は全て網羅している佐助であるが、知識のみで実践経験のないものが、唯一ある。人の欲を餌に操る術はいくつかあり、その中の一つがまだ。


『…知っていれば、特に問題ないでしょう。だいたい、餌に気をとらせて操る術でしょ?自身が何かする必要は』
『お前、いくつになった?』
『……十八ですけど』

充分だろう、と長は息をつき、

『遅いくらいぞ。…花街は報の巣で、女は手厳しい。上手くねんごろにならねば、口もきかれぬわ』
『でも俺、いつも現場ばっか命じられますし、諜報はほとんど…』
『お前が頭角を現すつもりなら、全てに精通するのは必須だと思うが?』



(…だからって、お館様に言うことないだろ…!)


面目丸潰れに、佐助は信玄の顔も見られない。


「あやつの言うよう、里のおなごの世話になるのが無難と思うがのう」
「…絶対嫌です。無理です。向こうも嫌がるだろうし」
「うーむ…ならば、ワシが良い休み処を紹介してやろう。気立ての良いおなごが揃った」

「いやもう、ほんとに…」

げんなりした佐助の様子に、信玄は眉を寄せ始め、

「お主──薬師を呼ぶか?身体に毒ぞ、溜めたままは」

「…ちゃんと出来ますんで、ご心配なく」

何で言わなきゃならんのかと屈辱感に圧されながら、佐助はどうにかそこは主張した。


「長の言葉も分かってます。…己で会得するんで、気にされないで下さい。本当に」

「その際は、必ず報告…」
「冗談っすよね?」

「……」

黒い笑顔に、ちいっと舌打ちする信玄。分かった分かったとつまらなそうに応え、佐助を下がらせた。


(普通なら、喜んでやるがな……やはり変わっとるわい)


と、佐助が聞けば『あなた様には言われたくない』と返すに違いないことを、ぶつぶつ思う信玄だった。




………………………………




「佐助?」
「…んーん、何でもない」

ちょっとまた寄っただけと佐助は言い、「じゃあ」と消えた。


「…?」

弁丸は小首を傾げ、再び書物を開く。

腹の虫がぐうと鳴ったが、それに気付かぬほどなのか、目をつむり小声で復唱していた。














「弁丸…、弁丸…」


(ん……)


夢から現に引き戻され、弁丸がぼぅっと目を開けると、

「…っ、──様!」

「すまん、寝ていたものだから」
「あ…ぁあ、すみませぬッ…」

慌てる弁丸に、相手の彼は優しく笑んで、

「約束に遅れた俺が悪いんだ、気にするな」

と腰を下ろし、徳利と盃を置いた。
灯を点け障子から離れた奥へ運ぶと、部屋はごくごくほのかな明るさになる。

刻は深夜で、屋敷全体が静寂と闇に落ちていた。


「お言いつけ通り、人払いは致しました」
「俺からも言ってある、安心してくれ。まぁ、一杯やろう」
「っあ、ありがたく…」

注がれた酒を二三酌み交わすと、男が弁丸の肩と手を掴み、自分の胸に引き寄せた。
白い肌着の上へ手を伸ばし、そのまま帯に指を掛ける。

「…っ…」
「この日を、どれほど待ち望んだか…」
「あ…、──様」
「顔を見せてくれ…」

俯く顔を上げさせると、弁丸の瞳は戸惑いや緊張に潤みを帯びていた。扇情的にも見えるそれに、欲が一層掻き立てられる。
髪に鼻を埋め匂いを堪能し、目元や頬に唇を寄せていく。舐めたり柔らかい肉を甘噛みすれば、弁丸がくすぐったそうに笑った。

「ふっ…く、ん…」
「はぁ…美味いな、やはり。待っていろ、早くこれで…」

男は性急に自身の帯を緩め、中に片手を差し入れる。荒くなりつつある息で、下を脱ぎかけたが、


(……!?)


ビシッ…と固まり、不測の事態に止まった。
自慢のアレが、極寒時のごとくやる気を失っている。触っても反応がない──何故!?

初めてのことだ、これには剛胆な彼にもかなりの衝撃で、心痛も大きかった。
目の前の彼はこんなにも愛らしく、俄然燃えたぎっていたのに、何故にこのような…!



「……」
「──様?」

その面持ちを弁丸が窺うが、彼は帯を締め直すと、

「…今夜は、これまでとしよう。……無念だが…」
「え?」
「いや、こちらのことだ。…また明日な」
「は、…あっ、お休みなさいませ!」

起き上がり、弁丸は急ぎ頭を下げる。
緩んだ帯紐の下から脚が覗き、男は涙を飲みながらも、颯爽と部屋から去った。

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