勿忘草5
その日、信玄は政務の息抜きに、屋敷の屋根へ登っていた。
「失礼します」
「むっ…?」
突如現れた人物に警戒するが、
「なんじゃ、お主か」
「はっ!真田忍隊、猿飛佐助と申します」
「報告か?何ぞ変わった動きでも…」
「いえ、何の命も持たず参りました。長の許しもなく、勝手に」
佐助は、ガバッと額を瓦に着けると、
「お願いがあります!どうか私に、真田の若様の影をお申し付け下さい!」
「──なんじゃと?」
信玄は呆気にとられるが、佐助は微動だにせず姿勢を崩さない。
弁丸が来て数日が経ったこの頃、信玄にも、彼の育て甲斐が分かりつつあるところだ。
だが忍を付けなくとも、良い従者は用意した。こちらの意向を疑ってのことかと、信玄は厳しい目を向ける。
「どういうつもりじゃ、ワシがあやつを害するとでも」
「そうじゃない、俺はただ…っ」
佐助は顔を上げ、
「仰る通りに、してみたくなったんです。…仕える主を自分で選んで、悔いのない…って、あの…」
………………………………
「…お主が出たことを、他の者は気付いておらんのか」
「間もなく着くかと。こちらに参ると、書き置いてきたので」
「…ワシが断れば、お主はどうなる」
「罰を受けます」
「……どんな罰じゃ」
「死に値する」
「!!」
信玄は目を見開き、「ワシを脅す気か?」
「まさか」
佐助は、だがこんなときなのに、吹き出してしまい、
「何故、そんな風に思われるんです?そんな……まるでご自分の友人か、親兄弟に対するような」
「むん…?」
深く考えたこともないそれを指摘され、信玄は少々面食らう。佐助は、「すみません」と謝り、
「似ておられるんです、真田の若に。…俺、初めてこんな違背をしでかしました。一度も逆らったことのない、仕事以上をこなす俊英なのに」
「…自分で言う奴があるか」
渋い顔を保っていた信玄だが、彼もまた、つい口元を緩めてしまった。
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──という経緯があったのは、決して言わないが。
…そんな、飼い主へ必死にすがろうとする、捨て犬のような真似など。
第一、まだ『主』なんて器でもないし、自分ほどの逸材がそこまでする相手じゃないのは、誰がどう見ても分かる事実だというのに。
なのに…
「まことか…?」
弁丸は涙を止め、濡れた瞳でじっと窺ってくる。夢の中にいるような、半信半疑の色を浮かべて。
「本当だよ。ただこっちはもっと任務多くて、向こうとの連絡役も正式に命じられたから、前より忙しくなるけど…」
「まこ…まことに──…さぁすけぇえ…!!」
「え、ちょっ、…な…っ?」
またドボドボと流れ出した涙に、佐助は目をむき、
「そ、そんなに怖かったの?もう大丈夫だって、ほら俺様来たじゃん!帰らないから」
「…ちが、うぅ……うれしいのだッ」
「はい?」
「っう、っすごく、うれしいから…うれしなきは良いと、父上もおっしゃった…っ」
(嬉し泣き──)
…なんてものは、初めて聞く佐助。嬉しいのに何で泣くわけ?と、不思議でならなかったが…この顔は、確かにそう物語っている。
それで、何故嬉しいのかといえば、
(…もう良いか)
自分に話さなかった理由は聞けた。
本当は分からなかったのではなく、思っていたのだ。彼にとって、自分はその程度のものだったのだなと。
だが兄の話を聞き、その時点で信玄に頼み込むのを決意した。そのときは弁丸のことしか頭になかったが、後でまた似た思いが湧いた。『兄や家が最優先なんだな』と。
それは当然で、既に立派な考えだと、褒められるものなのに。
自分のことは、少しも思わなかったのか。あんなに呼んで離さなかったくせに、やはりそんなものか。…自分がどんな思いをするのかは、全く考えなかったのだろうか…
など、数日は苛々悶々していたのだが。
二度の涙に、全てあっさり消え去った。
「ほら、顔拭いて…他の人にバレたら恥ずかしいよ?」
「んっ…んぐ、っぶぉ!」
「ぶっ…!やめてよ、どこの猪?」
止みつつある嗚咽でフゴフゴ言う弁丸に、佐助は思いきり笑ってしまう。
こんなにおかしいのは、初めてかも知れない。彼には、幾度もそう思わされたが。
だというのに、弁丸はまた嬉しそうに笑うのだ。泣(鳴)きながら。
やっぱり変な若様だよな、そんな身分には見えない、ひっでぇ有り様…等々浮かびつつ、
「これからまたよろしくな、佐助!」
「こちらこそ。…主様」
──すごく可愛らしいな、と思う佐助だった。
‥余談‥
「隊の皆が、弁丸様に弁丸様にってうるさくてさぁ。若が大きくなるまで、必ず健在でいますってよ」
「うぉぉお、皆…!!」
弁丸は両手を上げ、感じ入ったようにプルプル震わせる。
鍛練後の水浴びの後で、佐助は気だるそうにそれを見ながら、
「若、こっちの忍にも優しくて、人気だよね…そんなに忍がお気に入り?」
「え?」
「前から思っててさ、何でかなぁって」
「何故って…」
弁丸はキョトンと首を傾げ、
「佐助が忍だからだ」
「…うん?」
同じように首をひねる佐助に、弁丸はもう一度考えて、
「佐助が忍だから、多くふれたいのだ。皆の無事も、ねがわずにはおられぬ。…彼らが帰るたび、佐助も大丈夫なのだと思えるゆえ」
「……」
「佐助?」
「…じゃ、忍が好きってわけじゃないんだ」
「んっ?」
「いんや、何でも」
「…?」
また不思議に思う弁丸だが、佐助は悪くはない機嫌に見えた。
それから数日、彼手製のお八つが倍の量で出されたので、文句なしだった。
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‐2013.3.7 up‐
読んで下さり、ありがとうございました!
無茶背景はスルーで(^^; 史実で父と兄が若年時に武田の人質になってるのと、お館様の天下統一平和論は、bsr幸村漫画のを参考にさせてもらいました。
長いし、佐+モブが多くてすみません。縮められず(+_+) 追っかけるベタ展開といい。
幸村は父が大好きで(某漫画の設定)、兄は好人物で背が高いという史実イメージから、つい食い込ませてしまった。(間違ってたらごめんなさい) 母上は、弁丸への接し方が分からず、避けてるイメージ。あと、忍隊は弁丸(幸村)様親衛隊が理想。
次はまたこの二年後くらいで…まとまってなくて、二話にするかどうか。ほのぼのは絶対入れるつもりですが、雲行き色々怪しくなる予定。
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