勿忘草3







『皆が皆らしく笑い、好きに生きられる──』



……だから、どちらの町の人々も、ああいう顔付きでいるんだろうか?
彼に仕える真田の殿があのようにあるのも、周りの皆がそれを慕うのも。


(ちょっと似てたな…)


弁丸も、普通ではない考えでよく自分を閉口させる。そのときに湧く複雑な気持ちも、今回のとどこか通じるものがあるような。
ただ、やはり将来についての話は、とても考えられそうにはないが。

戻った佐助が弁丸を訪ねるべく出ようとすると、その前に長に呼び留められた。


「急だが、弁丸様の護衛は終いが下された」
「──え」

佐助は不意打ちを食らわされ、唖然と止まる。
が、長くはかからず、

「そ…ですか。……若、駄々こねなかったんですね」
「なさっても無駄だからな。出立は三日後だ。何かあれば、それまでに済ませておくのだぞ」

「出立?」

また佐助は戸惑うが、長は「ああ」と頷き、


「武田へは、弁丸様が参ることになった」











『なっ…、ぜです?いきなり急に』

『弁丸様も遜色劣らぬ御方だ。決するまでに、殿と武田の考えが変わったのだろう』
『変わったって、そんな』

『お前がどうこう言えるものではない、早よう弁丸様のもとへ上がって来い』



(そりゃそうだけど…)


彼は、弁丸の性格を深く知らぬから、ああ言えるのだ。父と兄に近付けるよう、また周りを認めさせるよう、実際より背伸びしていることを。

本当は、未だに幼子の遊戯に興じたがる、お八つは際限なく欲しがる、実母の命日には必ず添い寝を求める、母と兄の睦まじさに密かに憧れている甘ったれで、鍛練を思いきりこなすには、彼が自分をさらけ出せる相手の補助が必要で、それは、

…とにかく、そんなのは彼に向いてない。
今頃、寂しさや怖じ気で涙しているに決まっている。誰にも言えないから、きっと部屋に閉じ籠もって、一人きりで。



「若、良いですか?」
「!佐助っ!」

弁丸の承諾が降り、佐助が障子を開けると、

──予想は外れ、彼は泣いてはいなかった。それどころか、


「聞いておどろけ!?それがし、武田に上がることになったのだ!」

彼は燦々と輝く顔で、両拳に力を込め、

「元服するまで、叶わぬと思っておったのに…!父上の名に恥じぬよう努めなければ!」


その周りには、希望と期待と…明るい光が満ち溢れ、陰の一つも見られない。
弁丸は、父親からこれを聞かされたときの驚きや喜び、新天地への心意気などを朗らかに語り、楽しみで仕方がない様子。

佐助は、肩から力が抜けていくのを感じていた。


「…おめでとう。良かったね、若」
「ありがとう!早よう佐助から聞きたかったのだ、それを」

弁丸ははにかみ笑い、「これまで、本当に世話になった」と頭を下げる。

「そんなの…」
「それがし、必ず立派なもののふになるゆえ。佐助も息災で、お家や皆をたのむな」

「あ…うん。若も、気を付けて」

「佐助の言葉を、しっかり持っておく。きっと、病一つかからぬよ」


それからいくつかの会話の後、出立の準備に家人が来たので、佐助は下がった。













二日などは瞬く間に過ぎ、準備に忙しい弁丸に会わぬまま、早くも出立の前夜になった。


「いつまでふて腐れておる、いい加減挨拶しに行かぬか」
「…今は宴中ですよ。あと、違いますから。ホッとしてるっつったでしょ」

同朋らの声に、佐助は穏やかでない雰囲気で言い返す。何度もしつこくされれば、こちらもいい加減そうなってしまう。


「挨拶はもう済ませました。他の用もないし」

あの様子は予想外だったが、慰める手間が省けてこちらも助かった。
よくよく考えれば、ずっと夢見ていたのだ、あれが当然の反応である。それに比べれば今までの甘えなど、浮かびもせぬ些末なものだったろう。

早く育ってくれと胸中で文句を垂れていたが、いつの間にか、考えるより大人になっていた。変わってないと思っていたのに、ハッとするほど顔付きも。


「お前も、随分人らしくなったものだ」
「なぁ。背丈とは逆に、前より童子に見えるわ」

「…長、何とか言って下さい」

が、彼も「素直になれ」と苦笑するばかりで、頼りにならない。
その内、同朋たちはしんみりし始め、

「聞こえは良くとも、実のところは質に捕られるのと同じぞ。忠誠の証としてな」

「……え?」
「何かあれば、あっさり手打ちに…」

「手う──」

「馬鹿を申すな、武田と真田に限って有り得ぬ」
「…です、よね」

「しかし、元々は兄君の予定だったのが……もし、向こうの付き人の反感を買っていれば…」
「味方もおらぬ地で、冷たく扱われて…」
「ああお痛わしい、弁丸様…」


(何それ、聞いてないんだけど…)


佐助の心を悟った長は、「案ずるな」と、

「不興を買っても、拳骨程度よ。弁丸様も承知のこと、殿から重々諭されておる」


「…はい」

見るからに上の空で返事し、佐助は棲み処を出た。









屋敷に来てしまったものの、弁丸は既に宴を退席しており、寝所の灯は消えていた。


(…戻ろう)


長もああ言っていたし、自分が何をしても何にもならない。分かっているのに、何故来たんだろう。自身の行動を諫め、佐助は踵を返す。
すると、廊下の角から弁丸の兄が現れ、

「良かった、これを渡してもらいたくてな」
「いえ、私はもう…」

佐助はやんわり断るが、彼は「頼む」とそれを渡してくる。──御守りだった。


「私と同じ物だ。…昔、母上から頂いた。弁丸には、ずっと渡せなかったのだと」

「……それは…」

御守りを手に、佐助はしばし言葉を失う。
だが、やはり彼の方に戻し、

「直に渡された方が、絶対喜ばれますから」
「しかし、」
「明日の朝でも、折はあります。…どうか」

「……」

佐助の表情に、彼は「…すまぬ」と御守りを引っ込める。
ほんと兄弟…と、佐助は陰で苦笑した。


「何か、やっと実感湧きました。…弁丸様、行っちゃうんですね」


「…、……」

言葉を探す彼に気もやれず、佐助は弁丸の部屋を見つめる。


翌日、弁丸は滞りなく武田入りを果たした。

[ 11/29 ]

[*前へ] [次へ#]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -