勿忘草2


明日は仲間数人で、集めた情報の報告のため、真田家が仕える甲斐武田へと赴く。
武田からの命は日頃多く受けるが、佐助が向こうを訪れるのはこれが初である。

弁丸が知れば、大いに羨んだことだろう。主である武田信玄は豪傑名高く、父親が畏敬を注ぐ相手だ。
佐助が来るより前に一度だけ接見し、弁丸は父親の気持ちが、過ぎるほどに分かったらしい。鍛練に身が入るのも、彼の存在が一にあるようだ。

その彼と新たな地にお目にかかるのは、佐助も少なからず興が湧いていた。



「よーく言い聞かせましたけど、もう甘い顔しないで下さいよ?」

弁丸の話を伝えると、先輩忍らは苦笑し、

「怖がらず無邪気になさるんで、ついな…」
「だが、良い思いをさせて頂いた」
「まことよな」

皆深く頷くと、

「どうせ仕えるなら、ああいった御方が良い。働き甲斐もあるというものよ」
「外より戻って、あんな風に喜ばれるなど…のう?」
「ああ…」

「…ちょっとちょっとぉ」

心なしかほわわんとした彼らの表情を、佐助は恐ろしげに見る。いつの間に、ここまで感化されていたんだと。
彼自身が、最もそうであることにも気付かず。

この二年で周りの目が和らいだのは、その仕事振りからだけではないというのに。


「じゃあ代わってみます?んな良いもんじゃないって、すぐ辞めたくなりますよ」
「なら良かったではないか、役目も終わりそうであるし」

「え?」

佐助の聞き返しに、先輩らは「そうだな」と頷き合い、

「先ほど耳にしたが、兄君の武田入りが決まったそうだ。最近弁丸様のもとへいらっしゃるのは、きっとそのためだろう」

「兄君派の者たちも、彼がいなくては気が萎えようて。よって護衛も…そもそも、お前が就く前には収束していたしな」
「弁丸様ももう九つ、他にも従者はおる」


「──そう…、ですね。……そんな話に…」

佐助は呆けた調子で返し、ここに来て告げられた言葉を思い出す。
『「何も無ければ」、期間は自身の命尽きるまで』は、真田の忍としてだけでなく、弁丸の影としてもそうだったのだ。


(そっか…)


今さら分かりながら、良かったなと浮かぶ。これで弁丸も、唯一の若君として見直されるだろうし、うまくいけば母親とも近寄れるかも知れない。
自分が傍にいなければ、忍も遠い存在になる。今のような考えも忘れ、巧い使い方を学んでいくはずだ。


「これで荷が降りますよ」
「そうか?」

彼らは目を細め、「会えなくなるわけではないのだ、そう落ち込むな」

「……はぁっ?」

唖然となるが、彼らは含み笑いを残し、姿を消した。



「…って、」


(そりゃ、若の方でしょーが…)


兄上が兄上がと、あんなに喜んでいたのに…知ったらどれだけ気落ちすることか。しかも、その後佐助も離れるとなれば。──絶対に泣く。賭けても良い。

で、結局しばらくは様子見、とでもなるんだろう。どうせ。弁丸に甘いあの殿様を思えば、その線の方が濃い。


(……何だ。考えて損した)


思い改め、佐助は寝床に臥した。














──でっかいなぁ…


翌日の晴天の下、佐助は屋根の上で武田の城下を眺めていた。
到着後すぐに信玄に報告し、先輩忍らは他の家臣との所用中。佐助は待機していろと言われたので、ここで武田の力を見渡すことに。

さらなる立派な屋敷には、本当に目を見張る。城下町も賑わっていて、佐助のよく知る地と似ている気がした。ここを倣ってのあちらだろうから、当然と言えばそれまでだが。

この大きさは、正にあの風格にぴったりだ。弁丸の言う通り、彼は山のように大きくいかつくて、……赤かった。


「どうじゃ、良いところであろう?」

「…何やってるんですか?」

つい言ってしまい、『ヤバいかな』と思う佐助だが…無理もない話である。
背後に寄る気配が、まさか本当に先ほど見上げていた相手だったとは。

気にするなと笑い、信玄は佐助の隣へ歩み寄った。


「時にお主、将来はどのように過ごしたい?忍の里に戻り、根を下ろすのか」
「はい?」

佐助は瞬かせ、訝しげに彼を見る。
将来?根を下ろす?どちらも、あまりに非現実的な言葉だ。

「最期まで、真田のもとに在る命を受けています。それ以外は、考えもつきません」

「なんじゃ、若いのに夢がないのう」

信玄は、嘆かわしいといった風に言い、

「ワシのはな、戦を終わらせ天下を平定し、二度と血の流れぬ世を築くそれじゃ。皆が皆らしく笑い、好きに生きられる温かな世を」

夢でなく必ず遂げるが、と強調する。


「……」
「だからのう、考えておいた方が良いぞ?成した暁には、忍らも放すつもりでおるのだ。皆、自由にやれば良い」


(自由に…)


そんなことが、本当に実現するんだろうか。自分たちに、他に何ができると?今の仕事がなくなれば、どう生きていけば…

急に心許なくなり、佐助は珍しく焦燥に襲われる。
が、すぐに意識が削がれた。信玄の、豪快な笑い声によって。

「そう考え込むことはない。お主らの知識や技は、元々日々の生活から芽吹いたものじゃろう?どんな道も選び放題よ」

「え、はぁ…」
「薬師でも物作りでも何でも…新しい忍道を成すというのも、面白そうじゃな」

「…ですが、このような手では」


──やはり、ない。
許されるわけがない、自分にそんなものが。

佐助は苦笑するが、


「馬鹿者、戦に出る者は皆がそうよ。…お主、一味違うようじゃな。そのように心を痛めておるのだとは」

「はっ、え?いや、あの」
「その装束も、大勢の中の一つではない、個であろうとする思いの表れじゃろう」

ビシッと指摘し、信玄は一人『うんうん』と首を縦に振る。


「命だからと意にそぐわぬ所に居続けるのは、まこと愚かぞ。ぬしらのような者こそ、本心から仕えたい主を選び、悔いのない在り方をせねば。…ワシが成すまではな」


『──…』

下で信玄を呼ぶ声が聞こえ、彼は佐助を残し、意外にも身軽そうに屋根から降りていった。

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