淡香3
佐助が外に出ると、入れ替わりに家臣らが屋敷へ入っていく。息子は何とか立ってはいるが、まだ気分が悪そうだ。
「薬を飲まれますか」
「…良い」
彼は唸るように言い、
「うちに出入りしていた方も、何人かいた…」
「内偵でしょうね」
「…お前、親しげに喋っていただろう。気付いてのことか?」
「いえ、居所を掴んでから知りました」
「──…」
息子は言葉を失った後、これ以上ない蔑視の目を佐助に向け、
「その形(なり)はまやかしか。……化物め」
そう吐き捨てると、佐助の前から去った。
「………」
「悪く思うな。あれにはまだ、お前らが人に見えてしまうのだろう」
父親も二人のやり取りを見ていたようで、苦笑気味に詫びた。もちろん、本気の謝罪であるわけはないが。
「──いえ。忍には褒め言葉ですよ」
佐助はにっこり笑むと、最後の片付けに専念した。
血に濡れた上衣のみを処理し、佐助は慣れた森の道を駆けていく。
もう真夜中に近かったが、見えた真田の屋敷は、数ヵ所明かりが灯っていた。
任務の成功に弁丸の父親は安堵し、佐助の功績を称えた。側には長も控えており、同じように目で頷く。
「ご苦労だったな。明日はゆるりと休め」
「はっ…ありがとうございます」
報告も手短に済み、宣言したより数日も早く終えられた。
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廊下へ漏れる明かりに、『またか』と息をつく。寝る前に消せと何度も言っているのに、佐助の目がないといつもこうだ。
弁丸の部屋の障子を静かに開け、中の燈を消そうとした佐助だが、
「…ん──…あっ!」
「(げっ…)」
「かえったのだな、さすけぇ!」
「っ!?ちょっ、と…ッ」
しまったと思ったが遅く、目を覚ました弁丸に飛び付かれ、佐助は大きく身をそらした。
「離せッ、ほんとに汚れっから!」
「ぅあっ…」
厳しい声と、異臭にも戦いたのだろう。弁丸はビクリとし、佐助から離れる。
目には見えずとも、浴びた血は中の着衣にも染みている。来るんじゃなかったと、佐助は後悔に沈んだ。
「…灯…ちゃんと消さなきゃ」
「………」
「ごめん、怖がらせたね」
「……っ…」
弁丸は首を振り、佐助の手を片手で握る。遠慮がちに、また震わせながらのそれには、佐助も拒否できなかった。
…怖いなら、無理しなくて良いのに。そう思うと、肺の辺りが急に痛み出す。
自身の血は大して流さなかったが、打ち身はいくらかした記憶がある。意外と深いのかと、そこをギュッと掴んだ。
「いたむのかっ?」
「…いや」
「だが、けがをしておるのだろう?血が…」
「俺様のじゃないよ」
それを聞けばもっと怯えるかと思いきや、弁丸は安堵したように力を抜き、
「良かった…あんじておったのだぞ。にんむは、忍のいくさであろう?ながきにわたれば、かえらぬものも多いというから」
「…ぇ……あ、」
「灯をけさぬのは、さすけがにんむのときだけだ。まっくらであれば、みちにまようかも知れぬと思うて…」
「………」
黙る佐助に、弁丸は『やはり痛いのだろうか』という案じ顔を向ける。
いつの間にか佐助の痛みはなくなっており、次いで静止していた己に気付いた。
「俺様、真っ暗闇でも見えるって…言わなかった?」
「そっ…う、だが、」
「──ありがとう」
「…!?」
弁丸は目を丸くし、今のは空耳かと疑う。
どうしてそうなるのか、いやそれより驚いたのは、弁丸がさせたのではなく、彼の方から言われたのが初めてだったからだ。
肝を抜かれる中、弁丸はその言葉に『あっ』とそれを思い出し、
「こちらもありがとう、さすけ!」
「はい?」
「にんむすいこう、かんしゃすると言っておる」
「…え、何で?」
当惑する佐助に、弁丸は「だって」と、
「にんむは、国とうちのためのものだろう。それがしとみなを守ってくれた。だから、ありがとうだ」
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「さすけ?」
「…あ、ううん」
佐助は顔を上げ、
「そっか……知らなかったな。あれって、そのためだったんだ」
「知らなかったのか!?」
弁丸は唖然とし、「き本の『き』だぞ?」と、また目を見開く。
そうなんだ、と佐助は応え、
「…さすがは、俺様の主だねぇ」
「!!…あ、あ…!そうだろう…っ」
弁丸は誇らしそうに頬を緩め、少し朱に染めた。
それを見た佐助の頭に、あの言葉が浮かぶ。出立の前夜に聞いた、長の一言が。
そのときの彼の顔も浮かび、だからああなるのかと…思った気もした。
「じゃ、もう戻るから。起こしちまって、本当にすいません」
「あ、待てっ」
「ん?」
出ようとした足を声に止められ、佐助が振り返る。弁丸は、「これもぬかるところだった」と急いで、
「おかえり、さすけ!ようもどったな!」
今まで、ずっと言い損ねたからと。
もはや達成感なのか、弁丸は、ほうっと大袈裟な息を吐いた。
「……あー…」
佐助は遅れて呟くと、「ただいま…?」と返し、外の闇に消えた。
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