春の戸
【蝉氷(せみごおり)】蒼→紅
パシャンと、水の飛び散る音が響く。
気だるく縁側に座り、煙管を咥えたままでついと視線を動かせば、池の氷の割れ目から魚が飛び出している光景が見えた。
所々に雪が残る庭の中、ようやく薄くなってきた氷を割らんばかりに飛び跳ねている魚の鱗が、陽の光にキラリと輝く。
その様子が、白い景色ばかり見ていた己の視界に眩しくて。
「魚上氷(うおこおりをいずる)か、中々洒落てるじゃねぇか」
ニヤリと笑うと、政宗は庭へと降り立った。
相変わらず空気は冷たく、吐く息は白い。
暦の上では春といえども、奥州にはまだ寒さが残っている。
それでも、魚が跳ねるほど池の氷も薄くなっていると思えば、春の足音が少しずつでも近づいてきているのだろう。
「そろそろ、竜の眠りも覚める頃だな」
そう言うと、再び煙管を咥えた。
竜が長い冬を待ち続けた先に望むは、甲斐に眠る若き虎。
この身を焦がすほどの燃える闘志は今すぐにでも彼の者を手に入れたいと叫んでいる。
「容赦しねぇぜ、真田幸村」
政宗が不敵に笑えば、それに応えるかのように再び魚が跳ねた。
弾け飛ぶほどの生命の躍動が光り輝く様は、焦がれた男の透きとおった瞳の輝きを思い起こさせる。
「暑っ苦しいその命を喰らうのは、俺だ」
彼の者が纏う紅を想いながら吸った煙は、いつもとは違う味だった。
【花筏(はないかだ)】緑→紅
―――美しいな
ふと、声が降ってきたような気がして、佐助は顔を上げた。
視界に広がるのは桜の枝。
深夜、密偵の帰りに通った山桜は今が満開だった。
例え月の光が無くとも、夜眼のきく佐助にとってこの桜はやけに明るく視界に光る。
ひらりひらりと舞い落ちて己にまとわりつく花弁を手で払いながらも、彼はじっと闇夜を照らす花明りを見つめ続けた。
かつて、この様を「美しい」と言ったのは己ではない。
忍びとして生きる己は美しいと感じる心すらも捨て去っていた。
そんな己の前で、主は微笑みを浮かべてこの花を愛でた。
――俺様はそういうの、分からないよ。何が美しいのかすら分からない
――ならば、まだ佐助が美しいと思えるものがないだけだろう。そんな難しい事ではないと思うぞ
ポツリと呟けば、あどけない瞳で返された。
――そんなに好きなら、座ってじっくり見ればいいじゃん?
立ったままで見上げ続ける主にそう声をかければ、
――根本に陣取ってしまうと木を傷めてしまう。この美しさを堪能するために、その寿命を奪ってしまうのは罰あたりと言うものだ
と、こちらを見ずに断られる。
ひらりひらりと舞い散る花弁。
その花弁を纏っていくことも厭わない主。
不愉快な気持ちになったのは、主が桜に魅入られたことに嫉妬したからではなく、その桜よりも主が輝いて見えたからだった。
「まだ美しいと思えるものがないだけ」と言われた矢先。
膨らんでいくこの感情が、都合が良すぎて仕方がない。
花を美しいと感じる心などない。
ほら。その証拠に、独りで見る桜はただ薄ぼんやりと鈍く光っているだけ。
主がいて初めて景色は溢れんばかりに光り輝くのだ。
「……馬鹿馬鹿しい。葉桜になれば、見向きもされないくせに」
己の感情を見たくはなくて、桜の木に背を向ける。
足元に流れる小川では、散った花弁が水面を染めて、流れ消えていた。
↓ゴマ様の【訳】より抜粋
昔使われた季節を表す日本の言葉が好きで、今回使わせていただきました。(『魚上氷』も『蝉氷』も2月頃の言葉)
関係性も描きやすい感じで書かせていただきました。
NL・BL・GL問わず、友達でもない・恋人でもない関係が好きです。しかしそうなるともうLOVEじゃないじゃんっていう←
淡々とした話になってしまいましたが、楽しんでいただけると幸いです<(_ _)>
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