空蝉(うつせみ)2


 ある日。鍛錬を終えた主は縁側で昼寝をしていた。


 何時までも耳に響き続ける蝉の声。

 己の皮膚を撫でる光。

 ひんやりと心地よい床。

 それらをあるがままに受け止めて、彼は夢と現の間を彷徨っていた。


「真田、幸村」

 その時、特別な声が己を呼んだ気がして、彼はゆるゆると瞼を持ち上げる。


「貴殿は……」

 主の目の前には、焦がれた男の姿が見えた。

 蒼い装束を身に纏い、相変わらず不敵な笑みを浮かべて己を見下ろしている。


「久しぶりだな。近くまで来たから、寄ってみた」

 そう囁く声も、彼そのもの。


 しかし、主はそっと微笑むと首を振った。

「面白い悪戯を思いついたな。佐助」

「……どうして、分かったの?」


 好敵手の姿のまま、声だけ男の声で問えば、主は起き上がって着崩れした着物を直しながら唇を動かす。

「簡単だぞ」

 変装を解いた男の表情は、顔を俯むかせていてよくは見えない。

「佐助は、どんな姿をしていても佐助だ」


 そんな主の言葉に、男はゆっくりと顔を上げた。

「……今まで、俺の変化に気づいた事なんてなかったのに?」


 その言葉で振り返った主の無邪気な笑顔は、男の顔を見て凍りつく。

 日の光に曝された男の眼は、静かに、確実に壊れていた。


「さ…、さすけ?」

 「どうしたのだ」と言う言葉も、主の口から消えた。

 足音立てずに近づいたと思えば、男は主を押し倒していた。


 ひんやりとする、固い床。

 回転した視界。

 目の前にいる男が、目映い太陽を遮って陰になる。


「さ、す」

 恐怖で声が出ない。


 今まで、主は男のことを片陰のような存在だと思っていた。

 暑い夏の道に作られる、日射しや熱気を遮る日陰や涼しさのような存在。

 しかし、影が光に曝されると、そこに潜んでいたのは途方もない狂気。


「ねぇ、旦那。どうして俺だって解ったの…?」

 いつもよりもあどけない口調で問いかける男。

 けれど、その顔は能面のように生気がない。


 主は、男の冷たい顔を見て泣きそうになった。

 闇の中で生きていた男の肌はなんと不健康で白いことか。


 男は、ずっと、光というものを教えられずに生きてきたのだ。


「ねぇ……。俺が特別だから、俺の変装に気づいたの? それとも、贋者が分かるほどに、あの男に夢中なの?」

 狂気を押し隠した声音で問う男。


「もし、政宗殿の存在が特別だと言ったら、どうするのだ?」

 恐怖と同情で胸が潰れそうになりながらも問いかける主に対して、男は冷たく笑った。

「決ってるでしょ? 旦那以外の存在なんて、何にも要らないんだ。俺から旦那を奪った男に対して、タダで済ませるわけないよ」

「……ならば、お前を選べば、お前は昔のように戻ってくれるのか?」


 主の掠れた声を聞いて、男は大きな声で笑い出した。

「なんで元に戻らないといけないの? やっと旦那を手に入れられるんだよ? 誰の手にも届かない、2人だけの世界へ逃げるに決ってるじゃない」

「2人だけの、世界……?」


 理解に苦しむように呟けば、男は満足そうに頷く。

「遠い遠い場所の山奥に隠れて、2人だけで暮らすんだ。身の回りの世話は今まで通り俺がするよ。旦那は、何も、心配しなくていい」

「そん、な」

 主の瞳に絶望が灯る。


「ねぇ、旦那。……嘘は、駄目だよ?」

 主の大きな眼を覗き込んで、そっと頬に触れながら男は囁きかける。

「だから、これから旦那の言うことは全て真実だと。……信じて、いいよね?」


 灼熱の大地。

 照りつける太陽。

 風の死んだ空気。


 何もしなくても身体に熱が籠るはずなのに。

 主は、己の身体がどんどん冷えていくことが解った。


「嗚呼」

 冷たく強張った肢体を抱きしめて、男は吐息をもらす。

「旦那はどんな姿も綺麗だね」


 ペロリと首筋を舌でなぞり、クスクスと笑う。

「汗も、美味しいんだ」

 悲痛な面持ちの主を優しく抱きしめて、男は壊れた様に笑い続けた。


 ジワジワと、狂気が主の身体へと伝わって行く。

 判断を失くしていく思考の中で、只、逃げられないという事実だけが思い知らされて。


 微かに開かれた唇から零れる、主のか細い声は蝉時雨に溶けて、消えた。








(感想&お礼)

サイト一周年のお祝いに下さいました!感謝・感激でございます^^

妄想リクは、蒼紅の出会い後佐助がモヤモヤし始めて、気持ち探るために政宗に変化すると、一発で見抜かれて…

理由は、「政宗は唯一の存在だから」と「佐助を間違えるはずがない」のどちらなのか。
「さぁ、どっち?」って終わり方も怖くて切なそうだし、前者を言われて完全闇になるのか、後者を言われたけど実は…とか

そんなあやふやなものを、こんなにも綺麗にして下さって(T∀T) 静かに育っていく狂気に、どっぷり魅せられました。蝉のぬけがらを使うなどの演出が素敵。タイトルとのリンクも。

自分は主によって生まれ、主は彼によって生まれた。…で、行き着いた佐助の想いが切ないです。
今まで分からなかったのに、政宗のときだけ。幸村は、佐助だから分かったんだと思い込んでるけど、佐助には決定打でしたよね。

じわじわ追い詰めるとこが、ホント彼らしい。「真実だよね?」とまで。政宗を選べば彼を亡き者にされるし、佐助を選ぶしかない。政宗に焦がれていたのに…って結末と、

本当に佐助を想ってるのに、そうだと言っても奥底では信じてもらえない上に、佐助はもう元に戻らない…って結末。どっちも予想できて美味しい。

佐助のヤンデレ具合に終始ニヤニヤでした。これからは二人だけの世界(´∀`)

ゴマ様、本当にありがとうございました!

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