分別盛り(後編)15



「……」

 いつまでも、政宗は彼が出て行った扉を見つめていた。


 彼が出ていく外は光に満ちていたのに対して、その扉が閉まったこの部屋はなんと暗く陰鬱としているのだろうか。

 煙草を取り出すことも忘れて、政宗は幸村の姿を思い浮かべる。


 いつも彼は清らかで繊細で、その透明な雰囲気を己の中に閉じ込めてしまいたいと何度も思った。

 彼と己を取り巻く全てを取り払って、2人だけの世界を生きたいと、本気で思った。


 けれど、それはもう叶わない。


「……幸村」


 初めて、彼の名を呼んだ。

 彼という存在を表す言葉ですらも神聖な響きを孕み、政宗の空っぽの胸に墜ちていく。


 もしも、その名を彼の前で呼んでみたのなら、2人の関係は変わっていたのだろうか?

 今も、傍で己の作品を見てくれたのだろうか?

 いいや、見てくれなくても構わない。


 ただこのアトリエにいてくれたのなら、彫刻だけでなく、己さえも変われると思った。


「……俺は」

 痛いほど、思い知る。


 そう、本当は身体を求めているのではなかったのだ。


 彼と共にいたかっただけ。


 何もしなくても、名前を呼びあい、傍にいられたのなら。

 けれど、己の心の叫びを見て見ぬふりしてきた自分は、独占欲と色欲に囚われて、彼を傷つけた。


 そうして、去らせたのだ。

 己の本心を伝えられないまま。

 悦楽と背徳だけをその身体に刻み付けて。


――ガガン


 突如、石が砕ける音がアトリエに響き渡る。

 政宗は近くにあった作品をトンカチで砕いたのだ。


 そのまま手を止めず、そこにある傑作を手当たり次第壊していく。

 今までの己の間違いを壊すかのように。


「はぁ……はぁ……」

 荒い息をしてアトリエの中を石の破片と砂を床に散らかしていく。


 けれど、最後の作品の前に立った時、彼の手は止まった。

 眠る幸村を見て彫った、少年の像。


「……ゆ、き」

 その穏やかな表情を浮かべている彼の顔にそっと触れる。


 眠っている時しか見ることのできなかった、幸村の優しい表情。

 ただ芸術のためではなく、己の前でいつもそんな顔をしていて欲しいと、願って刻んだその祈りが形になった物。


「幸、ゆら……」

 たまらなくなって、そっと抱きしめた。


 無機質で美しい石は、生きている彼とは違って己の腕の中で抵抗はしない。

 けれど、抱き返してもくれなかった。


「……あいしてる」

 ひんやりと冷たい肌を抱き、政宗は絞るような声で囁く。


 哀しすぎると涙がでないものなのだと、初めて知った。

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