悪讐(あくしゅう)1
――カツンカツンカツン…
足音が近づいてくる。
それを待っていたかのように、己の周りに渦巻く炎が激しさを増す。
それは己や家臣が発するそれではなく、残虐な熱を持った薄暗い焔。
「もはやこれまでであるか」
長きに亘って甲斐の国を治めた伝説の虎は己の最期を静かに悟る。
その男の前に、一人の男が足音と共に現れた。
「久しいな、甲斐の虎」
そう親しげに話しかける彼の目は全く笑っていない。
「卿の宝を迎えに来た。さぁ、渡してもらおう」
「松永よ」
甲斐の虎は、静かに甲斐を奪おうとする男を見つめた。
「盾無の鎧……そんな物のために、貴様はこの国を滅ぼすのか」
「その物の為に滅びる国が悪いのであろう? 力無き国は略奪を待つだけの存在だと、卿は知っていると思っていたが」
落ち着いたたたずまいをしながら、子どものように己の欲望に忠実な男。
「貴様に宝はやらぬ」
そう呟いて武器を取ると、大虎は渾身の力込めて盾無の鎧を叩く。
粉々にならないまでも、その鎧に小さな罅が伝った。
「貴様に傷のついた宝を愛でる趣味はなかろう」
「ほう……。卿の酔狂には恐れ入る」
甲斐を滅ぼしてまで手に入れようとした鎧が破壊されても、男の声色は変わらない。
「人こそ宝と見做す甲斐の虎らしき行動。無聊なことだ」
己の手で虎の命を奪い、彼は薄い唇を歪めた。
「……ならば、私は土産として卿の真の宝を頂くとしよう」
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