飛び越えられたボーダーライン3
「──様…」
(Ah……?)
優しく穏やかな声に、意識を覚まされると、
「こんなところで寝ていては、風邪を召されましょう」
「……小十、郎」
普段あまり出すことのない、慈愛を抱いた表情が見下ろしていた。
その瞳の中には甘さがあふれ、瞬時に政宗の全てが囚われる。
「今晩は自分の好物ばかりのようですが、政宗様の計らいで…?」
「Haッ?…っあ、いや、Ahー…と…」
(ちちち近ぇよ……!!!)
声まで甘い彼に覗き込まれれば、沸き立つ全身の血に圧され、心臓が爆発してしまいそうだった。──Jokeでも何でもなく。
もう、いつも通りコックが作ったことにしておこうと口を開きかけると、小十郎はフッと笑い、
「申し訳ありません、子供じみた真似を。…あまりにも嬉しかったもので」
(は、はぁ…?)
政宗は、その笑みにも硬直させられるのだが、
「コックが暇をもらったと、実は聞き及んでおりました。あなたが買い物をしている姿も、偶然見かけて…」
「──!?」
政宗の熱は、違う意味でも一層温度が上がる。
『カッコ悪ぃ…!』と胸中で悶絶し、小十郎から目をそらすと、
「…政宗様」
「(お、わ…ッ)」
ソファの隣に座られ、視線を戻された。
小十郎は、相変わらず甘い表情で、
「俺のために、ありがとうございます。料理などろくにされたことがないのに、こんなに……勿体なくて、手を付けるのが心苦しいですな」
「……ひ、一口くれぇは食えよな。一応、そこまでひどくはなかったしよ」
「政宗様が作られたのなら、どんなものでも極上の馳走です」
どっかで聞いたような台詞だと思ったが、政宗の心に嫌悪感はなかった。…やはり、それを放つ相手の問題なのだな、とぼんやり浮かぶ。
「しかし、困ったな……」
「Ah…?」
急に笑みを消す小十郎に、政宗は窺いの目を向けるが、
「…先に、こちらを食ってしまいたくなって」
(んなぁッ…!?)
ヒョイっと小十郎の膝の上に横向きで乗せられ、顎を軽く持ち上げられ──
(ま、マジか?マジでかっ?いきなり!?)
高校卒業は?けじめは?
てか、いつもの小十郎はどこ行った?手料理の力って、こんなスゲェわけ?まだ食ってもねぇのに!
startから三段跳びの勢いでnew startに突入だなんてお前、そんな、ちょ、まっ、
「…政宗、様……」
(だーから心臓に悪ィって、その声と顔!!!)
こいつも、存在だけで人を殺れる奴だったとは…!
俺が悪かったッ!
もうすねたりしねーから、どうぞ元の小十郎を返して下さい!!
こんなの、心臓がいくつあっても足んねぇ──…
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(……夢……)
「──だよな」
息をつき苦笑すると、ケータイを手に取る。
時刻は、夜の九時を回ったところだった。
着信が何件かと、メールが一件。
どちらも小十郎からで、
『今日、先生方と懇談会になりました。帰りは遅くなると思いますので、戸締まりをしっかりしてから……』
「………」
政宗の身体から、ドッと力が抜けていく。
(言ってなかったし、しゃーねぇか…)
やっぱそんなもんだよな、と自嘲の笑みを浮かべると、料理を冷蔵庫にしまう。
食欲も失せ、小十郎がいないというのに、夜更かしもせずさっさと眠りについた。
「政宗様、朝ですぞ。そろそろ起きなされ」
(Ahー…?)
政宗は、眉間に皺を寄せる。
昨日は早く寝たが、まだまだ眠り足りない。
第一、小十郎に起こしてもらうのは、中学生になった頃に卒業していた。
よって、これは夢だ。
全く、昨日からそんなものばかり──
「ようやくお目覚めですか」
「……夢じゃねぇし」
小声だったので、小十郎には聞こえなかったようで、
「今日は、ご予定がないとのことでしたな?」
「Ah?…お、Ohー」
「では今日という一日、この小十郎めにお付き合い願いたいのですが」
「まーた畑か」
今さら改まって言うことじゃねぇだろ、と政宗は吹き出したが、
「いえ、今日は別口で」
「What?」
だというのに、小十郎はどこか楽しそうな様子である。
「政宗様…」
「ん、……ッ!?」
いきなり小十郎に近寄られ、政宗はドキッと身構えるのだが、
「──うむ、取れましたぞ」
「お、おぉ…っ、Th、Thank you!」
目の下に付いていたらしい睫毛を見せられ、安堵の息を吐く。
(まっ、紛らわしーんだよ…!)
昨夜の夢の続きかと、一瞬でも思ってしまった自分を大いに恥じた。
…………………………
既に昼近くになっており、小十郎も起きたのは遅かったらしい。
朝食は食べず車で出発し、途中寄ったレストランで昼食にした。
(…こりゃ、dateってヤツなんじゃねーか?)
政宗がそう期待するのも、無理はない。
小十郎の態度は確実にいつもと違い、昨晩見た夢での彼に限りなく近いような…
「どこ行くんだ?」と聞いても、「山の方です」との答えのみで、何の目的なのかはさっぱりだった。
「てかよ、帰り大丈夫か?大分遠いみてーだが」
天気は快晴、車が行くのはなだらかで緑豊かな山道、素晴らしい眺望ではあるのだが。
「行きは、景色を楽しむためにと思いましてな。帰りは、高速を使えばすぐですので」
「Huーm…」
じきに夕暮れが訪れる頃合いの時間。
こんな何もなさそうなところに、一体どうして…
(…マジで何もねーぞ)
ここです、と車を停め降ろされたのは、緩やかな傾斜地の上。青々とした草原が広がり、下からは川のせせらぎが聞こえてくる。
陽は落ちかけ、真っ青だった空も黄昏色に変わっていた。
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