スローペースな二人4
(くっ…、雨だからか…?)
傘も差さず出てきたので、頭からずぶ濡れになってしまっていた。
だが、上った熱を冷ますにはちょうどで、助かった気にもさせられる。
校舎から離れた場所にある古い倉庫の前で、幸村は扉の鍵を開けるのに苦戦していた。
扉に直接付いた鍵穴で、天気で錆びが増しているのか、なかなか開いてくれない。
手が滑り、鍵を落としてしまう。だが、次に挿すとようやく開き、扉も開けると、
「探したぞ…」
「!!」
(徳川殿ッ、どうして…っ)
周りは茂みになっており、一般の生徒はこの倉庫の存在を知らない者がほとんどだ。
幸村は実行委員になってから、年配の教師に特別に教えてもらったのである。
「おい…」
「離し…ッ、すぐに戻ると言いましたでしょう!?先に戻っていて下され、お願いですから…っ」
引き留めようとする家康を、全身で拒否する幸村。
家康は、手を空けるため差していた傘を下へ放る。
その隙に幸村が中へ入ろうとし、家康がその腕を掴む──が、それを振り払うと、彼のケータイが手から滑り飛んだ。
(あっ…)
「今聞いて欲しいんだ、真田!」
えっ──
切実な声にハッとすれば、幸村は家康に倉庫の中へ押されていた。
扉が閉まり、ガチャンと鈍く軋む音が響き渡る。
「あぁ…!!」
幸村は絶望的な声を上げると、扉に手をかけ、
「某、これ以上嫌われたくないのに…っ」
「だから、話を…」
家康はシリアスな顔で詰め寄るが、幸村は悲愴の表情で、
「ここ……閉めると、中からは開かぬのでござる。鍵が壊れているようで」
「……え……」
まさか、と家康も扉に手をかけ、中の鍵(小さなバーを挿し込みひねる、古いタイプ)を開けようとするが、『カシュッカシュッ』という空振り音しか鳴らず、
(痛…ッ)
指の感覚がなくなってきた頃、ついに諦めた。
…家康のケータイは扉の外、幸村の方は、教室のバッグの傍に置いて来ていた。
「すみませぬ…」
「いや…閉めたのは、こっちだしな…」
「あまりに遅ければ、皆不審に思って──ですが、ここは知らぬのです、皆…」
教えてくれた教師も、もう帰宅している。
今晩は、他の役員たちも夜中近くまで残る予定でお祭り気分であるし、幸村たちがいないのを悟られるのは、まず遅くなるに違いなかった。
「すまん…皆とは会わずに、出てきた」
「いえ、徳川殿のせいでは…」
だがすると、思っていた以上に耐えねばならないようだ。
大声を上げても、校舎や人通りからは離れているし、外は大雨である。
目が慣れれば相手の様子は窺えたが、悪天を見せる小さな空気孔だけでは、ほぼ暗闇同然。かつ、十一月中旬の夜は、もう真冬と言って良いほどに冷え込む。
「本当にすみませぬ…ケータイ、弁償…」
「防水だし大丈夫さ。それより」
「えっ?」
バサッと頭に何かを置かれ、幸村は慌てて掴むが、
「タオルがあれば良かったが、ないよりマシだろう。着てたやつで悪いが」
「え…」
それはTシャツで、びしょ濡れの髪を拭けという意味らしい。
幸村は驚き、家康を唖然と見返すが、
「ちょッ、徳川殿っ…」
「良いから、お前は頭を拭くんだ。早くしないと、冗談じゃ済まなくなるぞ」
「──…」
強い口調に、幸村は言い返せなくなる。
制服と下のTシャツを脱ぎ、素肌にダウンジャケットのみを羽織った家康が、幸村の濡れたシャツのボタンを外していく。
そんなものをそのまま着ていれば、身体を一気に冷やしてしまう。それは、幸村にも分かっていたことだが。
「え…」
「ワシはブレザーがあるし、そのTシャツが乾いたら着るから」
家康は、自身の制服のシャツを幸村に着せ、「大丈夫だ」と笑う。
幸村は、作業中でブレザーさえも脱いだまま来たことを、大いに悔やんだ。
「ほら、下も脱いで。恥ずかしがってる場合じゃないし、暗くて見えないから気にするな」
「は、はい…」
もう逆らう気にもなれず、言う通りにする。
ズボンを床に置くと、
「………」
「うん、これで少しはマシだろう」
今度は、ダウンジャケットの袖を幸村の腰で結び、脚を包むようファスナーを上げる。
「真田が細くて助かった」と笑い、ブレザーを羽織ると、床に座った。
──何故…
シャツやジャケットから伝わる彼の温もりに、幸村は胸が詰まり、目頭が熱くなる。
何故こんなときでも…しかもこのような相手に、彼はここまで優しいのだろう。
洩れそうになる声を抑え、幸村は座った自分の膝を抱えながら、身を縮ませた。
「大丈夫か?」
「はい、…え…ッ?」
慌ててそれを突き返したが、あえなくその屈強な腕に負け、再度彼のブレザーを羽織らされる。
「それでは、徳川殿が…!」と、幸村は顔を歪めるが、「大丈夫だから」と押し切られ、
「それと、どうして真田があんな風に思ったかは分からないが…ワシは、入学式で初めてお前を見たときから、ずっとそうだったんだ。だから、こんなことで嫌えるはずがないさ…」
(……え…)
幸村は『そんなに前から…?』と驚きつつ、突然見えた希望に、肩の力が和らいでいく。
「それに、嫌われるのはワシの方でな」
家康は、自分に向けるよう苦笑いし、
「どんな相手でも上手くやれるのに、真田に対してはまるで駄目だ。…嫌われないよう、好かれるよう色々やるんだが、お前の前だといつも頭が舞い上がって……部屋に置いてた本やゲームも、お前が好きらしいと聞いてからハマったんだよ」
「…そ……」
幸村はあの日のことと、彼の態度を思い出す。
──ではもしかすると、ずっと見てきたあのぎこちない笑顔も、その想いが…
との考えに到ると、身体がむずむずし出し、早くここから出て、家康の姿をはっきりと見たくなるのだが、
「…本当は知っていたんだ。あいつらが嫌がるお前に、無理にこの『役目』を負わせてたこと。なのに、知らない振りをし続け、さっきもあんな……」
「え……」
幸村は即座に混乱に飲まれ、家康は自嘲するように苦笑すると、
「だから、『お前には言いたくない』…だったんだよ。
何が理由でも、お前と一緒にいられることが嬉しくてな……で、少しでも長く続けたくて、『ずっと聞かれなきゃ良いのに』と思ってたもんだから、ついあんな…
『真田はやっぱり、ワシから早く離れたいんだな』──と。本当に、身勝手な八つ当たりを…」
(徳川殿…)
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