三年目の○○○?3




──これでも、相当頑張った方なのだ。


恐らく十五分以上は経った後、幸村はようやく身を乗り出した。

飛び出そうなほど鳴り続ける心臓をなだめるように、胸を押さえながら、


(…えっ、)


急に目指す地点が視界から消えたかと思うと、目の前にあったのは、佐助の両脚だった。



「佐助…?」


立ち上がった彼を、未だ染まった顔で見上げると、




「──もう、良いよ」



(え…)


抑揚のない声に、思わずドキッとなる。

…こんなに無表情な音を聴いたのは、初めてだった。



「あ、…と…」

少しでするところだったのに、と言いたかったが、それすらにも心の準備を要する幸村である。
結局、間に合わず、


「俺様が馬鹿だった。ごめん。もう、絶対頼まないから」


「……」


(…助かった…)


と思い、ホッとするはずだっただろうに。

何故だか幸村の心は小さく騒ぎ、不安の影が押し寄せ始める。


「さす、」
「俺様、今日疲れてるみたいでさ。また、今度ちゃんと観ることにするわ。ごめん、おやすみ…」

佐助は背を向けたまま、寝室へと消えた。



「………」

一人になり、初めはぼんやりとしていた幸村だったが、


(何……なのだ、急に…)


じわじわと、小さな怒りが沸いてくる。

己のこの性格は、よく分かってくれていると思っていたのに。


(確かに、驚き尻込みしてしまったが、)


佐助なら、察してくれると…

きっと何十分でも待って、努力の賜物に、満面の笑みで応えてくれると──



(…したくない、…のではないのに…)


はぁ、と溜め息をつき、自身の唇を指で撫でる。

一緒にいながら、口付けをせずに眠るのは、これが初めてのことだった。











あの日の翌朝、幸村が起きると、佐助は既に出勤した後で…

早出の仕事も時折あったが、必ず前夜までに伝えてくれていたので、モヤモヤは増す一方である。

夜も珍しく遅い帰宅で、口数少なく夕食をとり、入浴後すぐ就寝──よほど、疲れている様子だった。


そんな日が数日続き、とうとうある朝、



「──あ、起こしちゃった?」
「今日も早いのだな…」

「うん。今日から出張で、帰んの日曜の夜になるから」
「!?」

幸村は目を見開き、「今朝、決まったのか?」


「や、昨日言ってなかっただけ。学祭あるし、旦那もほとんど家空けるでしょ?」


(……ッ)


何とも思っていないような口振りに、幸村の抑えていたものが弾けてしまい、


「聞かなければ、黙って行くつもりだったのか!?この間のように、メールで済ませようと…っ?」

と、咎めるように怒鳴ってしまう。

即座にハッとし、声のトーンを下げ、


「…最近忙しいようで…、疲れておるのは分かるが、せめて、もう少し話を聞かせてくれても…」

──もう何日も、ろくに会話らしいものを交わせていない。

こんなのはただの建前だというのは、自分でもよく分かっていた。…が。



「旦那が、それ言う?」
「…え?」

佐助の声の変わりように、幸村の背に、先日感じた嫌な汗が湧く。

彼は表情をなくした顔で、


「怒んないからさ、正直に言ってよ。…俺様に、何か隠してることがあるでしょ」

「……!?」

幸村が目をむくと、言葉とは裏腹に、佐助の瞳には火が灯り、


「嘘…だろ、…冗談のつもりで…」

「あれは、…」


「誰、だよ…!?信、じらんねぇ…ッ、旦那が俺以外の奴と…っ」

「え?」

幸村はキョトンとするのだが、余計に佐助の神経を逆撫でしたようで、


「どんな奴か知んねーけど…っ、そいつと会ってんでしょ、いつも!だから、帰り遅かったんだろっ?『気の迷い』なら、」



──が、佐助の言葉は断絶される。




「…俺が、お前以外の者に、…懸想を、した、と…?」

その形相は、佐助の言葉を止めた拳と同じくらいの怒りに満ちていた。

彼のこのような顔は初めて見た佐助だったが、出てしまった勢いはもう止まらない。


「じゃあ、何だっての?そっちこそ、ずっと俺様のことないがしろにしてたじゃん!学祭の準備って、そんな前から、あんなに時間かかるもんなわけ?そりゃ、よっぽどスゲェ企画立ててんだろーな。見に行けなくなったのが、ホント残念だよ!」

「あれは…っ、だが、だからといって、俺が、う、浮気など、あるわけがないだろう!?お前は、俺をそのように見ておったのかっ?」

「さーね…つか、それ以上デカい声出さないでくれる?俺様、これから頭使う仕事だってのに」

「なっ…」

はぁー…、と佐助は、深々溜め息をつき、


「…ま、無理ないけどさ。付き合えたのも、俺様が強引に迫ったようなもんだったし、いつも旦那が嫌がることして…」

「何を…」


「っあ、もう出るわ。──じゃ、何かあったらメールして。電話は、できる暇ないと思うから」

時計を見て、佐助は本当に焦った風に、バタバタと動き出した。

またも、ろくに幸村を見ないまま、玄関から飛び出していく。




(……ッ!!)


思いきりクッションを殴り付け、肩で息を切らす幸村。


(佐助の馬鹿者、佐助の馬鹿者、佐助の、)



「馬鹿がぁぁッ!!」


──と、今度は自身の頭を殴り付ける。




(…何故、あんなことをしてしまったのだ…)


自分の行動全てが、際限なく悔やまれた。
佐助のあの顔や声が浮かび、胸がよじれる。

しかし、疑われたことだけはどうにも腹立たしく、…それ以上に、悲しかった。



(する必要など、なかったのだな…)


急に、部屋が広くなった気に襲われる。ここに一人で、…日曜の夜までは、二日と少し。


明日からの大学祭のことは、頭から綺麗になくなっていた…。

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