唯一がくれる数多3







「幸村、この家の長男は誰だ?」


隣に座る佐助も信玄を見たが、自分が言われたわけではないからか、何も口にしなかった。
幸村は、普段のように元気良く、


「佐助でございまする!」

その答えに、信玄は満足そうに笑い、「何故じゃったかのう?」と尋ねる。


「佐助は、某より一つ上でございますれば。──ですが、佐助は六年生の方よりも頭が良いのです!今度の百人一首大会でも、きっと優勝して、」

「旦那、それと頭の良さは関係ないって」

パッと浮かんだ、最近の学校生活の話だろう。幸村の頭は完全にそちらへ傾き、佐助は困ったように笑った。


(…よく分かっておるではないか)


彼への尊敬の意を爛々と見せる目に、信玄は安心もしながら、


「…佐助。その前に、こちらでも活躍してもらわねばならんものがあるぞ」

「え?」

不思議そうに返す顔に、信玄は、棟上げの餅まきの件を話す。


長男に与えられし特権。

…本当は違うが、これで、彼が無意識に固めているものを少しでも溶かせられたら、と思っての提案だった。

以前、彼と二人で餅まきを見かけたことがある。
大人びているとはいえ、棟を見上げる表情には、少なからず憧憬の色が窺えた。

それは、思い違いではなかったようで、


「…だっ、旦那!俺様、旦那がいるとこに沢山投げるからさっ、全部拾ってねっ?」

と、喜びに満ちた笑顔で、幸村に向かう。

何だ、一体どちらが嬉しかったのだ?と呆れる気持ちになるが、まぁどっちでも良い、この顔が見られたのだから、と信玄もますます機嫌を良くするが、



「…して…」


「──ん?何じゃ、幸村」

ポツッとこぼれた声に信玄が聞き返し、佐助も、「旦那?」と窺う。

幸村は、暗い面持ちで顔を上げ、


「何故、…佐助だけ。…某は、登れないのですか…?」


(ゔ…)


うるうると目に涙を溜め、苦悶の表情で見上げてくる。

分かりやすく説明したつもりだったが、上手く納得してくれなかったのか。…というより、彼もまた餅まきに憧れを持っているとは、予想していなかった。


「だ、旦那…」

佐助の方も、うって変わり狼狽している。

「いや、幸村、」

何と言って聞かすかと、思案していると、


「…狡いでござる……一つ上だというだけで、…佐助の方が、後で来たのに……それなら、」


「幸村!」
「…!ッ、」

登れないことへのショックで、つい出てしまったのだろう。決して本音ではない。
それは、大人である信玄なら分かる。

だが、


「………」

佐助の眉間に深く皺が寄ったかと思うと、それを隠すよう、彼は居間から出ていく。

ドアの閉まる音が聞こえ、子供部屋へ入ったようだった。


「…幸村。お主、何を言おうとしたのじゃ。…まさか、『佐助など来なければ良かった』などと」

「違いまするっ!…某の方が年上だったらと──…でも…」

今にも泣きそうな声で、唇を噛み締める。
…ここは、ゲンコツを入れぬ方が効くと悟り、そうすることにした。


「…のう、幸村。…佐助は、どのような奴じゃ?」
「……?」

眉を下げて見返す幸村の頭を、信玄は軽く撫でながら、


「あやつは、いつもお主に何でも譲るのう?お主に怒ったり、嫌なことなぞ一度もしたことがない。いつでも優しく……それでも、兄には相応しゅうないのかのう…?」


「……ッッ」

幸村は思い切り顔を振り、

「嘘、でござる…っ!お館様、佐助は日本一の兄でございまする!優しくてすごく良い兄で、この家の長男で…ッ」

ぶわっと両目から零し、「申し訳ございませぬー…!」


「……」

信玄は、ふっと息をつくと苦笑を浮かべ、


「謝る相手は儂か?」


──幸村は、家が壊れそうな勢いで出て行く。


この後は、またいつものように、一層仲良くなることだろう。

そう思い馳せ、まぁしばらくの間は、棟上げの話題には触れまい、と決めた信玄だった。













泣きじゃくり、言えたのは、『すまぬ』の言葉ただ一つ。

それを、壊れたように繰り返し口にすれば、


『怒ってなんかないよ…。もー、泣くなって…』

呆れたように笑われ、鼻を摘ままれた。

『うわ、ヒッドい鼻水』と顔をしかめた後、ティッシュで拭き取り、また笑ってくれた。


…あの、笑顔で。

初めて会って、初めて見せてくれた、あの。


見る度、いつも胸が温かくなり、それが身体の隅々まで広がっていく。
そして顔に届いたとき、頬の筋肉は緩みを増す。

笑っているのに、何故かあの涙が毎回彷彿する。…彼が泣いたのは、あれ以来ないというのに。


佐助も、自分と同じように笑ってくれれば良いのに。…同じように、嬉しくて楽しいと、思ってくれたら良いのに。









あれから半月が過ぎ、棟上げの日が近付いていた。

一度も話題として上がらないのは、自分のせいであると自覚していた幸村。
このままではいけない、と彼なりに考え、面と向かうことに決める。


「佐助!」
「あ、旦那。あのさ、」

だが、幸村は聞く耳持たず、

「餅まきっ…!俺、頑張るから、…だから、俺のところに沢山投げてくれっ?全部取るから!」

「っえ…」

佐助は、目を広げ止まるが、


「それで、終わったら焼いて、一緒に食べよう!?砂糖醤油なら俺にも作れるぞ、佐助の好きな…っ」

作ると言っても、混ぜるだけだが…
幸村にとっては、精一杯の献身の言葉なのである。


「──あ、…りがと……」



(…あ…)


照れたように笑うその顔を、ここまではっきり見たのは初めてだった。

見られるのは、餅まきができることに喜んでいた、あの笑顔だと思っていたのだが。


…いつもより温度が上がった気がし、頬は緩むより先に、やたらと熱くなる。

どうしたのだろう、と焦る気持ちが湧くが、佐助が指摘して来なかったので、それ以上の混乱はなかった。

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