ハッピーエンドレス4
何度も呼ばれる、自分の名。
…彼だけしか使わない呼称で。
またも聞いたことのない声と、見たことのない表情をしている。
──そんな気がした…
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「…大丈夫?」
幸村の手を握り、ひどく心配そうな顔で覗く慶次。
…いつの間に帰ったのか、自分の部屋のベッドで横になっていた幸村。
「軽い熱中症だって。今日幸ん家、お前一人だったんだな…。武田のオッサンが、後で来るってよ」
と、冷えたペットボトルを手渡す。
「慶次殿が…?」
飲み物を摂り、よく思い返してみると、そんな場面がチラチラと浮かぶ。
「片倉先生に乗せてもらってさ、ここまで」
時間を見ると、夜の七時を回っていた。
「慶次殿、美容室…」
幸村が顔を歪めると、
「ああ、キャンセルした。また、明日にでも…」
「嫌でござる!」
突然叫んだ幸村に、「えっ?」と目をむく慶次。
「…何故、いきなりそのような…?失恋──で、ございまするか」
「いッ?」
慶次はさらに驚くが、
「…っあ〜…半兵衛の奴だな?今時そんなの、女の子でもやんねーって」
「では、何故?」
「…え?あー…と、それは…」
慶次は言いよどみ、「ただのイメチェン…」
「…似合うはずがありませぬ」
その言葉には、さすがの慶次もムッとし、
「んなの、やってみなきゃ、分か──」
…が、そこで彼の声は途切れ、小さな怒りもすぐに消えた。
──幸村の頬を滑り落ちる、いくつもの雫。
「ゆ…」
「やっと…、ようやく…喋ってくれた…っ」
ぐしっと袖で涙を拭い、
「どうすれば…許して頂けるのです…?すみませぬ、某が迂闊であるゆえ…いくら考えても、分からず。それとも、もうほとほと愛想が尽きて…顔も合わせるのも嫌で…?」
布団をめくり、慶次の方へと近寄る。
「謝らせて下され…。そして、前のように親しくして下され…っ。
似合わぬなど、嘘でござる。慶次殿なら、短い髪でも似合いまする、きっと。…ですが」
と、慶次の髪に触れ、
「某は、これが大好きで…。あの日、慶次殿が『お揃い』だと。…この繋がりもなくなってしまうのかと思うと。もう二度と、話してもらえなくなるのでは、と、辛く…苦しくなって。いや、もうずっと苦しかったのだ…!某は、慶次殿──」
今度は、幸村が沈黙させられる。
──ふんわりと広がる、あの日と同じ、甘く爽やかな香り。
…まるで、本人そのものを表すかのような。
「ごめん…!」
幸村を腕に抱き、慶次は掠れた声で深く詫びる。
何が起こっているのか分からず、お陰で幸村の涙はすぐに引いた。
「…ごめん。そんな風に悩ませてたなんて、俺…。お前は、何も悪くない。謝ることなんて、一つも。全部、俺のせいで…」
「え…?」
ますます意味が分からず、目をパチパチさせる幸村。
慶次は、ゆっくりと腕を離すと、
「あれも、イメチェン…だったんだけど、さ」
大失敗だな、と苦笑いした。
「何故…」
幸村の呟きに、慶次は諦めたような顔に変わる。
「幸…好きな人ができたんだろ?」
「!」
目を見張る幸村を、そのままの顔で見つめ、
「で、それを、話してくれようとしてたんだよな?俺と約束したから」
「は、はい…」
(慶次殿、某の気持ちを知って…?)
「いざとなると、聞く勇気がなくてさ…。元々は、お前の恋を応援するために言ったことだったんだよ、本当に。だけど…」
自分の気持ちを聞くのが嫌で──ということか…と、幸村の心は沈んでいく。
「…で、ちょっとでも近付けねぇかなって、あんな…。最後にゃ、外見だけでも…とかさ」
と、髪を持って見せる。
「近付け…?」
「うん。俺、好きになってもらえるなら、何だってするって言ったろ?情けねーなぁと思いながらも、真似してみようとしてさ。…あの人の」
「あの人?」
幸村は、いよいよ頭が混乱してきた。
「片倉先生のさ…」
(先生…?)
「──幸」
突然、慶次の声色が変わった。
その表情も目も、真剣さ一色に染まっている。
(慶次殿…)
途端に、幸村の動悸が、再び忙しくなった。
抑えようにも、方法が分からない。
熱くなる顔。…体調のせいだと、思ってくれれば良いのだが。
「好きだ…」
(──!?)
何が…!?と思った幸村だったが、彼の目は、自分を真っ直ぐに捉えている。
まさか…
「ずっと好きだった…。多分、初めて会った、あの日から。これ…話すきっかけがあって、すっげぇ嬉しかった…」
と、幸村の髪にそっと触れた。
「俺、あの人とは全然違うけど、お前への気持ちは、絶対勝ってる。お前からしたら、何もかもふざけてるように見えてるだろうけど、嘘なんかじゃないよ…」
この上なく見開かれた幸村の目。
そこに映り込む、…またもや、幸村が初めて目にする、その姿。
「お前に偉そうに言っときながら、自分に向かせる方法も分かんねぇ。しかも、傷付けて…どうしようもねぇ奴だけど。…チャンスが欲しい。さっき言ったように、少しでも、お前が俺のこと気に入ってくれてんのなら…」
慶次が、幸村の肩を掴む。
(…!)
「幸、すごい熱──」
すぐに驚愕の声に変わり、慶次はその顔を覗こうとしたが、
「ぅう…っぁああわ──!」
聞いたこともない奇声を発し、幸村は、後ろにのけ反った。
「ゆ、幸っ?」
「…ッ〜〜っ!」
──ガンッ!!
派手な音が鳴り、幸村の身体が、ベッドの中へと沈み込む。
「ゆっ、幸ィ──!?」
…幸村が頭をぶつけたベッドのヘッドボードは、信じがたいことに、少々へこんだ跡が付いていた…。
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