咲かせる毒にて4
翌朝。
泊まった部屋から出てみると、芳しい匂いが漂ってくる。
小十郎がもう戻ったのだろうか…と、家康はリビングに入るのだが、
「あっ!おはようございまする!」
「……お、はよう…」
そこには、彼が昨夜なかなか寝付けなかった理由が立ち、朝日に勝る笑顔を、燦々とこちらに向けていた。
良い匂いの正体は、久し振りにかいだ『家庭の味噌汁』からのもののようだ。
小十郎作のは、ここに泊まる際に口にすることができるが、
「朝食……お前が?」
他にも、焼き魚やおひたし、玉子焼き等々…
「煮物は片倉殿のものなので、安全でござるよ」
幸村は苦笑した後、
「お口に合うか、分かりませぬが……あ、片倉殿には、きちんと許可を取っておりまするので。味見も」
「………」
家康の胸が、じぃんと温まる。
彼の実家は裕福で、料理などはろくにしたことがなかった。
一人暮らしを始めた頃は、過保護な親からハウスキーパーが付けられていたが、二年前からはもう断っている。
政宗も、自分と同じく世間知らずの坊ちゃん育ちであるが、四人の中では頭一つ抜きん出る、稼ぎ頭。
せめて、生活力だけでも彼らを上回ろう──との心意気だったのだが。
「美味いよ。片倉さんのより…好きだな、ワシは」
そして、これも彼らの中で一番劣っている、と自覚していた。
…たった、それくらいのことを言うのでさえ、仕事以上に精神力を使うだなんて。
未だに下の名前で呼べていないのも、自分だけ。
「ありがとうございまする…」
幸村の頬に、朱が差す。
家康が、それでも身を引いたり諦めたりできないのは、これがあるからだ。
他人の目には些細なものでも、彼にとっては、相当な勇気。
幸村はそれら全てを必ず報いてくれるので、家康は、勝ち目は薄いと幾度も痛感しながら、どんどん深みにはまってしまう。
「家康殿、お疲れではございませぬか?…真面目であるゆえ、知らぬ内に溜め込まれておらぬか、……いえ、生意気だとは思うのですが」
「いや、そんなっ!──お前には、何度も泣きついてしまって、情けない。年下だというのに、お前とのメールや電話が、一番励みになるものだから…つい、頼ってばかりで…」
しかしそのお陰か、家康はこの二年間で、劇的に成長した。
政宗には及ばないが、人気も実力も、それまでの数年以上に確立できている。
彼は、本当に『ツキの神』なんじゃないかと、半ば本気で思っているほどだ。
「今までのイメージからか、大人な恋愛ものは演ったことがなくてなぁ…。今度のドラマ、なかなか手強そうなんだ」
仕事に私情を持ち込むなどプロ失格だと理解しているが、ままならぬこともあるのだとも、初めて知った。
…つい、この気持ちを思い起こしてしまい、どうにも上手くいかないのだ。
「昨日の、政宗殿たちのような…?」
彼は、恋愛事には大分奥手であるのだが、演技と分かっているものには、至って普通の態度を示す。例えるならば、芸術や文学に対する感覚…で、見ているらしく。
また心配をかけてしまう前に、「大丈夫だ」と撤回しかけた家康だが、
「政宗殿たちは、某をお使い下さっておるそうです」
「えっ?」
唐突な言葉に首を傾げると、
「『人』という字を書いて飲む…、周りの人間を野菜だと思う…、それと同じ効果があるのだそうです。お相手を、某だと思い込むことが」
「………」
幸村は、楽しげに笑って、
「何故か、リラックスできるのだそうですよ。恐らく、某が色々と『抜けて』おるからでしょう。皆様の顔も、存じ上げなかった体たらくで」
「いや、」
「女優の方は、すごいですよなぁ。あの二人でさえ、そこまで緊張させるのですから」
「…ああ。はは……確かにな」
そう笑いながら、家康の胸中は、目から鱗。
晴天の霹靂。
(だからあいつらは、そういう演技が抜群で、評価が高いのか…)
…もちろん、それだけではないだろうが。
だが、昨晩の戯れの演技などは、思わず見入ってしまうほどで。
「…ワシも、お前に付き合ってもらおうかな。台本は持って来てないが」
「!!」
幸村は、たちまち嬉しそうに、
「某にできることなら!」
その返事に、今度こそ挽回を誓う家康だった。
……のだが。
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(うーむ…)
意識はあるのに、見ることは許されぬ…とは、こんなにも辛抱がたいものであったのか。
それだけでなく、待たされ、焦らされてもいる幸村。
おまけに、ずっと立ったまま。
(首も辛くなってきた…)
動かしたいのは、やまやまなのだが。
『…じゃあ、目を閉じて、少し上を向いていてくれるか?…そう、そのくらいで…』
──あれから、一体どれほど経っただろうか?
その間中ずっと家康は、両手を幸村の肩に乗せ、ぶつぶつと呟き…
かと思えば、腕を離し、その辺をうろうろと歩き回っている。…ようだった。
(某には想像できぬほどの、大変な演技なのであろう…)
頑張って下され、家康殿!
と叫びたいが、心中までに留める。
「幸村…」
──ん?
(名を…)
呼ばれたのは初めてだな、と思っていると、
再び肩が掴まれた。
立ちっ放しの脚は、既に感覚が麻痺し尽くしている。
「ありがとう。…もう、開けても良いぞ」
(『もう』と言うより、『やっと』な気がしたが、)
「…?何もやってはおりませぬが、よろしいので…?」
目をパチパチさせ、家康を見上げる。
「ああ……充分だ。これで、きっと上手く演れる。放送を楽しみにしててくれ」
眉を下げ、照れた笑顔。
しかも、「すまん」と謝られ、幸村の首は傾く一方なのだが、
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