迷路は明路へと2
(…なかなか似合うではないか、我ながら)
幸村は、姿見の前で全身を眺め、一人頷く。
新しい制服に袖を通し、心地好い緊張と清々しさに包まれていた。
──あれから、約十年。
幸村は、今日から高校生である。
“…ずっと仲良くね、二人とも…”
運命とは残酷なもので、元就が卒園してすぐに、今度は彼の方が他の土地へ越していった。…しかも、海外という遠い場所へ。
幸村が知ったのは一家が発った後で、幼稚園で大泣きしたのを未だによく覚えている。
『お父さんの仕事が終わったら、また日本に帰って来るんだって…。だから、それまで頑張って待ってよう?また、一緒に遊べるようになるから…』
──だが、毛利家は一向に帰らず、年月だけが過ぎていく。
友人の多い幸村なので寂しいことはなかったが、彼以上に思える相手はいなかった。
しかし、去年の新聞で、
『稀代の神童!文武両道の帰国子女…』
の記事に目が止まり、そこに載っていた名や経歴は、彼に間違いなく。
自分の住んでいる街とは、かなり距離のある高校(しかも名門)だが、彼は帰国と同時、そこへ入学したようで。
…幸村は、その日を境に勉強に明け暮れ、同校の合格を勝ち取ったのだった。
(元就殿、分かって下さるだろうか…?)
泣き虫は卒業したし、力の加減も覚え申した。…勉強だって。
顔は、幼稚園の先生に久し振りに会っても、「全然変わってないねぇ」と笑われるくらいだ、もし覚えてくれておれば…
学校までは、電車で一時間近くかかる。
春の早朝の眩しさに目を細め、幸村は軽い足取りで向かった。
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入学式が終了した後、職員室で二年生の担任教師を捕まえ、元就のクラスを尋ねた。
早速赴き、クラスの一人に声をかけると…
「毛利くん、これは?」
「これは、これを──して、──が…」
「!解けた!ありがとう!」
「毛利ー、また吹奏楽部が来て欲しいって。あと、弓道も」
「分かった。後で顔を出す」
「先輩、昨日これ作ってみたんですけど〜」
「ありがとう、美味であろうな…後で頂こう」
「ホントにっ?嬉しい〜!」
「毛利、ここ見てくんない?これで良いのかなぁ、間違ってる?」
「…いや、完璧だ。さすがだな」
「あ、良かったー、サンキュ」
賑わう教室は、『毛利』と呼ぶ声で溢れ返っていた。
『ありがとう』
『さすがだな』
(も、元就殿…?)
幸村は、目と口を丸くしポカンとする。
「毛利くん、新入生の子が来てるよ?」
皆が一斉に幸村に向き、興味津々な視線を浴びせられる。
「すまぬが、皆席を外してくれぬか?…彼は、久し振りに再会した友人なのだ」
「……!」
ほ、と幸村は、妙な安堵に息をつく。
他の生徒たちは、文句一つなく出て行った。
「──本当に久し振りであるな。元気に…」
「はい…っ、それはもう!元就殿はっ!?」
「ああ、我も変わりなかった」
軽く息をもらす笑みは、昔と全く同じもの。幸村は、すっかり嬉しくなる。
(良かった…、昔のまま…)
…その表情と、自分への態度は。
見た目は、当然だが背も伸び、顔付きも随分大人っぽくなった。
昔は、女の子にも見えそうなくらい華奢で綺麗であったが……いや、やはりまだ綺麗ではあるが……いやいや、まだというより、
(…一層…)
知的でスラリとし、この顔。…先ほどの女子生徒たちの気持ちを、幸村でも察することができる。
「一目見て、すぐに分かった。まさかとは思うたが…、ここへはどうして?遠いであろうに」
「あ、」
『元就殿にお会いしたかったし、同じ学校に通いたかっただけでござる!』
──と、断言してしまうのは、いかがなものか。
…幸村は、当たり障りのない理由で答えておいた。
「せっかくなのだが、幾つかの部に呼ばれておってな…」
「あっ、はい!すみませぬ、お忙しいのに」
幸村が慌てて去ろうとすると、
「…見学して行くか?」
「!よろしいので!?」
幸村は、二つ返事で頷いた。
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吹奏楽部と弓道部を掛け持ちしているのかと思ったが、そうではなくて、『コーチ』のような立場でいるらしい元就。
教師をも凌ぐ腕前で、華麗としか言い表せぬ活躍振り。
幸村は、とにかく見入るばかりだった。
「元就殿、どちらかに入られないので?あんなに達者であるのに…」
正門を出るまでに尋ねてみると、
「勉強と…習い事もしておるのでな。この学校の部活動は、それを専門として入った者の場であるし」
その彼らより巧いのだから、…と言おうとしてやめた。
それでは、彼らの立場がなくなる。
そんな幸村の心情を悟ったのか、元就はまた微かに笑った。
「…それはそうと、幸村は」
「えっ」
「?」
「あ、いえっ!」
幸村は慌てて「何でもござらぬ」と両手を振る。
(──久し振りに聞いた…)
元就の口からの、自分の名。
といっても、昔とは全然違う声ではあるが…
しかし、彼が発したというところに意味がある。
幸村は笑みを圧し殺しつつ、再び彼に向いた。
「いつ、我がここにいると知ったのだ?今朝見かけたのなら、すぐに声をかければ良かったものを」
「……え」
(…あ…)
そういえば、入学理由は彼とは無関係のことを言った──それなのに訪ねて来た自分を、おや?と思うのは必然…
「え、えー…と、それは、…」
幸村は焦りまくるのだが、
「遠慮せずとも。昔のように、いつでも来ると良い」
とまで言われ、結局は救われた。
「…しかし、昔と全く同じにはできませぬよなぁ。授業を放って、元就殿の教室に行くなど」
そう苦笑いすると、「確かにな」と笑む元就。
「某、変わっておらぬでしょう?これでも、少しは成長したのですが」
幸村が情けない顔で笑うと、元就はチラッと視線を寄越し、
「…そうでもないが」
「やはりですか。元就殿も、すぐに分かったほどですしなぁ」
「ああ、ではなくて」
「え?」
だが、元就は「…いや」と濁し、切り替えるように、
「月末の祝日は、空いておるか?今のところ、その日しか自由がないのだが…」
今は元就も住んでいるこの地域を、案内してくれるのだという。
もちろん、幸村は通常の倍の声で「是非!」と返事をする。
(本当なら、毎日駅まで一緒に…)
いたいが、元就には遠回りになるし、習い事のため、すぐに帰らねばならない身分らしい。そちらも、ほぼ毎日とのことで。
幼稚園のようにはいかないと、きちんと分かってはいたが、…
(元就殿は、変わってはおらぬ。…おらぬが…)
再会できて嬉しい。それは、間違いない。
…けれど。
(違う…こんなのではなくて、)
──成長した己を、見てもらうのだ。
別れ際には、先ほどの考えを散らすが如く、幸村も昔に負けぬ笑顔で、元就に手を振った。
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