哀は愛に負けた3
「…それならそうと、言ってくれれば良かったのに」
「え?」
「いや、──引っ越しの手伝いに行ったのになぁ、って…」
家康の言葉に、幸村は「ああ…」と微笑み、
「お忙しいでしょうに、そのような。しかし、ありがとうございまする。…サークルの友人たちも、手伝ってくれましたので」
と、同意を得るように、隣に座る三成を見た。
「荷物も少なかったしな」
端的に言うと、三成はコーヒーの入ったカップを静かに置く。
──あれから数週間が経ち、家康の家へ招かれた幸村と三成。
つい先日のことだが、幸村はアパートを引き払い、三成の家への移住を済ませていた。
一人では贅沢過ぎる広さ、家賃も友人価格で良い(…と、家康には報告したが、実際は三成に金を取る気はない)というので、奨学金が主な生活費である幸村にとっては、またとない話。
初めは、ひどく驚いていた家康だったが、
「しかし、それなら三成も寂しくないな。あの家で一人は…」
「ああ…そうだな。──感謝している」
三成が穏やかに言うと、幸村がチラッと隣を窺う。
すぐに視線を戻したが、その口元はかすかに綻んでいた。
「そうか…。…良かった…」
家康が明るく笑いかけると、幸村も同じように返し、今度は三成が、それを密かに微笑する。
食事の後は家康が誘った通り、二人は、そのまま泊まることとなった。
『どうして…』
掠れた呟きが聞こえ、覚醒した。
自分を覗き込む、哀しみに染まった表情。
「家康殿…?」
どうされたのです、と起き上がろうとすると、家康がベッドに膝を着き、幸村の上に跨がった。
「あの…」
戸惑う幸村を無視し、その肩に流れる髪に幾度も触れる。
そして、
「…何度も言ったじゃないか、ここに住めば良いと。何故、三成の家に…」
幸村も、こんな時間に何故、とは思ったが、
「それは、前にもお答えした通り、そこまでの世話は申し訳なく…。早く家康殿にご恩をお返ししたいのだ、あれ以上はもう」
「ワシは、施しのつもりで言ったんじゃない。ただ、近くにいて欲しかったんだ、お前に。それなのに…」
「家康殿…」
幸村は、目を丸くして彼を見上げる。
「…いつかは伝えようと、ずっと想って来たのに」
「──……」
流れる沈黙の後で、幸村が再び口を開いた。
「一つだけ、お尋ねしたいのですが…」
──が、その先は声にならなかった。
「三成…」
「………」
三成が、ドアの前に立っていた。
廊下から入る明かりを背後に浴び、シルエットのみが浮かぶ。…顔は、全く窺えない。
ただ、こちらに近付くつれ、その両瞳だけが煌々と光っているのは、よく分かった。
家康がベッドからゆっくり降り、幸村も同じように立ち上がる。
「家康、貴様に話があって来た」
「…ワシには、話すことなど何もない」
「私のコーヒーに何を入れた?」
「……」
えっ、という風に、家康を見る幸村だったが、彼は黙ったまま。
「生憎だったな。…あれから私は、眠りが浅くなった。あんな薬など、少しも効かない」
そう嘲笑すると、三成は隠していた片手から何か光るものを取り出し、家康に振りかざした。
「っ、止めて下され、三成殿!」
瞬時に動いた幸村が、家康の前に立ちはだかる。
「何を…!?」
「分かっているだろう、家康…」
「……」
(家康殿…?)
抵抗も反論もしない家康を、幸村は横目でチラリと見上げるが…
「何もかも調べ済みだ。貴様の同僚は口が軽い上、案外鋭い目を持っている。お陰で、こんなにも早く行動に移ることが出来た」
三成は、両手でナイフを弄びながら、
「…姑息で汚い手を使い、彼を蹴落とした…。貴様が、目を見張るほどの早さで出世したのは、その恩恵あってこそ…だったらしいな」
(え…)
張っていた両腕を下ろし、幸村は思わず家康を振り返る。
彼は、無表情に変わっていた。
「彼を陰で支える、優秀な次兄が邪魔だったんだろう?まずは…と、今日のように一服盛り、倒れさせ…。貴様が親切顔で紹介して来た病院や医者、奴らも全員グルだったのだろう。…一向に治らぬはずだ」
三成は、二人に一歩近付き、
「『あいつ』は、貴様の恩は受けぬと言い、苦しむまま逝った。今思えば、知っていたのだな、何もかも。…私が全てを知った際、貴様に対する怨みを、一層積もらせるために」
「家康殿…。…本当なのですか…?」
幸村が、家康に向き合うと、
「……っ?」
「!三成っ…」
背を見せた一瞬の隙を突き、三成が幸村の身体を腕に捕らえる。
その首筋に宛がわれる、銀色の刃。
「三成殿…」
「それもこれも、全て真田のご機嫌取りのためだったとはな。…この狂人めが」
「某…?」
三成は、少し息をつき、
「この男が今の地位になり、すぐにしたのは、お前がいた施設の買収と、永久的な保証措置。…真田への想いを伝えるときの、貢ぎ物にでもするつもりだったか」
「三成…」
家康は、振り絞るような声で、
「ワシなら、どうしてもらっても構わない。だが、幸村だけは…。手を離してくれ、頼む…」
「…認めたか」
クッ、と吐き捨てるように笑い、この上なく蔑む目と表情で見返した。
「元より、貴様に手をかけようとは思っていなかった。…貴様も、私と同じ思いに苦しむべきだ」
「三成…待ってくれっ…」
幸村を拘束したまま、三成はドアまで退いていく。
「…散々汚した後、醜く解体し尽くしてやろう。血と肉に成り果てた無惨な姿の前で、永遠に哭き喚くが良い。それを避けたくば、脳に刻まれるより先に、その両目を抉り取ってしまうことだな」
静かだが冷たい声色で言い捨てると、幸村を連れたまま部屋から出て行った。
残された家康は、長い時間動けずにいたが、
「取り戻さないと…」
と呟き、ケータイを手にする。
──タイミングを見計らったように、着信音が鳴り響いた。
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