僕らの夏休み(中)-3
「すぐに還るわけではないがな」
「え、そうなのか?」
瞬かせる元親と幸村に、元就がサラサラと知識を披露した。
「良い匂いですなぁ」
「幸村、流してやろう」
「おぉっ、すみませぬ」
幸村の頭を、シャワーで丁寧にすすぐ元就。目をつぶり、幸村は気持ち良さそうに身を委ねる。
その後交代し、二人はすっかり綺麗になった。
「じゃ、俺も頼…」
「血迷い事を」
「いや、幸村に言」
「身の丈を忘れたか?幸村は伸びねばならぬし、お前はしゃがまねばならん。双方良いことなしだ。これ以上疲労を溜めるなぞ、笑止に尽きる」
「そうですな!元親殿、ゆっくり浴びてきて下され。片付けも大してありませぬし」
「先にあやつらが帰れば、知らせに来てやろうぞ」
二人は笑顔で言うが、片方の目だけは容赦なく光っている。
(………)
風呂じゃあるまいし、と言い返したかった元親だが、先が予想できたので素直に見送った。
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二人でやれば、片付けも早々に終わる。
インストラクターとも会話を交えていたが、ケータイに着信があり、彼は岩の階段の方へと移っていった。
パラソルを畳んだので、二人は端の木陰で休むことにする。日射しの勢いは随分弱まり、気温も下がっているようだ。
上の森林から、蝉の鳴くシャワシャワという音が聴こえてくる。
二人並んで、海の方へ傾いた太陽を、瞳を細め眺めた。
幸村は、視線を隣に移し、
「今日は、楽しゅうございましたか?」
「…如何した」
元就は苦笑すると、「分かりきったことを問うでない」
「──…」
幸村は顔をほころばせ、
「すみませぬ。…今日は、誠に楽しゅうござった!」
「ああ、その通りだな」
微笑み合うと、二人の間にだけしか起きない、大変ほのぼのとした空気に包まれる。
「天気に恵まれ、本当に良うございました。元就殿の贔屓の、お天道様がずっといて下さって」
「…(ふ)」
「某、それだけを一心に望んでおり申した。であれば、元就殿の楽しそうな顔を多く見られますからな!」
「そう変わらぬと思うが…」
「いえ、やはり全く違いまするよ。某、もう何年も見ておるのですから」
「………」
幸村の自信満々な笑顔と台詞に、元就は、太陽の光にも匹敵する眩しさを感じていた。
「綺麗ですなぁ…」
「ああ…」
日が昇りかつ沈むときというのは、何故こんなにも早く、また短いのだろうか。
傾いた陽が水平線に近付くにつれ、空の色は青から橙、緋、赤紫へとどんどん変わっていく。
これもまた正しく写真で見るような、素晴らしいサンセットビーチの風景に。青と赤が織り成すグラデーションに見惚れ、それを映す二人の瞳は煌々と燃えていた。
「うーむ、どうも…」
「そんなことはない、綺麗に撮れておる」
「そうでござるかっ?」
「ああ」
ケータイのカメラを使い、しばらく撮影会に集中する二人。それぞれので上手くいった何枚かを確認し、帰ったら現像して交換し合おうと盛り上がった。
「幼い頃は、あまり好ましくはなかったがな…落ちる陽は」
「そうなのですか?」
初めて聞く言葉に、幸村は目を広げ彼を見返す。
「昇る朝陽はそれだけで心が奮い起こされ、燦々と照らす昼間の陽は気高く見えた。それらに比べるとな…」
「…あぁ……」
何となく、分かる気もした幸村。
夕べの太陽や朱に染まる空というのは、美しいがどこか儚げで、物哀しくも感じられる。
明るさの終わりを告げる象徴でもあるから…なのかも知れない。
「今は…」
「変わりなく、全てに心奪われておる。…今日の夕陽は、特に美しい」
「それは…」
──良かったと、幸村は自分でもよく分からない返答をしていた。
静かに頷き、穏やかに笑む元就の顔。…そちらの方が、何倍もその比喩に似合う気がする。
同性であっても見惚れてしまう、端正な面立ち。あまり見ていると知らない相手に思えてきそうで、幸村は視線をそらし海へ戻した。
元就も彼に倣うと、
「これも好ましく思えてきたのは、小学校の時分からだ。低学年の…」
「ちょうど、元就殿と初めてお会いした頃ですなぁ」
幸村は懐かしさに目を細め、また嬉しそうな表情になった。
(そう……)
その頃だ、と言おうとしていた元就だったので、顔には出さないが小さな動揺が走る。
友人もその有意義さも解さず、何も分かっていなかったあの頃。
夕陽を好きになれない理由にも、気付かない振りをしていた。闇に近付いていくそれは、まるでよく知る誰かのようだ…とは。
天体の知識は持ちながらも、前日の夕陽と翌日の朝陽が別物にしか思えず、毎日夜に溶けて消えているのでは、と幾度も考えた。
『もうりどのもして下され!あたまに、手をこう…』
『…?』
『!!ほらっ、「目」でござる!』
『………』
地面をキャンバスにした影絵遊びに、無邪気に笑う顔。
新学期の帰り道、まだ話してもいなかったクラスメイトに会い、声をかけられ──初めて、他人と帰路をともにした。
声が大きく覚えやすい外見をしていたので、クラスでもよく目立っていた彼。一目で好きな色が推測できたが、髪色の印象も強かったのか、元就には彼自身が紅そのもののように見えた。
陽が昇る際に染まる、朝焼けの色。あの、眩しくて心踊る朝陽に似ていると。
『きれいですなぁー』
『…朝やけの方が、ずっときれいぞ』
ふはぁ、と幸村は目を円にしたが、
『でも、ほんとうにきれいでござる。夕やけは毎日は出ないゆえ、見られたときすごくうれしいのです!きれいであたたかいし、それがし大すきでござる!』
温かいというのは、恐らく西陽が感じさせるそれだろう。が、幸村の最後の言葉に初めて味わうものが胸を襲い、幼い元就は理解に苦しんだ。
視線を下げてみれば、二つの並ぶ影。
(……ああ、それで)
だから弱々しく見え、好きになれなかったのだ。元就は、ふいに理解する。
そして、そう思っていたということは、自分はつまり、
『さようなら、もうりどの!またあしたも、いっしょにかえりましょうぞ!』
それからは、帰り道だけでなく、夕焼けも待ちわびるようになった元就だった。
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