対論5
「──あ、ごめん。つい…」
幸村の不安げな視線を受け、慶次はすぐに元の雰囲気に戻った。
「つか、ありがとな。いつも通りに接してくれて」
「…ッ」
幸村がギクリと肩を揺らすと、慶次は以前のように明るく笑い、
「さっけから言われて、そうしてくれてんだろ?でも、俺も助かる…悪ぃけど」
「……」
悪くなどない、と否定するように、見つめ返す幸村。…慶次の口からは、ごく自然に笑みがもれた。
「あんときゃ、声かけるのずっと我慢してたから…んで、いつかしてぇなって溜まってたんだよな。…実はさ、この後映画行こうと思ってて」
「え…」
「ったく、タイミング悪ィの。──今度は、俺が払うからな」
「しかし、それは」
ここの払いも世話になっているのに、映画代まで、と焦る幸村だが、
「退院祝いだって。…それ以上の意味はねぇんだからさ」
と、微笑む。
(………)
彼の嘘など、子供でも見抜けてしまいそうなものであるが、幸村はもう何も言わなかった。
「とか言いながら、俺の行きてぇとこばっかだよな。時間ありゃ、幸の喜ぶとこ連れてけたんだけど」
「…いえ、…」
俯き呟いた後、
「映画は、何を観ましょう…っ?楽しみでござる!」
と、幸村は明るい表情で顔を上げる。
その行動に感謝しつつ、
「うん、こないだ始まったばっかのさ〜」と、慶次は調べておいたタイトルを聞かせるのだった。
観た映画は二人の好みであるアクションもので、サスペンス要素も含まれており、終わった後は大興奮で感想を言い合った。
次に行く場所までの道中、ずっとその話で盛り上がっていたのだが、
「俺、一人で観てたら、絶対内容全部分かってなかったわ。幸って、すげーな」
すっかり尊敬した調子で、慶次が何度も褒める。
幸村は、こそばゆく感じながらも、
「慶次殿が、見逃し過ぎなだけでござるよ。あんなに、分かりやすかったのに」
と、ついそんな言葉を放ってしまう。
「ちぇー」と口を尖らせる慶次の姿は、自分でなくともからかいたくなるオーラを出しているに違いない。…幸村は、そう思うことで、それを正当化しておいた。
「水族館──で、ござるか?」
着いた建物を見上げる幸村だが、
「そこまで大層なもんじゃねんだ。マニアックな生き物ばっかなんだけど、俺は好きでさ」
「ですが、休館…?」
「だいじょぶ、だいじょぶ。常連だから」
慶次がドアを何度か叩くと、壮年の男性が開けてくれ、「おお、久し振りだな!」と彼を出迎えた。
親しげに話した後、快く二人を館内に引き入れ、
「ゆっくりしてけ」
と、自分は管理室へ戻っていった。
慶次が幼い頃から通っていたところで、今でもたまに観賞しに来ているらしい。
彼の言うように、見たことのない魚や珊瑚などが、壁の水槽の中をウヨウヨしていた。
だが、水族館自体が珍しかった幸村は、どのケースにも目を輝かせ、釘付けとなる。
「幸、ここ、ここ」
「?」
慶次が示すのは、壁に付いた黒いカーテン。
半円形になっており、例えて言うなら、少し大きな試着室。
彼は、その中に入るように促している。
何だろう、と従ってみると、
「おおっ…!」
──目に入ってきたのは、暗闇に光り漂う、何か。
館内は全て薄暗いのだが、そこはそうすることで、さらに光を遮断しているらしい。
よって、その生き物たちが煌々とする姿が、はっきりと見えた。
「きれーだろ?俺のお気に入りでさ〜。大きいとこ行きゃ、いくらでも見られるんだけど、ここだと独占できっから」
へへ、と隣で慶次が笑い、幸村を見下ろす。
「…はい。綺麗…、でござる…」
幸村も、慶次の顔を見て答えた。
「………」
「………」
彼の言う通り、ここは水族館というには規模が小さかった。
全部すぐに見て回れたし、慶次がこれを最後のお楽しみにとっていた気持ちも、易く窺える。
六時半まではまだ時間があるが、
「…そろそろ、帰んないとな」
慶次が呟くと、
「──いえ。もう、このまま店に行きまするので。…もう少し、見ていとうござる」
と、幸村はケースの中の光を、瞳に映す。
「………」
慶次は何も返さなかったが、変わらぬ姿勢で、視線だけ前に戻した。
ケースの前にある手すりに両手を置き、少し身を屈めるように見る。
それでも、ガラスに映るぼんやりとした影は、慶次の方が高かった。
「…言っても良い?」
「え?」
だが、慶次は前を向いたまま、
「さっけに聞いたから、お前が答える必要はねぇからさ。…だからって、痛みを回避できやしねんだけど…」
「──…」
幸村の指が揺れたのが分かる。…が、もう見なかったことにするしかない。
「…ごめん、一回だけ言わせて」
「…ッ!」
向き合い、片手で幸村の肩を軽く引き、耳元に唇を寄せる。
「──…」
…囁いた後、すぐに離した。
その前に、一瞬自分の方へ引き寄せようとした。が、それを考え直してからの行動だったらしく、反動により幸村の身体が少しぐらつく。
しかし、安定するまで慶次が片手を離さなかったため、幸村は何事もなく済んだ。
──表情と、胸の内以外は。
「…本当は、する気満々だったんだけどな?だから、ここ来て…、こんな密室に入れてさ」
あはは…と、慶次は苦笑いを浮かべ、
「危ない危ない。お前を、打ち上げに行けなくするとこだったよ」
「……」
幸村が何も言えずにいると、
「あ…、変な意味じゃねーよ?何か、普通にくっ付いたまま、離れらんなくなる気がしてさぁ。うわ、こりゃヤベーなって」
「──はい…」
幸村の声は、慶次の気持ちをよく理解している音であり、それだけで胸に温かなものが広がっていった。
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