追想3
(あ…)
ベッドのすぐ傍に付けられたソファで横になっている姿が目に入り、起こさないよう静かに近付いた。
大きめの個室で、中はホテルの内装にも劣らぬ造りである。
徳川家と縁のある病院で、救急車を呼んだ際、こちらへの搬送も伝えていたらしかった。
処置は素早く完璧に行われ、あとは体力の回復を待つのみ。
相当量の血を抜かれ、薬も射たれている。
さらに強いストレスを受けたこともあり、幸村は昏々と眠り続けていた。
彼の生家から病院までは近く、運び込まれたのが深夜。
武田家で待つ人々がこちらに来たのは、夜明けに差し掛かる頃だった。
今はもう、今日が終わろうとしている時間。
警察との話は、小十郎がほとんど請け負い、信玄らも付いていた。
かすがや他の友人たちもずっと病室にいたが、全員この部屋で泊まるのはさすがに無理なので、すぐ近くにある待合室で休んでいる。
本当は、徹夜してでも、皆ここに居たい気で一杯だろう。
だが、この姿を見ていると、何となく遠慮しておくか…という気持ちになるのだろうな、とも。
(ずっと起きてたもんな…)
ソファで眠る佐助に毛布を掛けてやり、慶次はベッドとの境に目を向ける。
両の手でしっかりと握られた、幸村の片手。
……片時も離れない。
向かう車の中で詳しい話をケータイで聞き、皆、真犯人に驚愕しながらも、憤然としていた。
信玄や使用人たちはかなりショックを受けていたが、幸村が助かったということの方が重大。
彼らは佐助たちに深く感謝し、友人らは自分たちに隠して勝手に行ったことにも、腹を立てていた。武田家にいた警察の目を避けるためだったのは、理解はできるが、納得とはまた別物である。
…だが、幸村の無事な姿を目にした途端、そのようなこだわりは消えた。
初めて見たかすがの涙に釣られたのか、全員の目が一様に赤くなっていたのを思い出す。
自分なぞは、子供のように大泣きしてしまうことだろう、と思っていたのだが、
…表情を変えず傍を離れようとしない姿を目にすると、どうしてかそんな顛末にはならなかった。
──慶次は、佐助のソファがあるのとは逆の方の、ベッド脇へ立つ。
(…早く起きてよ)
皆、来てんだぜ?お前が目ぇ覚ますまで、全員学園サボり倒す気満々だよ。
俺なんか、バイト無期限休みもらっちゃうしさ。店にも、お前のファン多いんだよ…黙ってたけど。
(静かなお前とか、全然似合わないって…)
手の甲で頬に軽く触れると、温かさが伝わってくる。その都度安堵し、目覚めを待ち焦がれた。
──これも、自分のせいなんだろうか。…割り込もうとする自分の。
(…だったら、俺に下れば良いのに)
何も出来なかった。
と己を罵るのは、自分だけじゃない。他の誰もが、そう思っている。
…だけど
その度救うことで、傍にいる価値が認められる気がした。
結局、自分には本当に想いしかない。
肝心なときに何の役にも立たず、何の力にもなれず、妨げにしかならないこの気持ち。
(…よく分かったからさ)
再び、繋がれた手を見る。
──あの日から今まで、続いていた。
彼が居て、彼が在る。
光と陰は常に隣り合わせだ。
実体と陰影も。
決して離れられない。
その運命は、必ず同じ道を往く。
「…早く起きてさ、また俺を振ってよ」
そんで、これでもかってくらい、見せ付けてよ。
それ見ながら、俺は幸せを噛み締めるから。昔と同じように。
俺の想いなんか、ちっぽけなもんだ。
(お前がいてくれることに、比べたら)
そのためなら、こんなものいつでも棄てる。
それに比べりゃ、こんなもの
…永く失う、あの哀しみと痛みに比べれば
(むしろ、嬉し涙──だろ)
幸村のもう一方の手のひらに、一粒が落ち、弾けた。
寝顔は一層穏やかで、現実のどんなものより、美しく映る。
「──り、がと…助けてくれて。……助かって、くれて…」
引き戸をそっと開け、来たとき以上に静かに去った…
『佐助、しばし離してくれるか?』
『えー…何でぇ?さっき繋いだばっかなのに。誰もいないし、いーじゃん』
『子供のようだな』
そう言って笑う顔に、何故だか涙が出そうになる。
これほど穏やかで好ましいものは、他にないだろうに。
『すぐに戻るから──』
(…旦那?)
どこに、と思ったときには、自分もそこから脱していた。
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「旦那…?」
──気付かぬ内に、寝てしまっていたとは。
目覚めたとき、真っ先に会うつもりで、ずっと離さなかったのに。
佐助は、両手から消えた温もりの跡を確かめるよう、軽く握る。
…ベッドが、もぬけの殻だった。
外からは弱く白い光が射し、病院内は静謐に包まれている。
待合室を覗いたが、他の皆もまだ寝ており、幸村の姿は見えない。
(外かな…)
直感的に、そう思った。
この病院は中庭も立派だが、屋上にも庭園があり、見晴らしが素晴らしいとのことだ。
もちろん、ずっと幸村の傍にいた佐助は、まだお目にかかってはいない。
(一言、声掛けろっての…っ)
寝ている自分に気を遣ったのかも知れないが、こちらがどれだけ心配したのか、すぐ予想つくだろうに。
屋上への扉を開けると、
(…へー…思ったより、立派…)
大パノラマに感心しながらも、人影を探す。
(──いた)
幸村は、事故防止のための高いフェンスに向かい、朝焼けを眺めていた。
ホッとし、佐助はゆっくり歩み寄る。
「…旦那。起きたなら、声くらい掛けてよ」
「!!」
ビクッと、幸村が振り返る。
「さ、すけ…」
「身体、何ともない?まだ安静にしとかないと…」
だが、佐助の声は小さくなり、代わりに瞳が大きくなっていく。
「…だん、な…」
(──思い、出して──…)
見開かれた佐助の瞳に、辛苦の表情が映る。
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