一致2
(知らぬ振り…見ておらぬ振り…)
幸村は、心に念じながら慶次へと近付く。
彼は、長い足を前の席の椅子に届くまで投げ出し、机の上に額を着けた状態。
髪が流れて、顔は見えない。
「…慶次殿」
「!」
勢い良く顔を上げ、驚いた表情で幸村を見る慶次。
「ゆ、き…!」
そのまま立ち上がり、「ごめん!」と、何故か顔を赤らめる。
「えっ?」
幸村は何のことやら、目をパチクリするばかり。…お陰で、態度を怪しまれずに済んだが。
(…ああ…)
そこで、慶次が座っていたのが、自分の席だということに気付いた。
「構いませぬよ、どうぞ…。荷物はもう片付け申した」
と、その隣の席(いつもの如く、佐助のもの)へ座る。
「やっ、もう良いんだ!グラウンド見てただけだし」
焦ったように自席へと戻り、「あれ?元親は?」
内心ぎくりとする幸村だったが、
「用ができて…先に帰られると…」
「あー…舎弟さんたちとバイクかなぁ。んなこと言ってた気がする」
「か、かも知れませぬ」
幸村はホッと、これなら平気そうだと息をついた。
──佐助がまだだということを聞き、慶次はケータイをつつき始めた。
幸村も、先ほど教えてもらった数学の分を見直すため、ノートを開き、下を向く。
(聞きに行って良かった。…これなら…)
とりあえず、心に引っ掛かっていたものが晴れ、勉強にも集中できそうだ。
そして、終われば冬休み。
…必死の思いで勝ち取った、スキー研修。
ノートの内容を何度か咀嚼し、もう良いか…と顔を上げると、
──慶次と、目が合った。
ずっと自席でケータイを見ているものと思いきや、いつの間にか、幸村のすぐ前の席に、移動までしている。
…一体、いつからこちらを見ていたのだろう。幸村は、気付けなかった己を恥じながら、
「つい、没頭しておりまして…」
と、ノートをバッグにしまう。
「うん。すげぇ集中力だなーって、見惚れてた」
「は…」
「何か、久し振りに、幸のことちゃんと見た気がしてさぁ。じっくり観察してた」
ははっ、と慶次は明るく笑った。
「さ、左様で…」
…何と返せば良いか、分からない。
しかし、それきり黙る慶次。
話題に詰まっているわけではないようで、…そのままの笑顔で、幸村をただ眺める。
幸村は、居たたまれなさに襲われ、
「慶次殿、すみませぬ!実は──」
…結局、教室に入る前の立ち聞きを、慶次に白状した。
慶次は面食らいながらも、
「別にわざわざ言わなくて良いのに…」
やっぱり、幸だよなぁー…、と苦笑する。
「真に申し訳ござらん…。決して、他へ話したりはしませぬゆえ…」
「んなの、聞かなくても分かってるよ」
笑いながら、幸村の頭を撫でた。
それも久し振りだったことに、幸村は改めて気が付く。
「…慶次殿も、政宗殿と同じく…?」
「えっ?」
慶次の手が、ピタッと止まる。
幸村は慌てたように、
「あ、いえ!ふと思っただけでござる。…その、…お返事をお待ちしておる身なのではと…」
「ああ…」
なるほど、といった風に慶次は頷き、
「いや、俺なんか…まだ言えてもないんだ。…政宗とは、全然違うよ」
と、情けない顔で笑う。
「そうなのでございまするか…」
それより他に何も言えず、むしろ軽い後悔を感じる幸村。
(詮索するまいと誓ったのに…)
「珍しいな〜。幸が、こんな話題に興味持つなんてさ。やっぱ政宗の…」
「きょ、興味などでは…っ!某は、ただ」
「分ーかってるって!心配してくれてんだろ?…ありがとな」
慶次は以前と変わらぬ温かな笑みで、再び頭に軽く手を置く。
…変わらぬ、その瞳。
限りなく優しいのに──ほんのわずかな隙間に、哀しみが覗く。
夏休み前に、想い人ができたと聞いたときから、ずっと見てきたその二つ。
『その人』を想う際の慶次は、前にも増して…
「…政宗殿も、慶次殿も、…違う人のようでござる」
「え…」
「何やら…遠く離れてしまうかのような…」
幸村は、少し寂しげに笑った。
つまらないことを言っているのは、よく分かっている。
彼らには、何の咎もない。…なのに。
自分が未だ知らぬ感情に、心から全てを捧げている──そのことに、どうしようもなく、果てしない距離を感じてしまう。
かすがのときの、再来のような。
「すみませぬ、つまらぬことを…」
取り繕うように言うと、慶次は腰を上げ、幸村のすぐ隣に立った。
「──……」
片手は机に着き、もう一方は、幸村の後ろ髪をすくう。
「慶次殿…?」
「……」
慶次は少し身を屈め、幸村を覗き込んだ。
その顔は、笑っていながら、…どこか──悲しい。
「慶…」
「んなこと…言うなよ。こっちは、近付きたくて……たまらないってのに」
(え……)
「ごめんねー、待たせて。…あれ、二人?」
パッとドアが開き、佐助が現れた。
「元親、用ができてさー。さっき帰ってった。会わなかった?」
慶次は、何事もなかったように佐助へ向き合う。
「ふーん。…何話してたの?」
「数学教えてもらってた。俺、今度は高得点狙えるかも?」
「へー…」
佐助は、疑いを含む目を慶次へ向ける。
幸村は、慶次が何故嘘をつくのか分からなかったが、佐助の顔を見ていると、それで良いようにも思えた。
第一、またもや慶次の恋愛事情に首を突っ込みそうになっていたことを、知られたくはない。
…今度は、馬に蹴られて云々では済まないほど、叱られてしまいそうだ。
(やはり、慣れぬ話題に、手を出そうとするものではないな…)
そう反省し、幸村はいつもの表情で、佐助に笑いかける。
そして、三人での帰り道は懐かしくさえ感じられ、その笑顔はさらに輝くのだった。
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