波紋2


「親ちゃんの前ではそんなの見せないとか、超健気だし。――親ちゃんのこと、大好きなんだよ。…薬切れるまでの記憶はどうせなくなるんだから、よく考えたら別に問題ないでしょ?」

――あとは、アンタらが我慢すればね、と付け加えたいところだったが、そこは飲み込んでおいた。…自分も含まれる気がするので。

しかし、そんな自分のことよりも、幸村の気持ちの方がよっぽど大事だと思い知らされたくらい、先ほどの彼の表情の力は絶大だった。

夢みたいなもので終わるのだ、どうせならば思いきり幸せな気分にしてやれば良い。

…あの辛そうな顔は、幸村には絶対に似合わない。――いや、こんな茶番でではなく、いつか本当の恋をしたときにすれば良いだけの話。

幸村を悲しませたくないという気持ちは皆同じであるようで、佐助の言葉に沈黙が流れる。


「――そう、か。忘れるんなら…」

と、元親は今度こそ覚悟を決めたように、

「分かった。……俺も、腹ァ、括るぜ!」


「親ちゃん…!――皆も…頼むよ」


…ここまで言われては、ごねる方がみっともないというもの。

三人は渋々ながらも、諦めたように頷いた。



コツコツ、と音がし、幸村がドアを開けるのに苦労しているのが分かる。

佐助が立ち上がるのを制し、元親がドアを開けた。

「すまねえ!やっぱ、俺も一緒に行きゃ良かったな」

パッとトレイを受け取り、幸村が部屋に入るまで開けたままにしておいてやる。


「あ、いえ…」

幸村は、まさか元親がそんな行動をするとは思ってもいなかったのだろう、最初は戸惑っていたが、

「さっきはよー、あいつらがふざけてただけなんだよ、あの曲」

と、彼がそのアイドルを好きではないと分かると、目に見えて頬が緩んでいく。


「でも、お前上手かったよな!ビビったぜ、あの声合ってたしよー。原曲より良かったんじゃねーか?こいつらブリブリ歌うけど、お前のが爽やかで断然好きだわ、俺」


「――!!…そっ、そう…でございまする、か……っ?あ――あの、光栄で」


真っ赤になった幸村は、バクバクいっている心臓の音が聞こえてきそうなほど。


(…薬が切れるまでだ。…それまでの辛抱…)


あの変態教師へこの怒りをぶつけることだけを糧に、フツフツと沸き上がるものを懸命に抑制する慶次たちだった。













カラオケの帰りは、佐助のマンションの近所にある温泉施設に寄る予定にしていた。
本物の温泉ではなく、様々な風呂のあるファミリー銭湯といったところだが、まだ新しく最近若者にも人気のあるスポットだった。

一瞬、幸村の反応を心配してしまった彼らだが、


「元親殿!某、お背中流しまする!」

と、まるで父親に対しての如く言うので、ホッと息をついていた。

一緒に入るなど、意識してしまうのでは…という考えが頭を掠めたことに、恥ずかしくなる。

二人の様子は、似てはいないが仲の良い兄弟のように見えなくもない。

とりあえず、こんな場所で妙な雰囲気にならないでくれて助かったと思うばかりである。


慶次と佐助――非常に珍しいことだが――は、サウナにこもっていた。
慶次はともかく、暑さを好まない佐助は、本当に気まぐれだとしか思えない行為。


「……さっけは、すげぇや」
「え?」

暑さからだけではないと見える溜め息をついた慶次に、佐助が何のことかと首を傾げる。

「――情けねぇ……。本当なら、さっけみたいに思えなきゃなんねーのに。……幸のこと想うなら」

自責の念にかられるように、はあぁ、と再び息を吐き出す。

大分精神的に参っているようである。


「……俺様は、慶ちゃんとは違うから。…てか、慶ちゃんは仕方ないんじゃない?」


「あ――」

慶次は、やや驚いたように、「気付いてた?俺の…」


「すぐ分かるって言ってたけどさ、…さすがに、そんなすぐは無理だったよ」

佐助は苦笑する。


……呆気ないくらい、簡単に言ってしまった。

今までバレないよう黙っていたのが、馬鹿みたいにも感じる。

「ごめんね?慶ちゃんには悪いと思ったけど……旦那のが、可哀想だったから。――病気か何かだと思えば」

「病気かあ」

ははっと慶次は笑い、「しっかし、明智の奴、恐ろしいよな。あの薬、どうにかしねぇと」

「確かにね。…ま、その辺は俺様たちの手にかかれば――ね。…久々、気持ち良いほどムカついたから」

サウナの温度が下がりそうな、それは冷ややかで黒い笑みを浮かべる佐助である。


「――ああ…でも辛いなー…あの顔。幸の…」

眉を下げて笑う慶次に、佐助の胸はチクリと痛んだ。

――意外である。

あれほど、彼と幸村がどうこうなるのを危惧していた自分だというのに。


……と言うよりも、

どこか……羨んでいるような、この気持ちは一体。


自分が未だに持ったことのない想いを、慶次が手にしているから――なのだろうか?


(…分からない…)



「ま……あ、明日の夜には忘れてるんだから。――それよか、旦那への説明考えとかないと。記憶がないなんて、びっくりするでしょ」

「そーか、そんな問題もあったんだっけ…」

案を練り始める二人。


…ふと、慶次にある考えがよぎる。

忘れるんなら……じゃあ、もし――


(……いや、でもそんなの虚しいだけだな、きっと…)


光秀への怒りや、元親への妬みの、混沌とした頭と心では、佐助に自分の気持ちが知られていたことに対して、そこまで驚くことのなかった慶次。

――それに集中できないくらい。


…頭の中では分かっていながらも、心に、その全てを嘗め尽くされてしまいそうなほどの炎が燃え上がっていくのを止められない。



(……あっついな……)



果たしてそれは、サウナの熱のせいだけだったのかどうか。


――慶次自身にも分からなかった。

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