大手会社に勤続数年、それなりの昇進を遂げ、そこそこのキャリアは持てた。
仕事内容に不満はない。
長時間残業もなく完全週休二日制、その他特休や安定額のボーナスも確保されている。最高の環境だろう。
(周りは皆、それを満喫してるってのに…)
余暇のスケジュールは、今月も来月もその先も、絶望的なほどにまっさらだ。
仕事帰りの電車の中、官兵衛は地味に落ち込んでいた。休前日の恒例で、また混雑で常に座れないものだから、身体の疲れが心にまでのしかかる。
人付き合いが悪いのもそうだが、この外見──長身で体格が良いのに姿勢が悪く、髪もボサッと伸びきっている──から、『暗そう』『得体が知れない』などと敬遠されていた。(髪形を変えれば、今度は中身との違いに残念がられる)
周りが明るい人生を送る最中、彼は恋人以前に友人もほぼいない。たまに出会い(男女問わず)があっても、持ち前の不運さが邪魔し、いつもうまくいかないのだ。
電車でも、何度トラブったことか。そんなつもりはないのに、いちゃもんを付けたと突っかかってくる若者、怖いおじ様、足を踏んだとキレる女性…
その度車両や時間帯を変えるのだが、必ずついて回るという。
(死ぬまで、ずーっとこうなのかねぇ…)
今度、占い屋にでも行ってみるか?
そんなことを考えていると、ふと視線を感じた。斜め前の女性が、ジロリと睨んでいる。
な、何でだ?そう思ったとき、
「すみませぬ、ちょっと…」
「あ?…お、おいっ?」
茶髪の少年に手を取られ、官兵衛はぐいぐい引っ張られていく。何がなんだかだったが、
「この人痴漢ですッ!」
「なっ…何を…」
「とぼけても無駄!あんただったのね!」
「──…」
(…げぇ……)
官兵衛は、みるみる蒼白する。
叫んだのはあの女性で、恐らくさっきまでは、官兵衛のことを痴漢だと思っていたのだろう。あのままあそこにいれば、世にも恐ろしい冤罪を…
電車が駅に停まり、ハッと少年に向き直ると、
「某、ここで降りるのですが、」
「ちょ、ちょっと待っ!」
「ぁ……」
勢い余って、官兵衛もそこで降りてしまった。
「本当に助かった…!何て礼を言ったら良いか!」
「い、いえ、そのようなっ」
恐縮する少年は、よく見てみるとスーツ姿だった。就職活動中の学生だろうか?それにしては、明るい髪色だが。
馬鹿丁寧な口調にタレントのように整った顔で、しばらく見惚れてしまったほど。こんなに綺麗な面立ちをした男を見たのは、初めてだった。なのにスカした感じもなく、真面目そうな。
好青年の類いは、最も近寄りたくない人種なのだが…
閑散としたホームのベンチに座らせ、何とも珍しく、官兵衛は自ら互いの自己紹介を促していた。
真田幸村というその彼は、驚いたことに自分と同じく勤め人で、
「たった三つ下…!?」
「…よく言われまする」
「あ、いや!小生が老けてるんだな」
精一杯のフォローをし、「そういえば」と、
「お前さん、目が良いんだなぁ。よくぞあんなの見つけてくれたよ」
「…ぁ……」
(ん…?)
幸村の反応に、戸惑う官兵衛。
彼は何故か頬を赤らめ、喋るのをためらっている。
女性が見れば『可愛い!』と狂喜したに違いないその顔に、『な、何なんだ…?』と官兵衛は戦く。──あろうことか、男の自分までそう思ってしまったので。
これが異性なら、願ってもない状況だが、
「実は…某、以前より黒田殿を拝見しておりまして…」
「………」
控えめな告白に、官兵衛は硬直した。
…人生初めての幸運が、何故よりにもよってこんな?
こんな──…
健全で真面目そうで親切で、女から引く手数多だろう奴が、何でまた自分なんかを。夢なんじゃないか?
だったら、一生覚めなきゃ良いのに。
(……って、違う!!小生は男で、こいつも男!!)
何の抵抗もなく湧いた感激から目を覚まし、官兵衛はぶるぶると首を振る。
『どうすれば』と焦っていると、
「某、春に異動でこちらに越してきたのですが…帰りの電車で初めてお見かけして。柄の悪い輩に、絡まれておったでしょう?」
「ああ……」
途端、官兵衛の高揚が静まる。またまたよりにもよって、そんなところを見られていたとは。しかも、それだけではなく、
「その後、電車や車両を幾度も変えられたが、行く先々で同じような目に遭われて。てっきり乱暴な方なのだと思っておったら、そうではないと分かって…」
幸村は微笑み、「今日こそは手助けができ、良かった」
「…………」
その顔に、『踏み外しても良いかも知れん』とグラつく官兵衛。
自分がやれば、百人に百人が気持ち悪いと思うだろう軽ストーカー行為も、彼ならそれ以上の人間が望むんじゃないだろうか。
などと思ったのだが、
「初めての場所で初めてのことに、萎縮してしまいましてな…情けなくも、逃げるしか出来ずにおりまして」
そこを、官兵衛の存在に救われたのだという。
(あー…そういうオチかい…)
慣れない新しい環境で、仕事や生活に四苦八苦していた際、官兵衛のあまりの不運さを見て『まだマシだ』と思えたのだろう。
「小生の不運も、役に立つことがあるとはねぇ。…ま、他人の不幸は蜜の味だからな」
「え……」
「しかし、その考えはどうかと思うぞ。小生が言うのも何だが、自分より低レベルな奴見て慰みにするなんざ、」
「違いまする!」
(へっ…)
幸村の大声に、官兵衛は面食らう。
続けて、さらに赤面させ悲しみの表情になっていく彼に、ギョッとした。
「ぉ、ぉぃ…?」
「そうではなくて、某──」
誰にも口外しないで下されと、幸村は官兵衛の耳元に唇を寄せる。
その行為にこれまで以上のときめきを感じてしまい、『終わった』という声が、官兵衛の頭に響いた。
「…そ、そりゃあ……」
「ゆえに、決して黒田殿のことをそのようには…っ」
「ぁ──ああ、…悪かった」
官兵衛が慌てて謝ると、幸村も肩を下げた。
その顔は真っ赤で、官兵衛は気の毒やらホッとするやらで…
(…だから、さっきのも分かったわけか)
危うく濡れ衣を着せられそうになった、あのとき。──幸村はこちらに越してから、あの女性と同様の被害を受けていたのだという。
電車での通勤、かつそんな体験も初めてで、最初は気のせいだと思ったらしいが…
エスカレートする行為に、混乱と羞恥に呑まれ、無抵抗になってしまったのだと。
それを最小限の被害で済ませてくれたのが、官兵衛の『不運』だったという。
同じ車両が騒ぎになれば、痴漢も気が削がれる。見付かる恐れも出るしで、幸村からサッと離れ、姿を消していた。
そして、車両や時間帯を変え、何度か被害に遭ったときも必ず官兵衛がいて、ほとんど未遂で済んだのだと。
幸村にとっては神か仏か、とにかく救世主に映ったわけである。
「…そうとは知らず、随分なこと言っちまったもんだ」
「いえ、某も言葉足らずで…言うのに勇気が要って」
幸村は頭を下げ、「本当に感謝しておりまする」
「いや、偶然だからな?」
「しかし、毎回であったので、某はそうではないと思いまする!」
「…そうかねぇ」
そうだと良いんだが。
今回のこれは、幸か不幸か…救えてたってのは光栄だが、妙な誤解をする前に聞いておきたかったような。
──いやいや、まだ間に合う。
今までだって、何もせずにフラれることは幾度も経験している。今回もそれとほぼ同じ、今後二度と関わらなければ良い。
きっと、その内忘れるだろう…
「これも、何かのご縁…良ければ、友人になっては頂けませぬか?」
「んなっ、なにぃ!?」
「…ご迷惑でしたら、」
「いや!迷惑被るのは、そっちだと思うんだがな!?」
「そんなわけござらん…っ…」
(……どぅ…ぉ……ッッ!!!)
これは本当に、自分と同じく四捨五入すれば三十路の人間、かつオスなのだろうか?それとも、己があまりに異性との関わりがなかったせいなんだろうか。
女のように華やかじゃないってのに、何でかこう、
そういえば、天使ってやつは確か中性……いやいやいや目を覚まそうか、自分?
「某、黒田殿と親しくしたいのです!もう、すっかり惚れ込んでしまいましてっ!今日こそは話しかけようと…」
「ほ、惚れ」
──違う違う、
あぁ、あの痴漢さえなけりゃ、普通に話しかけられてたってのに…!
官兵衛は嘆きつつ、
「その……小生、お前さんが痴漢に遭うの、ちょっと分かったりするんだが…そんな奴だぞ?」
「な!?では、教えて下され!原因を克服致しまする!」
「……いや、無理だと思う」
それから、その『友人に』っていう純粋に嬉しい言葉を断るのも、誤解から生まれてしまったこれを忘れるのも、全部無理そうだ。
ああ、終わった。…だが、やっと始まった。──ん?始まったが終わった?
どっちなんだか分からんが、夜の侘しい駅がやたらと綺麗に見える現象は、恐らくここに限ったことじゃあない気がする。
これからは。
「…克服は無理だと思うが、小生の側に立ってりゃ、被害に遭わずに済む…かもな」
「え…っ」
「ほら、あの……デカいだろう?壁として」
「………!!」
──嬉々とする顔に、また風景が鮮明になる。
『では、帰りはどちらで待ち合わせを!?』『たまに、一緒に夕飯でも』『休日も同じとはっ!明日、良ければどこかへ…』………
こうして、官兵衛の余暇のスケジュールは、来月までみっちり埋まったのだった。
予定を詰め込んだ20時
(偶然も積もれば、もはや必然)
‐2012.12.28 up‐
お題は、【
biondino】様より拝借・感謝^^
ほぼ官幸なつもりなんですが、官兵衛には『小生はそんな目で見てないっ』と、苦悩(コメディな感じで)してもらいたいんだよなぁ〜…で、いつもこんな感じ。
官+幸や親幸は、幸村を積極的にさせたくなる(*^^*) せっかくの?痴漢ネタは何もなくて; 幸村なら肘鉄で一掃するだろうけど、そこは都合上。
官兵衛は智将だから、現パロでもデキるお人が良いなと。勉強もお仕事も。三成・就様・幸村も智将、てことで皆、現パロはんべのお気に入りだと思われる。
bsr幸村や官兵衛みたいなキャラが、実は才知に長けるとか素敵^^
[ 21/25 ][*前へ] [次へ#]