(結局…ここだな)


久し振りに与えられた休日。

それを有効活用できないのが、独り者の悲しいところ。

小十郎は、いかにも時代に取り残されたような、閑散としたその銭湯の扉を開ける。


「ああ──片倉さん、ご無沙汰だね」

番台に座る老年の亭主が、相好を崩す。それが、心からのものだと昔からよく知っているので、休みとあらば、ついついここへ足を運んでしまうのだ。


「今、お客ゼロだからね、ちょうど良かった。ゆっくりして行っとくれ」

と、貸し切りの札を男湯の入り口に下げる。

「すまねぇな」

小十郎も、普段はそう見せない笑みで応え、奥へと入った。









「たのもう、親爺殿ー!今日もお手伝いをさせて頂きたく、参った次第!」
「ああ、坊っちゃん。悪いねぇ、いつも」

元気の良い子供と、亭主の嬉しそうな声が響いて来た。

「でも今はね、特別なお客さんがいらしてるんだよ。背中流しは要らない方だから…」
「…そうなのでございまするか」

シューンという音が聞こえてきそうなほど、子供の声は元気をなくしていく。


長居するのが悪い気がし、小十郎は湯から上がった。


「では、今日は脱衣所の片付けだけでも致しまする」


『『ガララッ』』


二つの音が重なり、小十郎と子供は、バッタリ顔を見合わせた。



(こんなに…)


小十郎は、にわかに驚く。

喋り方からして、もっと年長な子供を想像していたのだが。目の前に立つのは、どう見ても小学校低学年。

こぼれ落ちそうなほどの大きな両目、ほのかに桃色に染まった、いかにも健康的に見える頬と、肌…。

雑誌などから飛び出て来たかのような、嘘みたいな愛くるしさである。


「こんにちは!某、真田幸村と申しまする!時々、こちらでお手伝いをさせて頂いておりまする」

ニコニコと、何のてらいもない笑顔を向けてくる。


(…ほぉぉ)


このくらいの年の子であれば、だいたい怯えられる自分。
小十郎は、少し目を広げた。


「俺は、片倉…」


幸村は、「よろしくお願い致しまする、片倉殿!」と、そのまま脱衣所の片付けを始めた。

しばらく、暑さを引かすため長椅子に座っていると、



視線を感じた。──背中、に。



「…初めて見たか?」

苦笑し、後ろを振り向く。


それはそうだろう。どこの風呂屋でも、出入りは禁じられているのだから。

それで、ここにしか来られないのであるし──『貸し切り』なのである。



(あ…?)


しかし、幸村は何故かキラキラと輝く顔で、


「綺麗でござるなぁ…っ!何の絵なのでございまするか!?」

さらにウットリとした表情になり、小十郎を見上げてくる。


(──……)


小十郎は、しばし呆然としていたが、


「…こりゃ、天に昇る竜の絵だ。竜…分かるか?」

「りゅう…」

「一番強くて逞しく、何より美しい生き物だ。──と、俺は信じている」


それ以上、これに込めた思いを語ったところで、理解できやしないだろう。

そう、すぐに口を閉じるが…


「湯で消えないのだとは、不思議な…」

どうなっておるのでござる?と、背中に触れようとするのを、サッと避けた。

「──ま、その内習うだろうぜ」
「何年生になれば?」
「あー…どうだろうな…六年生くらいか?」
「やはり、図工で…!?」
「多分な」

楽しみでござるぅ…!と力を込める姿に、騙しているのも忘れ、笑みが湧いてくる。


その後も、ここに通うようになった話──番台の亭主が街で気分を悪くしていたところを、彼が見付けて家族に連絡したのがきっかけらしい──や、学校や自分の話を嬉しそうに披露してきた。

まるで、親戚の者か何かに対するような態度で、小十郎に接する。


(おかしなガキだぜ…)


呆れたような、それでいてどこか不思議な気分を起こされたまま、銭湯を後にした。













(特にすることもねぇな…)


煩雑な日常に浸かりきっているせいか、休みをどう過ごせば良いか分からない。
苦い笑いばかりが湧いてくる。


(あのガキは、毎日…どんな瞬間も、楽しいんだろうな…)


あの顔を見れば、ありありと分かる。
彼なら、どんなつまらないことでも、簡単に逆のものへと変えてしまいそうだ。
どんなに小さなものでも、そこにある光を見付け──そして、周りにもそれを伝染する。

銭湯の亭主の下がりきった目尻が浮かび、頬が緩む。


さて帰るかと、それまで何となしに座っていた公園のベンチを立つと、


「片倉サンじゃぁ〜ん、奇遇だねぇ〜!」


ニヤニヤと、嫌な野郎が現れた。

他の組の、末端も末端のチンピラ。
二十歳にもなっていなさそうな若者たちを連れ、王様気分でいるスッカスカの男だ。

今日は、一人のようだが。


この間組同士でモメた際、小十郎が彼の兄貴分の顔に泥を塗ったため、相当恨みを持たれている。


「何やってんのー?こんなとこで、…一人で」

報復のチャンスだと思ったらしく、下卑た笑いを押し付けてくるが…


「あ!片倉殿ぉ!」

「…!?」


何というバッドタイミング──幸村が、満面の笑顔でこちらに駆けて来る。

…まさか、この辺をうろついていたとは。

知らぬ振りを通すことにし、そこから立ち去ろうとしたが、


「ボク〜?もしかして、このお兄さんと知り合いなのかなぁ?」
「え…」

案外、悟い子なんだろうか。野郎のニヤけた顔に、警戒の表情を見せる。


「うわお、超カワイイね〜ボク!片倉さんの子供にしちゃ、上出来じゃん?」

「!?あの…ッ?」

「テメェ…そいつは、俺の知り合いでも何でもねぇ。離せ」

幸村を捉えていた彼に、掴みかかろうとするが──


「うわぁ!助けて下さい、誰か!弟が誘拐される!スゲェ怖い人に!ひぃやぁ〜!」

そう言うと、幸村を小十郎の方へ押し、その辺を行く人々の輪へ飛び込んで行った。


(何を…)


イカれた奴にもほどがある、そう思い幸村の手を取ると、


「け、警察呼びますよ…!」
「その子を離して下さい…っ」

周りが、さわさわと騒ぎ始める。

一瞬何のことか理解できなかったが、周囲は、野郎の言葉を信じたらしい。

人々の後ろでゲラゲラ笑う姿に、憤りを感じるが、…幸村が解放されれば、それで良い。


「違いまする、某はあの方の弟では…っ。誘拐なんかじゃ、ありませぬ…!」

幸村は必死に弁解するが、無理に言わされているのでは…と疑われているのが、ひしひしと伝わってくる。


それを見て、腹を抱えている彼。


(あいつは本当に──こいつより幼稚な野郎だぜ…)


心底呆れながらも、


(この顔のことは、俺が一番よく知ってんだよ…)


と、小十郎は口角を上げると…



「…皆さん、お騒がせして申し訳ない。ただの、パフォーマンスです。罰ゲームの一環で」

と、別人のような、穏やかで優しい笑顔を見せる。

付け加えると、周りにいた主婦から若い女学生までのハートを、一つ残さず掌握した──…ほどの。それはもう、とてつもなく男前な。


「あっ、そ、そうだったんですか…!」
「これは、こちらの方こそ、申し訳なく…」

…何故か、中年のおじ様まで頬を赤らめている。

この突然の逆転状況に、すっかり呆気にとられるチンピラ。


「なぁ──幸村?似てはいませんが、れっきとした親子なんですよ。彼が、私の強面をよくからかうので、こんな戯れを」

「まぁ、お若いお父様ですね…!」

「幸村くんっていうんだ〜、可愛い!カッコイイお父さんで良いね〜」

「っあ、はっ、はい…!」


──やはり、勘が良い。合わせてまでくれるとは。

照れたように受け答えるその姿に、小十郎は感心する思いだった。


チンピラは、悔しそうに唾を吐き、誰も気付かないまま立ち去って行った。











「悪かったな、変なことに巻き込んで」

「向こうが嘘をついたのに…片倉殿は、悪くないのに」


理不尽さが許せないらしく、あれからずっと、ムッスリしている幸村。


「いや…悪い奴なんだ、俺は。だから、ああ見られる。あの人たちの見方は正しい。…お前も、大人になりゃ分かる」

「片倉殿は良い人でござる!優しいし、某を助けようとして下さった!悪いのは、絶対あちらでござる!」

ムキーッという擬音がぴったり似合いそうな形相で、幸村は小十郎に向かい合う。

…やはり、笑みが込み上げてくる。


「だが、嘘つきは泥棒の──って、知らねぇか、そんな言葉」
「知っておりまするよっ!それは、幼稚園のときから沢山聞き申した!」
「そうか…」
「しかし、嘘には色々あるとも、教えられておりまする。ついて良いのと、そうでないのと…」
「『嘘も方便』──だな。…ま、でも実際、お前くらいのガキがいても良い歳なんだがな」

小十郎は苦笑し、「ちなみに、お前の父親、いくつだ?」


「──……」


幸村は、沈黙した。


(…この歳じゃ、親の年齢なんざよく知らねぇか)


もう良いぜ、と言ってやろうと口を開きかけると、



「父上は…某が生まれる前に、天国へ行かれ申した…」


「………」



──“ まさか ”


それが、真っ先に浮かんだ言葉。


(それなのに、あんなに明るく…)


惨いことを聞いてしまった──小十郎は、後悔に苛まれるが、


「ですので、嬉しかったのです、先ほどの嘘は…!」



…実は、結構自信があったりした小十郎なのだが。

その笑顔には敵わない、と思った。自分の、あの微笑みでさえも。



「…家まで」

送る、と言いかけたが、


「あの!…先ほどの悪い人が、もしかしたら、また某を捕まえに来るやも知れませぬ!」

「ああ、だから」


「だっ、だから、今日は一日…ずっと、振りをしていた方が良いのでは…っ!?……





……ち、父上……の…」



真っ赤に俯く幸村。


彼ほど賢ければ、分かっているはずだ。家まで送ってもらい、それからは大人しくし、自分と二度と会わなければ…

…なのに。


自分にも、移ってしまったらしい。その、全く賢くない…確実に誤った願いが。


思った通り、──伝染させる。


「…ちょうど良かった。久々の休みだってのに、何して良いか、分からなくてな」

しゃがんで、幸村を下から見上げる。


「教えてくれねぇか?良い…楽しい休日の、過ごし方ってやつを」


穏やかな声に、幸村が顔を上げる。

小十郎の表情は、さっき見せた悩殺スマイル以上に自然で、…しかも、その威力は格段にそれより勝るという──


「…っはい!お教え致しまする!お任せ下され、片倉殿…!」


小十郎は、『父上』と呼ばせるかどうか、ふと考え止まったが、


その顔が付くのであれば、別にどんな呼称でも構わないかも知れないと、すぐに浮かぶ。


(さぁ、どんな休みになるのか…)


小十郎の笑みと同時に、腕時計の針が小さく傾く。


それはまるで、これから始まる二人の休日の、幕開けの合図にも感じられた。





11時活動開始!

(…手でも繋ぐか?)






‐2011.9.17 up‐

お題は、【biondino】様より拝借・感謝^^

極道設定(のつもり)、すみません; しかも、全然そんな風に見せられんかった(´∀`)
銭湯とか渋い趣味や、その他諸々スルーで…;

男前こじゅと可愛い幸村が、仲良くほのぼの…というのを目指したかったんですが(--;) やっぱ子供らしくねぇぇ(@_@;)

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