蜜3


「何故…そのような。人生を…棒に振ろうとしておるのですよ…」

幸村の声が震える。

「――そう、すれば良かったのに。…妄想、の通り。昨日も…できたというのに」


…何を言っているのだ、自分は。
ずっと欲していた心をくれた、あの人がありながら。

それに、これではまるで慶次殿に非があるかのようではないか?
ここまでしてくれた彼に、一体何を…。


「…もー。そんなこと言われたら、また嬉しくなるだろ」
「な…っ?」
「もう諦めてよ、幸。お前が何を言ったって、好きになるばかりだからさ」
「……!」
「無理やりやめたら、俺死んじまう――」


途端、バシッという音が鳴り響く。

…幸村が、慶次に平手打ちを食らわせたらしい。


「…ってぇ…!何すん――」

だが、慶次はそれ以上何も言えなくなる。
目の前の、鬼のように怒りながらも――大きな瞳に涙を溜める、その姿に。


「ゆ…き」
「二度と…!二度と申されるな、そのようなこと!冗談でも許さぬ…!」

「……てぇよ」

慶次が、頬をさすりながら俯く。

「拳にするつもりだったのだから、感謝して頂きたい!」
「――ったく…!話は最後まで聞けって…」

おーいてぇ、とブツブツ言いながら慶次は顔を上げた。

「死んでるのと同じことになっちまうから。…お前を好きでいるのをやめるのは」
「――は…」

「お前や忍の兄さんには煙たい存在だろうけど。俺も、…生きてたいからさ。…お願い」

と、あの顔をする。幸村が、決して逆らえない、あの――

「煙たくなど…」

今度は幸村が俯く番である。

「良い…のですか。…某は、貴殿を選ばぬというのに。…貴殿の人生を頂いてしまって」

「俺が、そうしたいんだ」

きっぱり言いきる慶次に、やはり涙が出そうになるので顔を上げられない。

「俺の信条は、人を恋うこと。天下を獲ることよりも、ただ一人を幸せにすること。だから、あいつがお前を悲しませたりしたら…すぐ殴りに行ってやる」

慶次はいつもの笑顔で、拳を握る真似をした。

「…幸せで、ござる…。某は、この上なく…っ」

声を詰まらせ、「貴殿が…っ、そうしてくれた。慶次殿が、某に…この、望んでやまなかった幸せを――くれた」

と、唇を噛み締めながら、堪えきれなかった滴を顎からポツッと落としていく。


「――うん。…ありがとな」

そう言った顔は、心からの優しさに溢れていて。

「それは、某の台詞にござろう…?いつもいつも、慶次殿は…っ」
「よしよし」

温かいその手が、幸村の頭を優しく撫でる。


「…けい…じ、どの、は……大馬鹿、者っ……だ…」
「それ、あいつらにも言われたー…。幸にも言われちゃうとはなぁ」

情けない顔で、慶次は苦笑した。


「…もう、泣きませぬか…?一人で。――知らぬところで」

「お前がそうやって…いてくれる限り」

もう、俺は独りじゃないから。


「こんな下心持った奴だけど…まだ友達でいてくれる?また…甲斐に行っても…」
「もちろんでござる!」

幸村は急いで顔を上げ、「こんなご時世ですから、何があるか分かりませぬゆえ、できるだけ多く――」

「ちょっ!さっき俺が言ったときは殴ったくせに」
「はっ…、申し訳…!…某は、死にませぬ!お館様のご上洛後、慶次殿と元親殿と、船で旅をするのです…!」
「忍の兄さんも、一緒にね」
「――は、い…!」
「ついでに政宗たちも?…いやー、兄さん大変だろーなぁ」

想像するだけで笑いが出てくる。
幸村は、当然分かっていないのだが。


「…来世とかあるなら。また、お前に会いてぇなぁ」

「ものすごい美人なおなご…でござろう?」
「あ、覚えてた?」

照れたように笑うと、幸村もようやく笑顔を見せてくれる。

涙の跡が、叩かれた頬の痛みが、慶次の心をさらに熱くしていく…。


――女でも男でも。
また会えるのなら、それ以上に幸せなことはない。
きっと、その魂に引き寄せられる。
…必ず、見つける。

そして、次こそは…





いや、今度もきっと。…お前の、あの笑顔の居場所を。



俺は、必死で探すのだろう――。







「……」


一番端の布団から、小さく鼻をすする音がした。














山の中に拓けたその地を、ゆっくりと見渡す。
この二月、毎日のように通い、鍛練以上の経験をしてきたこの場所を。
色々な強者と槍を交わし、存分に腕を磨き。
行き帰りに、慶次と話した多くのこと。
元親たちが増えてからは、しょっちゅう予選を見に来るようになった彼らともその道を歩み。
戦以外で、好敵手と闘う機会にも恵まれ。

ほんの二月だとも言えるかも知れないが。
それよりも長い時間で得たことのない、楽しくて眩しい様々な出来事。

そして。
…少し、変わったように思える――自分。



「だーんな」


振り向けば、未だ見るのを意識してしまう、彼の顔。
あの、優しい…だが、どこか違う風に見えるのは、自惚れだろうか――


「西海の鬼と、独眼竜たち、そろそろ発つってさ」

と、目をやる先には、からくりを中心に集まる長曾我部軍と、立派な馬たちと立ち並ぶ伊達軍の集団。
幸村は、少し離れた武田騎馬隊の元へ来ていた。

「あ、ああ…」

そのまま佐助を見ていると赤くなりそうなので、自分も彼らの方へ顔を向ける。

「挨拶して来なよ。…俺様、もう怒ったりしないから」

幸村の様子を遠慮だと思ったらしく、苦笑しながら言った。

「う、うむ。…では、行って来る」


…とすると、佐助は、皆と友であることを認めてくれたのか…

心の中で、ホッと息をつく。

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