蜜2
『…ありがと。良い夢を見せてくれて』
「――……っ」
幸村は、怪我をした際のように眉間に皺を寄せた。…痛いのは、胸。
…自分は、何ということを。――あまりに酷い仕打ち。
こんなことなら、すぐにきっぱりと拒んでおくべきだったのだ。
舞い上がって、女々しくもふらふらと。…逃げようとして。結局…振り回した。
それとも、心を決めて彼を選び、自分も返すべきだったのか。
沢山救われて。…惹かれていたくせに。
きっと、心が彼で一杯になるのに、そう何年もかかりはしなかっただろう。
…だが、やはり。
利用するのも嫌であれば、自分の気持ちを抑えるのも我慢がならず。
自分が一番諦めが悪くて。…しつこくて。
そして、生きていて良かったと、初めてこんなにも強く思った自分は。
どうしようもなく…泣きそうなほど、嬉しくてたまらなかった自分は。
何て勝手で。…残酷なのだろう。
「慶次殿…」
小声で話しかける。
相手が寝ていることは承知の上だ、が。
「…佐助が、某を…。――慕ってくれておる、と…」
詰まったのは、照れからだけではなく。…胸の痛みは治まっていない。
「返事…聞いて参りました。…だから、今度は貴殿の番でござる」
――承諾は得ていないが。
「あの日…貴殿が甲斐を訪れ、某を都へ連れ出してくれなければ、このような顛末はあり得ませんでした…」
何と、どう感謝すれば良いのか。
「慶次殿はああ仰っていたが、確実に貴殿から頂いたものの方が多い。…某の友は一人だけにござったが、二人目は…こんなにも素晴らしい方で。本当に恵まれている」
幸村は、慶次とのこれまでのことを振り返る。
優しい、温かい言葉で自分を救ってくれて。
沢山、教えてくれた。――楽しいことや、想うこと。…そして、想われること。
「不思議なのです。…会って間もないというのに、まるで昔から知っていたかのように、すぐ心が落ち着いて」
ずっと見ている慶次の寝顔は、とても穏やかに見えた。
顔にかかる髪のせいでよくは見えないのだが。
「慶次殿は、いつも某の気持ちを分かってくれまするが。知らないでしょう…某が、どれほど貴殿を慕っているか。…どれだけ貴殿が大切か」
幸村は、微笑を浮かべ、
「兄弟のようだと言われて嫌だったのは、貴殿と対等だと思われたかったからなのです。…しかし、やはり貴殿の方が何倍も大人で。敵わぬと痛感する日々でござった」
風来坊の名に、全くそぐわないそれで。
「某も、貴殿の辛そうな顔をどうにかしたかった。…あの三日間だけは、本当に気が気じゃなく。戻られたときは、いかに安心したことか。あの…涙は、自分もひどく辛くて。某は、笑っておられる慶次殿が好きだから」
幸村は、そっと慶次の髪に触れた。
「あの祭りの舞…。某は、見惚れておりました。あの姿…あの瞳に。苦しくて…緊張して。神社では、――自分ではないような…」
今なら分かる。そうなった理由が。
「慶次殿の気持ちを知って…。貴殿は、某を困らせたとお考えなのでしょうな。…それは違うのです」
「思ってもおられないでしょう?某が…嬉しかったのだと。それはもう、頭が爆発するのではないかというくらい。…胸が熱くて、苦しくて。ここが…貴殿の言っていた――『どきどき』、したのです…」
眉を寄せ、胸を押さえる。
「だから…不誠実でしょう、本当に。だというのに、某は…貴殿を選ばず」
目頭が抗いようもなく熱くなり、抑えられない。
「…もし。…もしも佐助が…。初めから、この世のどこにもいなかったとしたら。某は、きっと――」
ふいに、幸村の言葉は途切れた。
「慶次殿…」
いつの間にか慶次の目が開いており、しっかり幸村を見上げている。
…そして、優しい笑みとともに、
「きっと……?」
幸村は、照れることさえ忘れ、その瞳からポロポロと雫を落とし、
「…きっと…貴殿に。――恋をしていた」
その、すべすべの頬から滴る涙。
摩擦が少ないからなのか?珠のまま、すーっと落ちるのは。
何て綺麗なんだろう。
…俺のためにこれを流してくれてるんだ。
その腕を取って、体勢を逆にする。
驚くお前の顔と、そのせいで止まる涙。
――だけど、すぐにまた濡れる。
俺がする行為のせいで。
その口から出るのは、全て俺の名前…
「――てのは、俺の妄想で」
と、慶次は幸村を見上げたまま笑った。
かあっと頬を染める幸村。
「慶、次殿…いつから…」
どこから起きていたのだ…
「あー…と。ごめん、最初から」
「――!!」
「あっ、でもさ!俺に聞かせてくれる話だったんだろ?」
「それは…そうですが…」
聞かせるのと聞かれるのとでは、状況が違う…
が、慶次はニッコリと微笑み、
「俺、めっちゃくちゃ嬉しい!今ほどお前をどうにかしたいと思ったことはない!あ、でもしねぇから安心して?――もう、本当にどうしようもなく…お前が可愛くて仕方ねぇんだけど!」
「け、慶次殿…」
幸村の顔が、烈火の如く燃え上がる。
「全部、嬉しくてたまんないんだけど、何より…俺にドキドキしてくれたって…。うーわー…どうしよう…」
そう言いながらもすぐに、
「大丈夫、勘違いしてねぇから。…でもさ、良かったなぁ、おい!って気持ちも大きいんだよ。やっぱりあいつ、お前に惚れちゃってたんだ。俺が二人を…お前のあの想いを成就させられたんだ…。すげぇなぁ…」
慶次は起き上がり、幸村の濡れた頬を指で拭ってやる。
「お前は、やっぱりすごい。…本当にすごい。俺、振られたのに…幸せなんだよ。すっげぇみっともねーけど、一生お前に片想いさせて?ていうか、したい。いや、勝手にする」
「…!?それでは、慶次殿がっ…!某は、慶次殿が幸せでないと――」
「だから、幸せだっつったじゃん」
と、相変わらずの笑顔でいる慶次。
幸村は、信じられないものを見る目で慶次を見上げる。
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