花の嵐2
『……利用……しなよ』
ボソッと呟かれた一言。
――抑えた熱を伴って。
『俺は、構わないから。…むしろ、光栄だから。そんなことでお前を見損なったりしないし。…逆に教えて欲しいよ。どうしたら、嫌いになれるんだ…?』
その声は、聞いている元親たちの心をも切なくする。
『お前が罪悪感なんて少しも感じなくなるほど、その心を俺で一杯にしてみせるから。…必ず、あいつを忘れさせてやる。だから…』
『慶次、殿』
どさりと何かが倒れる音が響いた。
『指導、なんて要らない。…俺が…教える』
『慶――…あっ』
鼻を抜けるようなその声が艶かしく、元親は急いで管の蓋を閉めようとした。…が、政宗と小十郎が二人がかりでそれを阻む。
(こいつら…!つか政宗、テメーは幸村に惚れてんだろが!?止めなくて良いのかよ!)
『な、にを…』
幸村の声は羞恥に染まっている。
『ん…?大丈夫。まさかこんなとこで「すごいこと」?やんないって』
『あ、あの…』
『…こんなものがあったら、いつまでも忘れらんないだろ?…ていうか、こんな愛のないしるしなんて…要らない。だから、俺ので』
――塗り潰してやろうと思って。
…そこには、明らかに嫉妬という炎が燃えていた。
『…っ、は…』
『その声…その顔…を。――あいつは』
元親は蓋を閉めるのを諦め、慶次を止めるため部屋を出ようとするが、残り二人に羽交い締めにされてしまう。
政宗は、二人の様子に聞き入っている。
(こんの…出歯亀どもがぁ――)
元親は心で叫びを上げた。
むせぶような、濃い花の香り。
広がっていく、熱。
燃える瞳と、その姿。
与えられる感覚に、抗えない自分。
「……やめ……て下され…!」
「――つっ」
慶次が顔をしかめた。幸村が、その腕に爪を立てたのである。
だが、その表情に今度は幸村の顔が歪む。
「すみませぬ…っ」
治すが如く、その引っ掻き傷に触れた。
「――……」
慶次は夢から覚めたように、目の前の幸村を見た。
途端に、顔からは多大な熱が、胸には自責の念が、ものすごい勢いで沸いてくる。
「俺の方こそ――ごめん…!」
幸村の、乱れた上の着物を手早く直し、「ごめん――」
そんな慶次を、幸村は戸惑うように見ていた。
「こんな――無理やり。…最低だな。…お前のこと、大事なのに」
深い溜め息をつき、「何だよな、俺ので…って。…まるで、もう自分のもののように」
ただ嫉妬に駆られて、抑えられなかっただけだなんて。
ああ言いながらも、止められなければ、何をしていたか分かったものじゃない。
嫌われることはしたくないと、心に決めていたというのに。
せっかく、幸村は自分を温かいとか優しいとか言ってくれたのに。
この上なく傷付いている相手につけ入ろうなんて…。自分は、いつからこんな下種に成り下がってしまっていたのか。
「…やはり、慶次殿は。…どこまでも優し過ぎる」
「どこが――こんな、勝手な…」
「…では、ありませぬよな?某でも…分かりますれば」
その台詞に、慶次は言葉を失う。
潤いをはらんだ瞳を向ける幸村は、どうしようもなく慶次の心を捉えて離さない。
「迷うことも…惑うこともなく。――そう、あるべきなのに。…嫌、だ。…このような自分は」
「幸…」
「その瞳、その声に…惹き付けられ」
幸村は、慶次の唇上の空気を指でなぞり、
「触れられただけで、あのように…なるのは。……何という不誠実さか」
その気もない佐助の指先や唇に悦び。
慶次の真摯な想いからの熱にも浮かされて。
「…不誠実なんかじゃ、絶対ない。――俺が悪いんだ。お前の気持ちを知っときながら…割り込んで」
再び、慶次は幸村の身体を腕に抱く。
今度は、抵抗は起きない。
空はすっかり濃い蒼色に変わっており、下では祭りの灯がぽつぽつ見え始めていた。
「――慶次殿」
「…ん?」
幸村は、しばし沈黙した後、かすかに震える声で言った。
「忘れさせて…下され」
いつもの宿の手伝いと湯浴みを済ませ、幸村は部屋へと戻った。
窓の傍で慶次が外を眺めている。
遠目に祭りの灯が見えるのを楽しんでいるのだろう。
その横顔が、この界隈にも吊るされている祝いの灯りに照らされ、幸村は思わず見入ってしまっていた。
「――ああ、お帰り」
「あ、はい…」
優しげな顔と声にどぎまぎしながらも、
「あの…。まだ戻りませぬな、元親殿たち…」
…あの後。
下からけたたましい音とともにあの三人が現れ――と同時に、慶次の腕は幸村から離れたのだが。
地上に降り、夜の祭りを楽しみ帰ろうとしたとき、
『伊達の奴ら、来てんだろ?…お前ら、行ってやんねーと』
珍しく、有無を言わせない押しの強さで元親が政宗たちを引き留めた。
自分も付き合うので、幸村と慶次は先にと、こちらも半ば強引に帰されたようなものだった。
「…気、利かせたんじゃねぇかな?」
慶次が苦笑する。
「気を…」
「夢吉も――かな」
気が付くと、彼の小さな相棒がどこにもいない。
幸村の緊張は増し、慶次の顔をまともに見ることが難しくなる。
それをごまかすかのように、テキパキと三人分の布団を並べていく。
[ 62/88 ][*前へ] [次へ#]