熱2
「また、甲斐に来て下さりますか?」
幸村は慶次を見上げ、
「…慶次殿にはいつも某の気持ちが悟られるので、もう隠しませぬが。…あと少しでお別れかと思うと」
……寂しゅうござる
やはり恥じてか、最後はごく小さな声になってしまった幸村だったが。
「――幸、ごめん」
「え、」
急な詫びに何事かと思いきや、
(また――?)
…幸村は、この間のように慶次の腕の中にいた。
「絶対、行く。いつでも、呼ばれなくても。…しつこくて嫌になるかも知れないけど」
慶次の声は熱く掠れている。
そのことに、潜めていたあの緊張が一気に高まった。
(…何故。先日の際には、このようにならなかったというのに)
心臓がうるさい。…頭に血が上る。
「俺の方が、寂しいよ。…どうしよう。――ない」
最後はもう聞き取れないほどの囁きだった。が、幸村もそれどころではない。
慶次が肩にその顔を預けてくる。
…肩が燃えるような熱を帯びていく。
長い髪が流れ、幸村の首や耳をくすぐった。
「あ、あの」
たまらず慶次の髪をそこから除けようと手を伸ばすが、さらに力が込められ叶わなくなる。…幸村が拒んだと思ったのだろうか。
髪はますます絡み付いてくる。
慶次は、顔を肩に乗せたまま首の方へ向け、いとも悩ましげに深い溜め息をついた。
「――っ」
堪えたが、幸村はもう少しでおかしな声を出してしまいそうになる。
と同時に足に力が入らなくなり、膝がガクッと折れた。
「ごめんっ、そんなに痛かった…」
驚いた慶次がその身体を支えたが、その先の言葉を失ってしまう。
慶次の瞳に映る、上気したその表情。
かすかに震える吐息――
幸村には当然見えないので、自分がどんな状態なのか皆目分からない。
ただ、思惑を探るように慶次の目を戸惑い見る。
…彼は、何故こんなにも自分を凝視している?
「あ…」
慶次の手が弱まると、幸村は力が抜けたまま後ろへ倒れていく。
慌てた慶次がその手を掴むが、間に合わずそのまま二人の身体が傾く。
世界が、反転した。
…次に目に入ったのは、夜空を背負った慶次の顔。
――痛くない。
どうやら慶次が強く手を引いてくれたお陰で、頭から地にぶつかるのは免れられたらしい。
慶次は手と膝を着き、幸村に被さる格好で息をついた。
「…ごめん、放して。――大丈夫?」
「すみませぬ…」
幸村はどこかぼんやりしながら、「何やら…急に、力が抜けて」
手を上げようにも、痺れたように上手く動かせない。
それを見た慶次は、辛そうに眉を寄せた。
「あの、慶次殿のせいでは」
「…やば…」
一言呟くと、苦悶の表情のまま幸村の手を取り、手首に息を吹きかける。
「あ…の」
「冷えきってる。…寒かったよな」
ごめんよ、と再度謝り、手首から手のひらへ唇を移動させながら温めていく。
軽くではあるがその唇は触れており、なぞるように行き来する。
手は温められていくが、力は一向に入らない。先ほどの感覚が甦ってくる――
「け、慶次殿、手はもう…っ」
パッと幸村が離すと、慶次はやはりその表情のままで、「――もう少しだけ…」と、顔を首元へと持っていく。
「…ここも、冷たい」
首や鎖骨をその指でさすり、唇が触れそうなほど近付いて熱い息をかけてやる。…幸村の顔から肩が小さく揺れた。
そのせいで、慶次の唇が首筋に触れてしまう。
「――」
慶次は幸村の口元へ衣装の袖を運び、その声を隠した。 ただし、自分には聴こえるように仕向けて。
そして静めるように目を閉じ、しばらく経ってから上体を起こした。
横になったままの幸村の目は潤み、それについ後ろ髪を引かれるが何とか踏みとどまる。
「もう…大丈夫です」
よろりと幸村は立ち上がった。
「――平気?」
「はい…すみませぬ」
「いや、――良かった」
本心ではかつてないほどの自己嫌悪に陥っていたが、慶次はいつもの優しい笑顔を見せる。
それでも、幸村の顔を見ている内に落ち着きを取り戻したようで、宿へ戻る頃には変わらぬ様子になっていた。
「…俺、これから元親の部屋で寝ようかな」
「え――」
幸村は、何故…という顔になる。
置いていかれる子供のような、その目。
「――間違えた。元親と、三人で泊まろう」
「三人で?」
「せっかく仲良くなったし、あいつともあともう少し…だしさ。なっ」
慶次に圧される幸村だったが、自分もあの緊張感が残ったままである。二人よりも眠れるのかも知れない。
特に今日のような日は…
「――おう、帰ったかよ」
銀髪の彼の人が出迎えてくれると、幸村はどこか安心する気持ちが湧くのを感じた。
…何故、慶次殿に対してこんな風になったのかは分からないが。
自分にとってかけがえのない友だということは、心からの真実だ…。
ふらり、と音もなく窓から影が入り込む。
「お疲れ様です」
「ああ…」
この上ないおざなりな返事をした佐助に、部下の顔が曇った。
「何か…あったのですか」
それはもちろん幸村の心配ではあろうが、佐助の様子がおかしいことも引っ掛かっているようだ。
――まずい。…またうるさく言われる。
この間あんな風に当たり散らしたというのに、部下は未だに佐助を案じてくれている。
上司の情緒不安定を咎めようとまでする、実に怖いもの知らずの彼。
「何でもないよ。…独眼竜、見張っといてくれる?俺様、悪いけど今日は休むわ」
と、目を閉じた。反論は一切受け付けない姿勢である。
「――は」
きっと疑いは晴れていないだろうが、部下は大人しく姿を消した。
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