引力2


「――え?」

おや、と半兵衛は意外そうに目を見開いた。

「無自覚かい?君ともあろう人が。…だからここへ来たのかと」
「俺は…そんなの…」

いない。
――と、何故か言えない。

「…まあ、良いけど。――何?珍しく遠慮でもしてるみたいだね」

(遠慮…?)

「…何に?」
「さあ?君に分からなくて、僕に分かるわけがないよ。…ただ、そんな感じがしただけ」

(何だ、そんな感じって)

「…君は、思い切りやったらどうだい?愛したがりなんだから。――彼女の分も。…彼女も一緒に」

――あいつも、一緒に…?

(忘れようとするよりも…)

今度こそ、幸せに。
思い切り…。

心から…魂――が、求めるものを。





…慶次の中で、何かがカチリと音を立てて合わさった。



(――あ…俺は…)


(…何だ――そうか)




「――じゃあ、そろそろ僕はここで」

半兵衛が立ち上がる。

「半兵衛…ありがとう」

何の気なしに、慶次はそう口走っていた。

「何がだい。礼を言われることなんてしていないよ」
「…そんなことない」

真面目な顔で言う慶次に、半兵衛は小さく笑う。

「この間も、同じように礼を言われたっけ。――最近じゃ、君よりそういうのに気付く性分になったのかもね」

けど、とその顔から笑みは消え、

「さっきの言葉、忘れないでよね。秀吉の邪魔をするなら――今度こそお別れだよ」
「…ああ。ただ、誰も死なねぇけどな」

慶次の台詞に一瞬ピクッと立ち止まったが、何も言わず半兵衛は去って行った。



(…ありがとう)

湖をもう一度よく眺め、慶次は木々の方へ歩き出した。
夢吉が、素早くその肩に着地する。

「…さあ、帰ろう」

きっと、もうここに来ることはないだろう。

初めから、全て持っていた。――記憶も、想いも。


…そして、今度こそ。


歩くにつれ、胸が高鳴っていく。

その顔は、まるで少年のように生き生きと――眩しくきらめいていた。














――魂が惹かれる、人。




佐助は、暗い部屋の中で物思いに耽っていた。
柱に背を預け、片膝を両手で抱える形のまま。…一体どれだけの時間が流れたのか。

急に慶次が出掛けたので念の為に追ったのだが、心配する理由ではなかった。
幸村のことは部下に任せたままだったので、さっさと切り上げ、慶次よりも先に戻っていた。

そしてその前に、慶次と半兵衛の会話もしっかり最後まで聞いたのだった。
慶次が何故豊臣軍に行ったのかというのも、何となくだが推測できた。

(案外、あいつも色々あるんだねえ…)

それに、あの男…竹中半兵衛。

あの確固たる想い。…でも、哀しそうな姿。
見ていて呑まれそうなほどの生命力――と、その影にある儚さ。

きっと、彼には時間があまりないのだろう。
…佐助は、そういうことに人一倍察しがいい。

(だからこそ、ああも強く美しい…のか)

――忍も同じだ。仕える主の為に、その命はある。
主の大事を成す為の、影の存在。決してその命は同等ではない。
主の為に生き、守って死ぬ。ずっと昔から、分かりきっていたことだが。
…穏やかさに浸かり過ぎていたのか。

いつか自分でも、真っ当に生きられると…惚れた女を幸せにできるという確信。
それは、幸村に仕えるようになってから持ったものだった。

全く矛盾している。

誓ったのに。…一生仕えると。この命を捧げると。
冷たかった自分の心を溶かし続けてきてくれた、あの炎。温もり。優しさ。…純粋さ。

自分よりも先にあれが無くなるなんて、あり得ない。…その瞬間、自分の存在理由は消える。
だが、それが怖いだけなのか?自分の身があやふやになることだけが?
本当は。それよりもっと恐ろしいのは――

――カタン

「!」

小さな物音に、一瞬で警戒態勢になる。
が、それはどこかの部屋からの、害のないもののようだった。
佐助は、静かに息をつく。

…最近の自分は、どうも変だ。
かすがに振られて、ヤケにでもなっているのだろうか?
その前から、なのかも知れないが。…軍神に、見惚れてみたり。

…今度は、主にまで。

思い出すのも抵抗がある…。佐助は、わずかながら目の下を赤らめた。

この間の、妓楼で。
幸村が一人になったのを知り、危ないと分かりつつも、その前に姿を現してしまった。
布団だけ掛けてやったら、すぐ戻るつもりだったのに。気付かれず、出て行けるはずだったのに。…どうして、できなかったんだろう。

都に来てから毎日見ていたというのに、面と向かうとやはり懐かしくて。
バレやしないかと、柄にもなく少し緊張していたからか、あの夜はやけに息苦しいものがあった。女物の着物のせいかも知れないが。

幸村が倒れ込んで、――目が合ったとき。
…綺麗だ、と目眩がしそうなほどの真っ直ぐな眼差しと、声で…言われたとき。



――どうしようもなく、惹き付けられた。



…それで、慌てて眠りを誘う香を使ったのだ。


軍神のときは、あの冷たい美しさに見惚れて動けなかったが。
そうではなく、熱く、射すくめられるような何かが、佐助を捉えて離さなかった。

(参ったねぇ…。この俺様が)

…旦那の方が、その才能あるんじゃないの?

あれは、自分ではなく。
似ている…と言っていた、女のことを見ていたのだろう。恐らくは、甲斐の女で。

叶わぬ想い…か。
本当に、一体どんな女だというのか。
どうして、そんなにも。…そんな女、やめてしまえば良いのに。

(旦那がどんなに惚れていようと、邪魔だな。――そんな、苦しみばかりくれるような奴)


足音もなく、襖が開かれた。
旅人姿に扮している部下である。

「戻ってらしたのですか」
「うん。取り越し苦労だったから、早々に切り上げてきた」

自分が不在だったときの様子を聞くと、こちらも特に何も起こってはいないようだ。

(…そう。旦那、普段はいつも通り元気なんだよなぁ…)

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