引力1
クサいしかゆい。
※この話だけ半兵衛登場。秀←半風味。
自分を見つめ直すために少しだけ都を離れる慶次。佐助、幸村、元親も出ます。伊達主従はお休みです。
(…懐かしい――な)
木々に囲まれた、小さいが水の美しい湖。
晴れ渡る空が湖面に映し出され、弱い風に波紋がたまに広がる。
春夏には草花が咲き誇る岸辺に、慶次は寝そべっていた。
夢吉が、この季節に生る木の実を採ったり、蝶や虫などを追うのが視界の端に入ってくる。
(ここは変わらない…。あいつが居ないだけだ)
慶次は目を閉じ、ここに来る前のことを思い出す。
『…じゃ、頼むね』
仏頂面をしたままの元親へ、手を合わせた。
『良いけどよ…。何であいつに言ってかねぇんだ』
『だって、起こしたくないし。…さっき、急に思い立ったからさぁ。悪いけど』
嘘じゃなく、本当に突然そう思い付いたのだ。ここへ来ようと。
間の悪いことに夜も遅い時刻だったのだが、すぐにでも発つ気だった。
幸村のことを預かっている身で心苦しくはあったが、都に来てもう随分経つ。数日くらい、自分がいなくとも大丈夫だろう。
それに、元親になら安心して頼める…。さすがは兄貴肌、面倒見が良く、幸村とも気が合っているようだった。
『墓参り…か』
『二、三日で戻るから。宜しくな』
墓…じゃないけどな。
同じような物か。…思い出の場所、なんて女々しいかも知れないけど。
この湖に、彼女の髪飾りを葬った。
慶次にとっては、ここが墓標のようなものだ。
何で急に来たいと思ったのか…。
最近よく見る夢のせい。――それはもう確実なのだが。
それだけ、なのか。
何か、ここで。分からないといけないことが、あるんじゃないか?
(…あいつを、忘れる?)
そうすれば、もうあの夢を見ないで済むのか…。
「キッ」
夢吉が短く鳴き、慶次の元へ跳ね寄った。
空気が揺れ、招かざる来訪者の出現を知らせてくれる。
この場所を知るはずもないその人物は、上から慶次を覗き込んだ。
「――やあ、お邪魔したね」
「……」
白っぽい装束に、双眸は晒される紫色の仮面。
柔らかそうな銀髪に、紫紺のくっきりした美しい瞳。女のように色付いた唇――隠す必要などない風貌だが。
しかし、慶次はその瞳が嫌いだった。
あの男を盲信し、それ以外は顧みない冷えきったその二つが。
――豊臣秀吉の右腕、竹中半兵衛。
何故ここに一人で来ているのかは分からないが、慶次にはかなりの恨みがあるはずである。
が、一向に武器を取る気配はない。
「…俺を倒しに来たんじゃねぇの?」
「いや、偶然だよ。僕も驚いた。…そうしても良いけど?」
「――止めとく」
慶次は上体を起こし、「…何でここに?」
だが、半兵衛は哀しそうに湖を眺め、
「…美しい処だね」
と、表情とは違う言葉を吐く。
(何だこいつ…。秀吉の邪魔されて、怒り狂っていそうなものなのに…)
「前に、秀吉から聞いたんだ。…それで、ふと来てみた」
「……へぇ」
「君からの文、見たよ」
半兵衛は鼻を鳴らし、「相変わらず、馬鹿な真似をするよね」
「お前らよりかはマシだよ」
慶次は低い声で呟く。
――しばらく半兵衛は黙っていたが、
「秀吉、あれから一層奮起してるよ。お礼を言うべきかも」
皮肉った笑みを浮かべ、
「やっと、過去と決別できたみたいだ。慶次君のお陰かな」
「…あいつが同じことするなら、また俺がぶん殴りに行く」
半兵衛を睨み上げながらそう言うと、
「そのときこそ、君が儚くなる瞬間だ」
と、桜色の唇が冷たく歪んだ。
「…そしたら、ここに沈めてあげるよ。――本望だろう?」
(やっぱりこいつは…)
慶次は眉間に皺を寄せる。
話すと際限なく苛立ちが募りそうなので、沈黙を決め込むことにした。
目障りにも彼は、少し間を空けたとはいえ、慶次の隣に腰を下ろす。
そうして幾ばかりかの刻が経ち、半兵衛が口を開いた。
「――秀吉からも、君からも想われて…」
その先が、詰まったように出てこない。
「…何が言いたい?」
「――いや」
視線は湖に向けたまま、「少し…羨ましいよ」
慶次は、言葉が出なかった。
彼がどういうつもりで言っているのか、全く見当がつかない。
こんなこと言うなんて…こいつ、本当にあの半兵衛か…?
「…何だい、その顔」
半兵衛は、失笑した。
「いや、だって…」
「おかしいかい?」
相変わらずの表情で、「…僕は、想うばかりだから」
慶次は、思わず半兵衛の顔を見つめる。
気付いた彼が、こちらに目を向けた。――その深く鮮やかな瞳に、静かに燃える炎。
…だからこそ、そんなにも?
(お前は、それほどまでに…あいつのことを)
慶次は、つい悲しげな顔をしてしまう。
それも予想していたのか、
「違うよ、慶次君」
半兵衛は、珍しくも穏やかに微笑んだ。
「僕は、幸せなんだ。…こんなにも心が――魂が惹かれる人に出逢えて」
「――魂」
そう、と半兵衛は続ける。
「君の言う、恋とか愛とか――そんな甘いものじゃないけど。きっと、同じくらい…もしかするとそれ以上、得難い貴重なものかも知れない」
「…でも。――報われるのか…?」
「言ったろう?僕は、幸せなんだと」
でも、と半兵衛は少し切なそうにし、「それなら羨ましいなんて…少しも思わないだろうけどね」
「…秀吉も、きっと…今は、お前だけが」
言いながらも、彼女のことを思うと複雑ではある。
半兵衛はクスリと笑い、
「忘れた?秀吉が彼女を捨てた理由――」
瞳の炎を強め、「僕は、やり遂げる。生きて…夢を、叶えるんだ」
「その僕が邪魔をしてどうするんだ」と、半兵衛は自嘲気味に言った。
(だから、その想いを伝えないと言うのか…)
やはり、慶次は悲しくて仕方がなかった。
秀吉、お前は昔も今も…こんなにも想われて。…どうして、自分のことしか考えられない?
どうにかしたくても、こいつの炎は消せやしない。
あのとき見た、ひたむきな想い。…色は違えど、あれに負けぬ強さ。
「君も…」
半兵衛が、真っ直ぐ慶次の目を見据えてくる。
「……見付けたんだね」
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