咲く4

「あの…すみませぬ、勝手にここで」
「ええんどす」

女は微笑んだ――ようだった。「どうぞ、朝まで使っておくれやす。…ただ、うちも少しここにおらせてもらっても?」
「それはもちろん…」

とは言ったものの、これではきっと眠ることなんてできないだろう。
幸村は、心の中で息をついた。

「そんな気張らんでもよろしおすえ。…お侍さん、初めて来られたんやなぁ」

くすくすと、女が小さく笑う。
不思議と全く嫌な気にならない。馬鹿にされているような声ではないように思えた。

「うちら、そんなに怖いもんじゃないどすえ?」
「い、いや…っ、そんなことは」

慌てて弁解する。「…皆、とても美しい――ので」

「ほんまに?」

女はさらに寄り、意味ありげに微笑した。

「昼間のお日さんとは違う明かりの中で、そう見えるだけ…。ほんまは、そこいらの娘と何ら変わりはないんどす」

月が少し傾いたのか、女の顔が白く照らし出される。

――幸村は、息を飲んだ。


…ここで見たどんな美しい女とも違う。
綺羅やか――とでも言うのだろうか?こんなに薄暗い所でも、一層輝いて見える。
…思わず、目を擦っていた。

「?…塵でも入りはった?」

女が心配そうに手を伸ばしてくる。
幸村はすっかり動転し、

「いえ…!」

と立ち上がるが、その振動で細長い灯立てがぐらついた。
しかも、衝立までもがこちらに倒れそうになり、その先には女の背が――
幸村は、とっさに灯立てを左手で掴み、右手で衝立を支えたが、後者はその反動で向こう側に倒れていく。

「あ、あ…」

姿勢を畳に着くほど低くして、何とか衝立の足を持ち、倒さずに済んだ。
ほぅっと息を吐くと、

「早業…どすなぁ」

と、下から声がした。――下から?

…女が正面にいたのを完全に忘れていた。
彼女は身を横に屈めて幸村を避けてくれたようだったが、…どこからどう見ても押し倒した形。

(ううわわわわ…!!)

硬直してしまう幸村だったが、

「良かった…。こんなときに大音でも立てたら」

想像するとおかしくなったのか、女は我慢できないように静かに笑いをもらす。――それはまるで、悪戯を仕組んで楽しむ童のよう。
艶やかな姿には似つかわしくないというのに、幸村にはとても好ましく感じられた。
それとともに、緊張もほぐれてきた。

「すみませぬ、突然…!お怪我はありませぬか…?」
「どっこも。そんなにか弱くあらしまへん」

ニッコリ笑い、「…眠れんようなら、お話…お聞かせしましょか?」

――さあさ、横にならはって。
と、女は幸村の枕元の横に座す。

何やら自分が幼子のような感じがして、幸村は居心地悪そうな顔をするのだが、

「大丈夫。…誰もおへん」

女はゆったり、しかし快活に、幾つかの物語を話してくれた。…現実のような、幻想のような、展開に夢中になるものばかり。

「…初めて聞く話ばかりでござる」
「みぃんな人から聞いたものなんどす。ここには色んな方がおこしはるよって」

女の目が笑う。
幸村は、少し考えるように女を見上げていたが、

「貴女は…似ておりまする。――某の、よく知る人に」
「――まあ。…どのようなお人なんどす?」

女は嘘ではなく興味がありそうだったが、幸村は微笑みながらその顔を見たまま、答えようとはしない。

「…いけずやなぁ。どうせ思い出しはったら、うちよりもずっと別嬪さんやったんやろ?」

冗談ぽく拗ねる真似をするが、

「そんなことはありませぬ!」

幸村の真摯な声と目に、女の笑みが消える。

「――見惚れるほどに。…お綺麗です。誰よりも…」

そう言いながら、その顔に手を触れようとするが。

(…何だ?手が――上手く上がらない…)
しかも、急に瞼が重くなってきた。
何故…。さっきまで、全く眠くなどなかったというのに。

「…その方…よりも?」

女が問う。

当然…。――でも。
自分の想い人の端正な顔と、あの笑みを思い出す。

…言われてみると。
綺麗、なんて男に使う言葉じゃないと思っていたが。

「そんなに…好き……?」

女の声がぼやける。

「…叶わぬ想い、なれば…」
「どうして――」
「……」

もう、声すら出ない。
幸村は、一気に眠りへ落ちてしまった。

――女は、布団をきちんと直してやる。
しばらくその寝顔を見ていたが…


「……アンタの方が、綺麗だよ……何もかも」

そう小声でポツリ言い、静かに部屋から出て行った。


後には幸村の安定した寝息と、不思議な香の匂いだけがわずかに残されていた。














窓から射す日の光に、幸村は目を覚ました。
意外なことに頭も身体も軽く、何やらすっきりしている。…昨晩は、ここの空気に当てられて、かなり酔いが回った気がしていたのだが。

(あの人は…)

そういえば、名を聞かなかった。
あれは、夢ではない…よな?
…きっと、高い地位の方に違いない。あの容貌に、話題の豊富さ。
しかし、幸村はそれよりもあの悪戯っぽい笑みや、優しげな微笑みにこそ惹かれていた。
そのときの目が…似ていたのだ。

(…幸運だったな、あんな方に会うことができて)

自然と笑みがこぼれ、布団から出ようとした。すると――

「!!」

情けないことに、心臓が口から飛び出そうなくらい仰天する。
片手首を、突然掴まれたのだ。

その手の持ち主は……



(――け、慶次殿!)



一体、いつの間に来ていたのか。
布団の中にまでは入っていなかったが、しっかり幸村のすぐ隣に横たわっている。

何故、ここに?他の部屋で泊まっていたのでは…

しかも、その状態で慶次は未だに眠っているようなのだ。

(…せっかく貴殿の為かと思っておったのに)
やや呆れながらその手を外そうとするが、逆に力が込められる。

(えぇ…?)
本当に寝ているのか…?困ったように、慶次を見た。

「……」

――え?

もう一度、慶次を見直す。…何か、言ったような…

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