咲く3
「いや?驚いたけど、大将は大将だし」
「…良かった…」
部下は心底安心したというように、ホッと息をついた。
「でも、何でお前がその役を?」
「俺は…」
部下は少し言いよどみ、「俺も、信玄様に情けを…」
と、わずかに頬を染める。
(…大将…。何、俺様の部下にまで手ェ出してくれちゃってんの…?)
佐助は息をつくと、
「大将も、竜も…。知らないのは俺様ばかりか」
と、苦笑いする。
部下はそれを見て、やはり真面目な面持ちで――
「実践されますか?」
佐助は溜め息をつく。…本当に、上司思いの部下だこと。
「遠慮する。…大将に殺されたくないよ」
とにかく、独眼竜の所作にはよく気を払っておくとしよう…。
数日が経ち、元親の待ちに待った日がやってきた。
「…聞いてないでござる」
絢爛豪華な夜の街の入口で、幸村は踵を返そうとするが、
「ここまで来といて帰るなんざ野暮だぜ」
と、元親に簡単に引き戻されてしまう。
「このような処へ来るなんて、一言も…」
幸村は慶次たちに同意を求めようとするが、皆目をそらし、とぼけた顔をする。
小十郎だけは同じく知らされていなかったようだが、予測していたのか諦めの表情になっていた。
「――じゃあ、俺も一緒に帰るとするかな」
慶次が、幸村の肩に手を置き、「オッサンや兄さんにお前のこと頼まれてるし…。ここから宿までの道、分かんないだろ」
その言葉に焦るは、元親と政宗。
「おいおい!お前の紹介でって話なんだから、本人がいねぇと――」
「そうだぜ、てめぇふざけんじゃねぇ…!」
政宗に至っては殴りかからない勢いである。その異様なまでの雰囲気に、幸村もたじろいでしまう。
「なぁ、幸村」
元親が慶次から幸村を引き離し、こそっと耳打ちした。「…これはな、慶次の為に来てんだよ」
「えっ?」
「…あいつ、最近女がいねぇみてーだろ?」
「はあ…確かに。聞きませぬな」
「だろ?…だから、酒を飲むとお前の布団に入ったりすんだよ。お前も迷惑だろ?」
「…??」
「奴はな、人肌が恋しいんだ。酒は人の本性を出すって言うじゃねぇか」
「人肌――」
そこは分かってくれたようで、幸村の顔に朱が差す。
「お前と違って、ああいう女慣れしてる奴は仕方ねぇんだ。許してやれ、な?…このままだと、一緒に寝てただけじゃ済まねぇ悲劇になりかねねーぜ?」
「…それはないでござろう」
「分かんねぇよ?何もなくても、いつかあいつが知れば…気まずいだろうなぁ」
元親は哀れっぽく、慶次の方をチラリと見た。
「慶次は大事な友達だろ?あいつの為にも、ここは一つ!付き合ってくれよ」
「慶次殿の為…」
「そうそう、それによ…」
元親は口端を上げると、「お前も知っといた方が良いぜ?…『さよ殿』の為にもよ」
「は、はあ…」
幸村は、何とも言えない顔をする。――相手はあれなのだから、無理もない。
「…某は酒だけにしておきまする」
「分かった、分かった」
果たしてそうできるかどうか。
元親は、ほくそ笑んだ。
「――幸?」
慶次が、心配そうに二人の元へやって来る。
「おう!さ、行くとしようぜ」
元親の台詞に、慶次は驚いたように幸村を見た。
「幸も?…良いの?」
「…はい。行きましょう、慶次殿」
幸村が、引きつった笑顔で答える。
慶次は不思議そうにしていたが、
「某は、飲むだけでござる…!」
と、念押しのように唸る幸村に、納得した。
「先に帰るのは無しだからな。ちゃんと朝まで待ってろよ?」
元親の言葉に、幸村は早くも後悔し始めていた…。
――頭がクラクラする。
部屋の灯りは心許なく、今にも消えそうに揺らめいている。
少し前まではどの部屋も、昼間のように明るく賑わう人の声で一杯だったというのに、今では一転して暗闇と静寂が広がっていた。
正確にはそうでなく、耳を澄ませば小さな音が聞こえてくるのだが、気付かないことにしている。少しでも聞いてしまえば、夜明けまできっと心臓が持たない…。
幸村は、一人だった。
先ほどまでは皆と一緒で、きらびやかな女性たちに緊張しながらも、酒を楽しむ時間は過ごせていた。だが、夜が更けるとともにその人数は減っていき――同じ数だけ、女性の姿もなくなっていた。
(今頃、違う部屋で皆…)
と、思うだけで顔から火が出そうになる。
幸い、この部屋が空いた。悪いのかも知れないが、ここに居させてもらおう…。
畳の上に横になる。…布団もないので、少し身震いした。
仕方ない。これも慶次殿の為…
幸村は、瞼を閉じた。――昼間の疲れと酒とで、すぐにウトウトし始める。
浅い眠りに入り、おぼろげな夢を見ていた。
それは、京に来てから初めて見る、故郷の夢。
(佐助…)
久し振りにその顔を見た。夢だというのに、胸が苦しい。
佐助は心配そうな顔をしている。…一体、自分はどんな顔を見せているのだ?――早く、いつもの自分に戻らねば。
この気持ちは、決して知られてはならぬ…
ふいに、温かさを感じる。ふわっとしたものが、自分を包んだ気がした。
夢の中の佐助が、微笑んだ気も――
目が覚め、幸村は自分に布団が掛けられていることに驚き、起き上がった。
灯りは消えていたが、窓から明るい月の光が射し込んでいる。
「誰…だ?」
部屋の隅に、座る人影が見えた。
「――まあ……起こしてしまいましたなぁ」
女の声。本当に悪いことをした、という思いがにじみ出ている。
「よくお休みでいらはったのに」
「貴女は…」
すると、女は少し幸村へ近付いた。
月明かりが届かず、その顔はよく見えない。
「内緒にしとくれやす。えろうひつこいお客はんに困ってしもて。…こっそり逃げて来たんどす」
「…某に、これを?」
布団を掴んで見せると、
「そこの押し入れに――どの部屋にも置いてあるんどすえ。いつでも使えるよう…」
…幸村は顔を赤らめた。
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