旅立ち5
戦いのときの雄々しい姿は、正に若虎の名に相応しく。――と思いきや、普段はこんな穏やかな顔でいたなんて。
それに、少年のように目を輝かせてみたり(信玄の前では殊更その威力が増していたのにも目を見張ったが)、考え込むときの、あのクソ真面目な顔など…。
どの表情も、見ているだけで飽きず愉快になってくる。…泣き顔を除いては、だが。
(ホント、面白い奴…)
慶次がそんなことを考えていると、
「昨晩は…失礼を致した」
と、幸村は頭を下げてきた。
どうやら、涙を見せてしまったことに対して言っているようだ。
(何だ。てっきりあの兄さんのことを想ってかと――)
「あ、そうだ幸。あのさ――」
大切なことを教えていなかったのを思い出した慶次は、幸村が一番悩み苦しんでいた情が世間では実は珍しくないことや、自身の偏りのない考えをはっきり話して聞かせた。
「そう、なのでございまするか…」
幸村が、やはりどこか安心した様子を見せたので、慶次も心がじわりとするのが分かった。
「だからさ、そのことで苦しんだり恥じたりすんのは無しな。俺の前では遠慮なく、あいつの話を好きなだけしてくれよ。恋する人の顔を見てると、こっちも嬉しくなるんだ」
「そう言われると、何やら落ち着きませぬが…」
幸村は、どうにも居心地が悪そうにするが、佐助の話をしても良いと言われたことには大いに安堵した様子だ。
そんな幸村を横目に、慶次は思った。
確かにそれが少なくない世の中とはいえ、一昔前では想い合う心を伴わないものもあった。
いや、今でもあるのだろう、ただ女性の代わりに…などということは。
特にまだ幼い子供や、成長しても容貌の美しい者はよくその標的になる。そんな、何もかも手に入れようとする強欲で無粋な輩は、賊などだけではなく、貴なる者にもよく見られる…。
そんな奴らのと、幸村の純粋なものとでは全く違う。
だから、裏にはそういうものもあるのだということは決して耳にさせたくなかった。
そして、そこから根付いた偏見や好奇の目に幸村を晒すことも絶対したくはない。自分の周りにはそんな奴らはいやしないが…
これから連れて行こうとしているのは、都の中でも繁華街。色んな人間がごった返す中で、変な奴に目を付けられるかも――まぁ、相手は返り討ちに遭うだろうが。
しかし、念には念の為、である。
「なぁ、こういう話するとき、あいつのこと何か別の名前で呼ぼうぜ」
要はこいつの想い人が男だとバレなきゃいいんだ。
「はあ。しかし…何ゆえに?」
当然、幸村は不思議そうにする。慶次は周りを見渡し、声を落として、
「――あいつさ、いつどこで俺らのこと窺ってるか分かんないよ?」
「まさか…っ。――それに、某ならその気配すぐに分かりまする」
「いやぁ…代わりの奴とか使って、どうにかして様子探ってくるかも知れない。例えばの話だけど」
「う、ううむ」
そう言われると、幸村も自信がなくなってきた。
「嫌じゃないかい?勝手に立ち聞きでもされてたら…」
「!!」
たちまち青ざめる幸村。
「大丈夫。さっきまでのは、俺らが何の話してたのか分かんないよ。誰のことかも」
慶次は神経を研ぎ澄ます。
町を離れたときから、追随者の影には気が付いていた。幸村に悟られないことに気を取られ過ぎているのか、慶次に対しては少々疎かになっているようだ。
慶次が察知に優れた者に見えないこと、また気付いた素振りを全く見せないことも、相手に一縷の隙を与えているのだろう。――しかしながら、相当な使い手であることは分かる。
「もう、あいつって全く分からない呼び名が良いよな。どうせなら、そうだな――女みたいなのとか」
さりげなく最後の言葉を付け加えるが、幸村は気にも留めず、
「そ、そうでござるな…!」
と、周りを少し気にしながら小声で答えた。
(おなごの名前…。佐助…おなご…さすけ…)
「か…」
「か?」
「かすが…どの…」
幸村は、言ってしまってから――後悔した。
(間違えた…!佐助とおなご、と思うと、その人の顔ばかりが浮かんでしまって…っ)
「うーん…良い名前だけどさぁ。知り合いにいるから、どうもなぁ」
(知り合い――まさか)
「謙信のとこに、いるんだよ。…って、お前ならよく知ってるかー、上杉のことは」
その物言いに、幸村はぎょっとした。
「け、慶次殿、上杉殿とはどういう…」
「ん?友達だけど?」
今度こそ仰天した幸村は、ポカンと口を開ける。
(あの偉大な軍神と、友?)
そんなもの、どうやったらなれるというのだ…
――やはり慶次殿には驚かされる。
幸村は、改めて彼に驚異と敬服の意を抱いた。
「では、かすが殿のことも?」
「うん、知ってる。…って、何だ。幸も知ってるんじゃん」
幸村は、ハッとし、
(いかん、しまった!あまりの衝撃に、何の話をしていたか忘れておった…!)
「そうかー。だから、かすがちゃんの名前が出てきたわけかぁ」
「だ、だから…とは?」
「え?だからさ、あいつの大事な人ってのが、かすがちゃんなんだろ?」
慶次は、逆に不思議そうに尋ねる。
さっきこそ驚かされたばかりだというのに――幸村は、軽く目眩でも起こしそうだった。
(どうして何もかも分かってしまうのだ?)
「断じて、違いまする…」
こんなときにまで上手く嘘のつけない自分の性格が呪わしい。
「誰にも言わないって。こう見えても、口硬いんだぜ?幸からは聞かなかったんだし」
慶次のことを信頼していないわけではないが、幸村は心の中で佐助にひたすら謝った。
「しっかし、あいつも面食いだねぇ」
「めんくい?」
「ああ、えっと…綺麗な顔が好きってこと。かすがちゃん、別嬪だろ」
と言ってすぐ、慶次は後悔した。
(俺って奴は…!こいつの前で、恋敵のこと褒めちまった…)
眉を寄せ沈んだような顔になった幸村を見て、慶次は泣きたくなってきた。
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