09水面の波紋

 ──聞き間違い、か。


 しかし、凌はそれからも「好きです」と連呼して耳を弄ぶ。


「綾菜先生は……? 俺のこと、好きじゃなくなったんですか?」


 ふと耳責めを終わりにして、私の目を不安そうに見る。
 そんな弱そうな凌君を見ることは初めてで、胸をぎゅうぅぅっと締めつけられた。


「もともと好きじゃないっ……」

「嘘だ。じゃなかったら俺のこと、凌って呼んでオナったりしないし、わざわざ苗字と名前で呼び分けたりしないはずです」

「もう、お願いだからやめよう? ね?」

「そうやって俺の気持ちから、自分の気持ちからも逃げるつもりなんですか。俺だって……悩んで……やっぱり綾菜先生が好きだって、やっと認められたのに……。そんな俺の気持ちも受け止めてくれないんですか?」


 お願い、そんな顔しないで……。


 凌君の顔は私にフラれるのではと野犬のような怯えた目をして、こちらの様子を窺う。
 そんな普段見ない好きな人の弱い一面を目にして、心臓が抉られたように痛んだ。


「お願いです、綾菜先生……好きです──好きなんです」


 凌君の震えた口唇が再び重なってくる。
 それでもキスには確かな意志があって、私の胸の鼓動を震わせた。


 ああ、もう……ダメだ……。


 唇から伝わってくる凌君の想いが、私のすべてを打ち砕いた──。


 固く瞼を閉じて、彼の首に腕を巻きつけてそっと囁いた。


「私も好き……大好きだよ」


 すると、凌君の舌が侵入して口の中を犯すと、熱っぽい息を吐いて私を見つめる。


 もう凌君の瞳には不安の雲がなく、優しい光を宿していた。


「綾菜先生……っ」

「凌君……」


 熱い抱擁を交わし、しばらく二人だけの余韻に浸る。
 それがどれだけ幸福なことか、言葉には言い表しきれないものだった。

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