「明日10時に俺んち」
金曜日の放課後、教室がざわつくのが分かった。私の目の前で座るえりも、目を大きくさせてこちらを見ていた。
「じゃ」
先週の土曜、不可抗力で財前の家に行った。なんだかんだで色々あって、これからの財前攻略をどうしようかと考えていたらこれである。ありえへん、ありえへんって!!
そのまま大きなラケットケースを背負って教室から出て行く財前。教室は静かだった。
「ちょ、ちょっと何やあれ!!"俺んち"!?"俺んち"てゆうたよな今!!」
目の前の友達が私の肩をぐらぐら揺らす。
「なにあんたら付き合うとるん!?」
ぐわんぐわんと視界が揺れて、やっと止まったときには眩暈がした。あのクソ財前、後でしばく。絶対シバく!!
「つ、付き合うてへん」
「じゃあ何!?何よ"俺んち"ってー!!」
「や、せやから……」
そこでハッとした。教室のざわつきがまだ戻っていないことに気づいたのだ。周りを見渡せば、教室内の女子の半数の視線が私達に注がれている。財前は何しろ顔がいい。女子の注目度も半端ないのだろう。
「や、あの、多分お姉ちゃんと知り合いだからちゃう?」
「お姉ちゃん?おったっけ、財前君に」
「あの、あれや!財前のお兄ちゃんの奥さん!私知り合いなんよ〜……」
さすがにキツイだろうか。わざと大きな声で言って、周りの反応を待つ。暫く続いた静寂。すると突然、えりが自分の鞄と私の鞄を持って立ち上がった。
「なんやぁ〜心配して損したわ!!ま、あんた等が付き合うてたら、うちに言うもんな」
「帰んで」と促されれば、私も立ち上がってえりを追った。まだ女の子の視線を感じるものの、なんとか教室を脱せたのでよしとしよう。
下駄箱までやってきて、えりの足がピタリと止まった。彼女の背中に勢い良くぶつかった私。なのにえりは何も言わず、私の方を振り向いた。
「今なら許したる。全部吐けや」
彼女の笑顔がはっきりと見えた。
「へーえ、ふーん」
彼女の笑顔に圧倒され、全てを吐き出した私。もう空は夕暮れで、部活に励む生徒の声があちらこちらで聞こえていた。
「ちゅうか、財前君がオタクやって時点で信じられへんけどな」
「……財前はオタクやもん」
二人して階段に座り込み、話していた時間は30分ちょい。えりもお尻が痛くなったのか、鞄を持って立ち上がる。そして私も。やっと帰れるのだと安堵したのもつかの間、彼女は校舎を出ると、テニスコートの方へ向かい始めたのだ。
「ちょ、ちょお、え、えり!」
「何?」
「なんでそっち……?」
私が彼女の制服を引っ張って引き止めると、振り返った彼女はにこりと笑った。
「うちな、テニス部の小石川先輩のことガチでねらっとんねん。あんたが財前君と仲良えっちゅうことは、うちも先輩に近づけるチャンスあるっちゅー話やん!」
笑顔の彼女は相変わらず可愛らしかったけど、手を引っ張られてテニスコートまで来てしまった私は、それどころではなかった。テニスコートなんか行って、私が財前がオタクだということをえりに話した事がばれたら……
「……殺される」
「え、何?」
テニスコートにはまだ部活見学の女の子がたくさん残っていた。きっと皆テニス部のイケメン部長や、そのたレギュラーを目当てに違いない。
えりはそこへずんずんと入って行き、フェンスに引っ付いて中を見ていた。私も仕方なく隣に立ってはいるのだけれど、ばれたくない一心で顔は伏せていた。
「あ、財前くーん」
間延びしたえりの声に、そちらを向けば、私を右手で指差しながら左手で大きく手を振るえりの姿。どうやら休憩中らしかったテニスコート内。近寄ってくる足音が、聞こえる。
「みょうじやん……えっと、池山、やったっけ」
「おん!!なぁ財前君、小石川先輩に部活終わったら校門で待っとってくださいって言うてくれへん?」
「ええけど……こいつは?」
財前の視線に、肩が跳ねる。
「財前君へのささやかな貢物っちゅーわけや!」
「……ふーん。ま、先輩には俺からきっちり言っといたるわ」
「ホンマ? ありがとうなぁー! なまえはここに置いてくから、家まで送ったってや」
高い声で言ったえりは、「化粧直してくるなー」とトイレへ向かった。私も一緒に帰ろうと試みたが、フェンスの隙間から財前の腕がにょきりと伸びてきて私の右手を捉えた。力が強い。
「待っとれよ。いなかったらあの写メばら撒く」
「……」
「返事」
「……おん」
ニヤリと財前が笑うのが分かった。そして横の女の子達の視線が私に向けられているのも分かった。月曜日に私の上履きが消えてたら、一発殴ろう。
「おー?なんや財前、彼女かー?」
テニスコート内から響いた声に、顔を上げた。眩しい金髪が目に入る。財前よりも背が高い、そしてカッコイイ先輩が私を見ていた。
「まぁそんなトコ「ちゃいます!!」……」
財前の言葉を遮ると、金髪の先輩は目を一瞬丸くして、すぐに噴出して笑い始めた。おなかを抱えて笑うので、そこまで面白いことをしたのか、それとも笑いのツボがおかしいのか分からなかった。
「財前も大変やなぁ〜」
「謙也さんの頭のが大変すわ」
「なんやと!!」
二人ともそれで言い合いを始めてしまって、私は取り残されたようになってしまった。先輩にあんな事が言えるなんて、さすが財前。性格の悪さは大阪一やで。
「お前、絶対そこで待っとれよ」
集合の合図がかかって、財前が私の顔を指差していった。唾でも吐いてやろうと思ったが、さすがに止めた。なんたって私は常識のある女なのだ。
夕焼けの色がどんどん薄くなって、夜が始まろうとする。先ほど集合がかかって、部室へ消えていったテニス部部員達。そこから一番最初に出てきたのは、ツンツン頭の先輩と奴だった。
「じゃ、お願いしますわ」
そう言った財前に背中を押されたツンツン頭の先輩(きっとえりの言う"小石川先輩")は、校門へと歩いていった。あんな強引な親友だけれど、彼女は根が良い子だから、きっと上手くやる。
「おい」
「おいて何やねん。舐めてんのか」
笑顔で先輩と家路に向かうえりを見れば、私がここにいる意味も少しはあるかなんて思うのだが、しかしなんたって癪である。
「喧嘩ふっかけんなや。俺はお前を送らなあかんのや」
「頼んでへんし」
「池山に頼まれた」
クソこのオタク野郎……!!と思ったのはぐっと飲み込んで、すたすたと歩いていってしまう財前の後を追った。何しろ、後ろからテニス部を見学していた女の子の残りが、じっと私を見ていたのでそうせずにはいられなかったのだ。
それからはなんだかあっという間であった。財前との会話はどれも喧嘩口調に近いもので、長く続くものではなかった。しかし財前はきちんと私を家に送り届け、家に入るまで見ていてくれたのだ。さすがに申し訳なくて、帰れと言ったが財前は聞かなかった。
「お前が家入るまで、俺はここを動かん」
とか言われたら、反論できなかった。オタクのクセに我が強い、あれ、偏見?
何さ、ちょっとドキドキしちゃったじゃん(イケメンは得だよね)
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