「雨だわ」
頬にポツンと落ちてきた涙。間違いなくそれは天からのものであった。次第に数をましていくそれに、周囲の人々も足早になる。ため息が出た。私は傘を持ってきていなかった。
「……もう」
嫌になるわ、そう呟くのも鬱陶しいほどに、空は曇った色をしていた。重い足を進めて、取り合えず近くの古書店の屋根に逃げた。
さっきまで晴れ渡っていた空は、まるで私を拒むように降り続けた。嫌いよ、雨なんて。
「……大嫌い」
「なにが、ですか」
はっとした。後ろから思わず聞こえた声に振り向けば、学生服を着た男が一人、私を邪険そうに見ている。
「……ごめんなさい、気付かなくて」
彼はきっと私のことが邪魔で古書店から出れないのだろう。そう思って一歩、身を引く様にそこから退いた。
「別に」
「え?」
「邪魔やなんて言うてませんわ。"何が"言うとるんです」
なんだこの無礼な男は。やたらと整った顔立ちをしているが、その表情は冷淡だった。
「……別に、貴方に言って聞かせるほどのことじゃありませんわ」
私も機嫌が悪かった。こんな気分の中で見ず知らずの人間に愛想を振りまきながら話せる気はしなかったし、体が拒絶していた。
「あんたのせいでどんだけここにいたと思ってるんです、ただでさえこの雨で帰れんのに。あんたが話しててくれれば……ええ暇つぶしになるやろ」
訳のわからない男である。さっきから初対面の私に対して不可解な言動が多すぎる。最近は戦争のせいでおかしくなった国民も多いというが、果たしてその部類の人間なのだろうか。
「初対面の私のことなんて、あなたが聞いてもこれっぽっちも面白くもないわ。というか、あなた人に話しかけておいて名乗りもしないなんて、相当な無礼だと思わなくて?」
「あぁ」
男は私の言葉に思い出したように学生帽を取った。その動作はあまりにも自信に満ち溢れて、まるで、あの寒い日にお国のためにと旅立って、いまだ顔の見ぬお兄様のようであった。
「財前光です、こんなんでも学生やっとります。よろしゅう」
そう言った男に、私の目は奪われてしまった。綺麗な顔立ちの男だった。学生と言うことなのだから、歳は同じかそれくらいなのだろう。心臓が、どくんと脈打った。
「……っ、あら、学生なんて随分御身分が高いこと。戦の真っただ中に本だけ読んでいるだけで、さぞ楽しいでしょうね」
「それはすんません。それが仕事なんで。それで」
「“大嫌い”の話、してもらってもええですか?」
どくんどくんと止まらない左胸の鼓動は、兵隊さんの行進の如く。
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