準備

シルバーが左手首に巻いていた包帯を解くと、その左腕を真横に上げた。
グッと拳を握ると、傷口から血が不気味に落ちた。
目の裏に痛々しく焼き付いて消えない光景。
嫌だ、これ以上見たくない。
自分の意思に反して目を瞑れないのは何故だろう。
すると映像が掻き混ぜられるかのように歪み、視野が強制的に狭くなった。

“…っ?!”

一変した視野に混乱する。
此処はオーキド庭の芝生の上だ。
真上にある太陽が眩しい。
先程の光景は何処に行ったのだろうか。
そうだ、自分は昼寝をしていた筈だった。

“レア…じゃなくてジバコイル、大丈夫?”

“あ…ゲンガー…。”

ゲンガーは何かを頬張ると、ごくんと飲み込んだ。
レアコイルだったジバコイルはエーフィとのバトルで進化を遂げ、その身体は一回り大きくなった。
クロバットやマニューラにぴかぴかのUFOみたいでかっこいいと褒めて貰った。

“夢食い…?”

“ごめん、ほんとごめん…!”

何度も頭を下げられ、何故かジバコイルまで申し訳なく思ってしまった。
ゲンガーは時々夢を食べているし、その相手の体力を奪ってしまうのも知っている。
幸せな夢だと尚更美味しいのだという。
そして、夢を食べる時にその内容を覗く事も出来る。

“起きたら君が辛そうだったから本能的に思わず……ごめん。”

“そんなに謝らなくても大丈夫だよ。

君はお化けだし、夢を食べたくなるよね。”

“優しいね、ありがと…。”

“此方こそありがとう、嫌な夢だったから。”

ゲンガーはジバコイルから視線を逸らしそうになった。
ぴかぴかの身体には動揺している自分が映っている。

“その…夢の内容も見ちゃったんだ…。”

“あれはトキワの森で実際に見た光景なんだ。”

ジバコイルはゲンガーを一切責めようとしない。
寧ろ悪夢を見た後に話し相手になって貰えるのは有難いとさえ思っていた。
ゲンガーが依然として申し訳なさそうにしていると、ジバコイルがぽつぽつと話し始めた。

“あの光景が忘れられないんだ。”

恩人であるシルバーが死ぬかもしれなかった。
未だ嘗てあのような不安に駆られた経験はない。

“あんなの、もう嫌だ。”

血が大嫌いになった。
あのトキワの森で大量に見てしまったからだ。
シルバーやポケモンたちの血を思い出すと、鋼の身体にさえ鳥肌が立ちそうな錯覚がする。
だが小夜は予知夢で血飛沫や血溜まりを見たと言っていた。

“僕は…小夜の予知夢が現実になるのが怖い…。”

予知夢が現実となる日の一ヶ月前になれば、一旦この研究所を出る。
その話をシルバーから聴いた時、予知夢が一気に現実味を帯びてきた。
此処で温かい日々を過ごしていると、本当に予知夢が現実になるのか疑問に思う程だ。
その矢先に、先程の夢にあの光景が出てきた。

“俺だって怖いよ。

口に出さないだけで、皆がそう思ってる。”

四ヶ月後に何かが待ち受けている。
だからこそ、皆が必死に修行をする。
たった今も、修行組のポケモンたちが遠くでバトルレコーダーをチェックしている。
クロバットがエーフィのアドバイスをふむふむと聴いている。

“ゲンガーも怖いの…?”

“勿論さ、君だけじゃないよ。”

“僕は気が弱いから、僕ばっかりが怖いのかと思ってた…。”

皆がどーんと待ち構えているのかと思えば、そうではないらしい。
ゲンガーはふわふわと浮遊しながらニッと笑ってみせた。

“君はもう独りじゃないんだ。”

元主人から身体に傷を付けられていた頃は、ずっと独りぼっちだった。
ジバコイルは目が潤んだが、泣きそうになるのを堪えた。
最終進化させて貰ったのだから、泣き虫という特性から卒業したい。

“ありがとう、ゲンガー。”

“いえいえ、どういたしまして。

それよりさ、何事もなく進化出来て良かったね!”

あの跡地はゴーストタイプの俺には中々刺激的だった、とゲンガーは続けた。
敢えて話を変えてくれた優しさに触れたジバコイルは笑顔になった。

そうだ、独りぼっちじゃない。
皆と一緒なんだ。
前を向いて、しっかり進もう。





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