開始-2
オーキド博士の自室を箒で掃いていたケンジは、大量の試験管やフラスコと睨み合うオーキド博士の背中を一瞥した。
広い机の上は大量のメモ書きをしてある紙が散乱している。
「博士。」
「何かな?」
オーキド博士は何やら青い液体の入った三角フラスコを左右に細かく振っている。
だが耳はきちんとケンジに傾いていた。
「博士はシゲル君には厳しいんですね。」
「君がそう思うなら、そうかもしれん。」
オーキド博士はケンジの目を見て微笑むと、何かをメモした。
そしてデスクトップの電源を入れ、メールを開いた。
其処には古代文字に関する内容のメールが届いていた。
「……。」
オーキド博士は眉を寄せてからそれをすぐに閉じた。
ゴミ袋に紙屑を突っ込んでいたケンジは、オーキド博士の背中を改めて見た。
オーキド博士はケンジに何も悟られないよう、何時も通りの表情に戻っていた。
そしてシゲルではなく小夜の話を口にした。
「小夜は昔から物欲が少ない子じゃった。
君が見た通り、小夜の部屋には物が少ない。」
「確かに、小夜さんの部屋は凄く広いのに、あんまり物がないですよね。」
ボーマンダでも悠々と寛げる広さの空間には、必要最低限の物しかない。
小夜がシンプルを好むのはケンジも知っているが、それにしては家具がなさすぎる部屋だ。
最近になってやっとソファーやテーブルを置いたくらいだ。
それもオーキド博士が勧めたからだった。
「小夜がこの研究所に来た時、今までニューアイランドに拘束されていた分を甘やかしてやりたかった。
だが小夜はそれを断った。
その分がシゲルに流れてしまったのかのう?」
オーキド博士は柔らかく笑った。
独り言のように話し続ける。
「シゲルにはずっと甘やかしていた分、今は厳しくしておるのかもしれん。」
「シゲル君はいきなりでびっくりしたかもしれませんね。」
今までのオーキド博士の対応と一転して変われば、驚いてしまうだろう。
初めての一人旅をするシゲルは動揺したに違いない。
すると何やら騒々しい音がして、ケンジは窓の外を覗いた。
そしてはっとして声を上げた。
「博士、見て下さい!」
「?」
ケンジが窓の外を指差した。
オーキド博士は椅子から立ち上がって外を覗くと、水タイプ同士が対峙しているのが見えた。
其々の後方にはシルバーとシゲルがいる。
「あれはシルバーのオーダイルですね。
相手のカメックスは…。」
「シゲルのポケモンじゃな。」
小夜が審判の位置に立ち、二人のポケモンたちとゴーストがバトル前の一時を見守っている。
小夜の背中は何処か寂しそうだ。
オーキド博士はシゲルとシルバーがバトルをする事を分かっていた。
このバトルはきっとシゲルを大きく成長させる事だろう。
すると小夜が振り向き、此方を見上げてきた。
「小夜さん、此方に気付きましたね。」
「小夜は視線に敏感じゃからのう。」
小夜、君は静かに見守ってやるんじゃよ。
オーキド博士の心の声が小夜に聴こえたのか、小夜は緩く微笑んで頷いた。
やはりその表情には不安があった。
するとシルバーとシゲルも二階を見上げた。
「あ、二人も気付きましたね。」
「……。」
オーキド博士は腕を組み、先ずはシゲルの目を見た。
シゲルは強い視線を返したが、すぐに前を向いた。
次にオーキド博士がシルバーを見ると、意外にも無表情だった。
それでもその目には確固たる決意があった。
二人の様子を見ていると、ただの真剣勝負ではなさそうだ。
ケンジは迷いなく窓を開け、ベランダへと出た。
すると、小夜が静かに言った。
『只今より、シルバー対シゲルのバトルを開始します。
使用ポケモンは一体。
何方かが戦闘不能になればバトル終了です。』
オーキド博士とケンジの視線を物ともせず、シルバーとケンジはバトルの態勢に入った。
普段なら全力で声を上げて応援するシルバーのポケモンたちは、張り詰めた空気を感じて口を閉ざしていた。
その中に混じっているゴーストは、胸が煩い程に騒めいていた。
小夜は一度だけ瞳を閉じ、そっと開けた。
『バトル開始!』
2015.12.7
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