夜-3
新月の夜。
月が空に姿を見せない暗闇の中、小夜はオーキド研究所の広大な庭へと脚を運んだ。
今日仲間になったばかりのハガネールは、この庭へ来るのも初めてだ。
心配になった小夜は森のような庭を、気配を殺しながら進んだ。
『…見つけた…。』
遠くからでも分かるその巨体は、空を見上げていた。
その傍には庭を住処とするイワークやイシツブテが眠っている。
如何やらハガネールは上手くやっているようだ。
小夜は暫くその姿を見守るように遠くから眺めてから、その場を後にした。
次に小夜が向かった先は、一階の大きなベランダに隣接している開けた芝生だった。
昼間も寝転んだ其処に再度寝転んだ。
月がない空には星が一杯に瞬いている。
月明かりで普段は見られない星の光が、此処に届いていた。
『――バショウ。』
名を呟いてみる。
バショウがいるであろう夜空へと手を伸ばす。
彼に触れていたこの手はもう届かない。
寂しいですね――
そんな台詞が今にも聴こえてきそうだ。
今後、如何生活していこうか。
此処でオーキド博士に尽くすのも悪くないが、バショウがくれた自由を無駄には出来ない。
やはり、旅に出よう。
バショウと共に見る筈だった未知の世界を沢山見てみたい。
共に旅をするという約束は果たせなかったが、バショウの分も様々な世界をこの目で直接見てみたかった。
ふと親しみ馴れた気配を感知した小夜は、上半身を起こして振り向いた。
『シルバー?』
「よぉ。」
一階のベランダからシルバーが現れた。
『眠れないの?』
「いや、目が覚めたらお前がいなかったから気になった。」
シルバーは小夜の隣に、肩が触れ合いそうな程の距離で腰を下ろした。
すると小夜が何の拍子もなくシルバーの左手をそっと握り、シルバーの心臓が飛び跳ねた。
「な…?!」
『シルバー、怪我してるでしょう。』
「は?」
小夜が無表情でシルバーの掌を広げると、爪の跡がくっきりと五つ残っていた。
サカキと会話の際、悔しさで拳を握り過ぎて作ってしまった傷だった。
『私の肩に少しだけ血痕が残ってた。
それで気付いたの。』
シルバーはこの傷を作った直後に小夜の肩を無性に掴んでいた。
その時に付着した血痕だった。
「別にこの程度なら痛くない。」
『シャンプーの時にシルバーが痛そうだったってアリゲイツから聴いた。』
「…あの野郎、喋ったな。」
シルバーはこのような傷を小夜に知られたくなかった。
悔しさで作った傷など、恥でしかなかった。
小夜はその手を両手で上下から重ねた。
上に重ねた手が徐々に青い光を纏い、小夜の能力を見慣れていたシルバーは癒しの波導だと悟った。
だが、その光はすぐに消えてしまった。
『……え?』
「?」
小夜は瞳を閉じ、再度掌に集中した。
青い光はほんのりと掌を纏うも、先程と同じように小夜の意思に反して消滅してしまった。
『…嘘…。』
「何だ?」
『癒しの波導が使えない…。』
小夜は動揺で瞳を揺らしながら、自分の掌を見つめた。
まさかと思い、小夜は立ち上がった。
掌を向かい合わせてシャドーボールを打つ構えをし、また再び集中する。
だが黒い光は極微量しか現れず、瞬く間に消滅した。
『技が…出ない。』
小夜は身体の力が抜け、ガクッと跪いた。
動揺する小夜の隣で、唖然としながら腰を下ろしていたシルバーは、崩れ落ちる小夜を咄嗟に支えた。
小夜はハガネールのボールを透視した際、能力を拒むような何かが働いた気がした。
それは気のせいではなかったのだ。
シルバーは小夜を慰めるかのように言った。
「心配するな。
精神状態に比例しているんだろう。」
『精神、状態…?』
「お前は疲れているんだ。
ミュウツーも言っていたが、今は休め。」
放心状態の小夜は、シルバーの肩に顔を押し当てた。
『何かあった時に皆を守れないよ…。』
「お前はもうロケット団から解放された。
何かあるなんて事は今後滅多にない。」
片脚を立てる体勢のシルバーは、力なく座り込む小夜の華奢な背中を宥めるように擦った。
自分の命令を聴かない小夜の身体は虚脱感で一杯になったが、確かにシルバーの言う通りだ。
ロケット団から解放された今、ピュアーズロックで経験したような戦闘は滅多にないだろう。
それに野生のポケモンとの戦闘はエーフィたちが対処してくれる。
エーフィはその特性により、そんじょ其処らのポケモンよりも防衛能力が卓越して秀でている。
『きっと…戻るよね。』
「ああ、大丈夫だ。」
ただ、少し時間がかかるかもしれない。
そう思ったシルバーだが、敢えて口には出さなかった。
小夜が技を出せなくなったのは、バショウの死による精神的ショックによるものだろう。
シルバーは放心状態の小夜をずっと抱き締めていた。
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