委託と解放-3
『皆、洗濯してたのね。』
小夜が数日此処で生活するだろうと予想したエーフィたち三匹は、以前使用していたカーペットやエーフィ用の丸型ベッドなどを天日干しする為、庭の物干し竿に吊るしていた。
戯れついてくるエーフィとバクフーンを撫でながら、小夜は透き通った空を見上げた。
そして、静かに呟いた。
『バショウが死んだ実感がないの。』
バクフーンは天を仰ぐ小夜をやんわりと抱き締めた。
体温の高いバクフーンの身体は心地良い。
『何日かすればネンドールで手紙を送ってくるんじゃないか、って思ってしまうの。』
フラッシュバックのように思い出される飛行船爆発の瞬間。
バショウの気配は不自然にぷつりと消え失せた。
小夜は自分より背の高いバクフーンの背中に腕を回した。
『ありがとう。
皆のお陰で、解放されたよ。』
もう逃げるように生活しなくてもいい。
十年に渡って縛り付けてきたロケット団から解放されたのだ。
『それなのに……如何してこんなに哀しいのかな。』
バクフーンの温かい腕の中で、人間の涙の限界はどれくらいなのだろう、と小夜は疑問に思った。
自分は人間とポケモンの混血だ。
ひょっとしたら人間の限界を超してしまうかもしれない。
コントロール出来ない涙が、紫の瞳から溢れた。
『バショウが見たら、泣き過ぎですよって言うのかな。』
エーフィが涙を浮かべながら小夜の脚に擦り寄り、ボーマンダは小夜の肩に顔を擦り付けた。
バクフーンが小夜の頭上で囁いた。
“今もきっと小夜の事を見ているよ。”
『そうなのかな。』
バショウ、少しだけ許して欲しいな。
この涙を――。
三匹の優しさに包まれながら、小夜は涙が止まらなかった。
一方、シルバーは小夜に声を掛けられなかった。
姿を隠しながら研究所の壁に凭れ、暫く空を見上げていた。
「あの馬鹿野郎、くたばるんじゃねぇよ。」
空にいるであろう彼に非難の言葉を飛ばした時、脚元に何かの気配を感じた。
「!」
其処には何時の間にかエーフィがいた。
エーフィはシルバーのズボンの裾を噛み、早く来るように催促した。
「悪い。
話し掛け辛かったんだ。」
シルバーはエーフィを追った。
小夜は手入れされた芝生の上に、後頭部で手を組みながら寝転んでいた。
『シルバー、ごめんね。
気を遣わせちゃって。』
「別にいい。」
小夜はシルバーが近くまで来ているのを気配で感知していた。
シルバー自身も、気配を感知されているのを前提に身を隠していた。
シルバーは小夜の隣に少し距離を置いて腰を下ろした。
垣間見た小夜の瞳は腫れていた。
『空が綺麗。』
小夜の囁きに、シルバーは再度空を見上げた。
此方を照りつける暑い太陽。
ゆったりと流れる白い雲。
何時もと同じ景色の筈なのに、全く別物のように見えた。
小夜はそっと胸ポケットに手を入れ、モンスターボールを一つ取り出した。
そのボールが初見であるエーフィたち三匹は、それに注目した。
『バショウが私に託したの。』
小夜は上半身を起こした。
そして真剣な眼差しでエーフィとボーマンダを見つめた。
『エーフィとボーマンダは分かるかもしれない。
六年前、スイクンと一緒に闘った時にバショウが使っていたイワークを覚えてる?』
ボーマンダは頭を捻り、微かに脳内に存在するあやふやな記憶を掘り出した。
鮮明に記憶にあるエーフィはしっかりと頷いた。
六年前のロケット団との戦闘で、ボーマンダはタツベイの姿でイワークに対抗した記憶がある。
小夜もイワークに拳を叩き付けたりシャドーボールを至近距離で放ったりと、複数回攻撃している。
もしかしたら警戒されてしまうかもしれない。
小夜はゆっくりと立ち上がると、そのボールを放った。
突如現れた長い影、巨大で剛健な鋼の身体。
「でかい…!」
シルバーは目を丸くしてそのポケモンを見上げた。
十mはある巨体を現した雄のハガネールは、視線を小夜へと真っ直ぐに注いだ。
小夜もハガネールを見上げ、見つめ返した。
『ハガネール。
私は小夜。
バショウから聴いてる?』
気持ちが消沈しているハガネールは無言で頷いた。
『彼は、死んだ。』
小夜のストレートな発言に、ハガネールは目を伏せた。
その様子に小夜は瞳を潤ませ、ハガネールに両手を伸ばした。
『おいで。』
今にも泣き出しそうな小夜の微笑みに、ハガネールは抗う事なく巨大な頭を小夜へ近付ける。
小夜の手に触れた時、大きな顎を撫でられた。
『辛いね。』
それを見ていられなくなったエーフィは、小夜から顔を逸らして目を瞑った。
少しでも油断すれば、泣いてしまいそうだ。
『バショウから何を聴いてる?』
ハガネールは小夜に触れられながら暫し沈黙を守っていたが、口から低音を発した。
“主人が死ぬ事、そして主人が愛したトレーナーに私を託すと聴いている。”
小夜は粛然とした声から発せられた言葉に瞳を見開いた。
主人が愛したトレーナー。
バショウが愛したのはただ一人、小夜だ。
ハガネールはバショウが小夜を愛していた事を、イワークだった当時から知っている。
小夜がスイクンと共にバショウとロケット団員三人と対峙した際に、エーフィによって気絶させられた団員を飛行船へと運んだのはイワークだったハガネールだ。
その間にバショウは小夜を抱き締め、頬に唇を落としていた。
『貴方は自由よ。
何処に行ってもいい。』
小夜はこのハガネールにバショウの面影を見た。
話し方、一人称。
ポケモンは主人に似るとはこの事だ。
ハガネールは迷いなく、だが慎重に言葉を紡いだ。
“もし貴女に差し支えがなければ、貴女を主人として迎えさせて欲しい。”
『勿論。』
エーフィたち三匹が歓迎するように鳴いた。
また雄だ、とエーフィは密かに思った。
だがしっかりと育てられているこのハガネールを見て、自分たちの足手纏いにはならないだろうと頭の片隅で安心していた。
「なぁ、通訳しろよ。」
『差し支えなければ私の手持ちになりたいって。
勿論歓迎したよ。』
「そうか。」
『ハガネール、宜しくね。』
小夜がハガネールの鼻を掻いてやると、ハガネールは擽ったそうに笑った。
ハガネールはバショウから小夜へ託された。
もう一匹、バショウの手持ちであるネンドールの居場所を一刻も早く突き止めなければ。
2013.2.21
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