惹かれる心-2
ウツギ研究所でシャワーを借りたシルバーは、薄暗い廊下を進んでいた。
小夜とシルバーはウツギ博士から研究員専用の小部屋を借りた。
嵐が治まりそうにない今夜は、此処へ泊まらせて貰う事になった。
その小部屋は敷布団が二つ並んで一杯になる程の大きさしかない畳の部屋で、何か物が置いてある訳でもない殺風景な空間だった。
だがこ此処しか空きがなかった為、小夜と共同で借りる事になった。
宿泊部屋を提供してくれるだけでも、二人には充分に有難かった。
Tシャツと長ズボン姿のシルバーは廊下を進みながら、肩まである赤髪をバスタオルでがしがしと拭いた。
一先ず泥だらけになった小夜とウツギ博士がシャワーを浴び、雨水しか被っていないシルバーの順番は最後だった。
手首に装着しているポケナビを一瞥すると、夜の十一時を示していた。
昼から結界を長時間張り続けたエーフィや、猛スピードで飛行したボーマンダは、ウツギ研究所の回復機によって体力を回復した。
現在、ポケモンたちは全員がモンスターボールの中で待機している。
シルバーが目的地である部屋の扉を開けるも、いる筈の小夜の姿がなかった。
シルバーは既に敷いてあった敷布団の上に腰を下ろした。
強風によってシャッターがカタカタと不気味な音を鳴らしている。
外から聞こえてくる落雷や豪雨の不吉な音が、外へ出るなと警告している。
夕飯を摂っていないシルバーは、リュックからパンとミネラルウォーターを取り出した。
手持ちポケモンたちにはシャワーの待ち時間に食事を与えてある。
一方のウツギ博士からは全く音沙汰がない。
ウツギ博士はきっとあの雷に腰を抜かしてしまい、自室で気絶しているのだろう。
「小夜の奴、遅い。」
パンをかじり終わったシルバーは腰を上げ、中々戻ってこない小夜を探しに行こうと部屋を出た。
オーキド研究所程は長くはない廊下へ出ると、心当たりのある場所へと脚を進めた。
ボーマンダが研究所へ飛び込んだ際のあの部屋だ。
飛行の衝撃波で本棚がめちゃくちゃになり、窓ガラスまで割れてしまった。
小夜の事だから、一人で整理しに行っているのかもしれない。
方向は此方でいいのかと迷いながら薄暗い研究所を歩いていると、扉が僅かに開いている部屋があった。
その隙間から電気の光が漏れている。
その扉を慎重に開けてみると、散乱している本に囲まれている小夜の姿があった。
一人でパイプ椅子に腰掛けてシルバーに背を向け、何やら資料を読んでいるようだ。
小夜はシャワー上がりの格好をしていた。
一人で片付けたのか、既に資料は分別され、小夜の前にある小さな机の上に置かれていた。
資料は冊子体ではなく、クリップで留められている。
これを一人で元通りに分別するのは、さぞ大変だった事だろう。
部屋の中央には大きなベージュの四人掛けソファーと机があったが、その上にも本が散乱している。
小夜は部屋の片隅にある小さな作業用デスクと椅子を使用していた。
「やっぱり此処にいたのか。」
小夜は膝の上で資料を持ったまま椅子の背凭れに背中を預け、返事もしなければ動きもしない。
「おい、何して――」
シルバーは小夜の前にあった机に手を突いて小夜の顔を覗き込むと、すぐに閉口した。
資料を熟読しているかと思われた小夜は瞳を閉じて眠っていた。
器用に寝る奴だなと感服したシルバーは、小夜の肩を揺すった。
「小夜、起きろ。
こんな処で寝るな。」
『…うー。』
シルバーは小声で唸った小夜が手に持つ資料を引っ手繰り、机に置いてある資料の山の上に置いた。
「起きろって。」
シルバーが幾ら揺すっても、小夜が目を覚ます様子はない。
シルバーは諦めた。
小夜が中々起きないのは承知しているし、起きたとしても寝惚けるのが目に見えている。
「ったく。」
シルバーは小夜の膝裏と肩に腕を回すと、華奢な身体を抱き上げた。
今まで何度もおぶってきたが、重いと思った事は一度もない。
小夜は頭と腕をだらりとぶら下げる事なく、シルバーの首に腕を回してぎゅっと抱き着いた。
言うまでもなく、シルバーの頬は赤く染まった。
小夜がしっかりと掴まってくれる為、片手が自由になり、シルバーからすれば好都合だった。
空いた片手で電気を消して扉を閉め、借りている部屋まで小夜を運んだ。
本当に眠っているのか疑問になる程に強く抱き着いてくる小夜は、シルバーの肩に顔を埋めている。
『エーフィ、無理…させて、ごめ…。』
「寝言でも気遣いかよ。」
確かにエーフィには無理をさせてしまった。
落雷が続く中、エーフィは強靭な結界を絶え間なく張り続けた。
エーフィの結界は驚く程の防御力を誇るが、長時間の使用には大量の体力を消費する。
小夜は以前そう説明していた。
この研究所へ到着する頃には、エーフィは体力の限界を超過し、ボーマンダが着陸したと同時に意識を失ってしまった。
自分の能力に制限がなければ、エーフィの手を煩わせる事はなかったのに。
小夜は悔しそうにそう呟いていた。
シルバーは小部屋の扉を開け、二つある敷布団の片方に小夜を下ろした。
だが小夜はシルバーにしがみ付く腕を解こうとしない。
シルバーは前のめりに突っ伏しそうになるのを片膝で堪えた。
だが首にがっしりと掴まって離さない小夜の上に倒れ込んでしまいそうだった。
「小夜、着いたから離してもいいぜ。
いいや、離してくれ。」
小夜の長髪からシャンプー後の甘い香りがする。
ポケモンたちは現在ボールの中だ。
がみがみ言うエーフィも、ちょっかいを掛けてくるアリゲイツやバクフーンもいない。
シルバーは心臓の鼓動が大きくなり、息が詰まりそうになった。
シャッターが強風に叩かれる怪しい音でさえも、シルバーの理性を揺さ振った。
腕に一層力を込めた小夜に身体をぐっと引かれ、シルバーはついに小夜の上に倒れ込んでしまった。
「っ、お前な…!」
小夜の寝惚けっぷりには目を見張るものがある。
寝惚けている最中に何をしたのか、小夜本人が全く覚えていないのも可笑しな話だ。
今は寝惚けているというより、寝相なのかもしれない。
「どうせ今こうしている事も、後になったら覚えてねぇんだろ。」
不貞腐れたシルバーは小夜の背に腕を回し、優しく抱き締めた。
こうやって抱き締めると、小夜の華奢さが顕著になる。
この華奢な身体に全体重を掛けてしまっていると思うと不安になり、シルバーは小夜を抱き締めたままで横に倒れ込んだ。
二人の身体は布団に沈み込み、小夜に体重は掛からなくなった。
小夜がシルバーを引き寄せている為にお互いの顔は接近し、小夜の心地良さそうな寝息がシルバーの口元に掛かった。
「起きた時にどんな反応をするのか、楽しみだな。」
シルバーは小夜の極め細やかな頬に唇を落とした。
艶のある紫の長髪を撫でながら、すぐ目先にいる想い人を見つめた。
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