鈴の波導-2
“!”
ボーマンダは目を閉じたまま、反射的に素早く長い首を持ち上げた。
気のせいだろうか、何か聴こえた気がした。
重たい瞼を開けると、主人のベッドが空になっている。
僅かに開いた窓から風が吹き込んでいる。
ボーマンダが大きな身体で立ち上がると、ボーマンダに乗って眠っていたニドリーノが落下した。
向日葵柄のカーテンを口で開け、窓が解錠されているのを確認した。
小夜は此処から出掛ける際には必ず施錠していくが、今の小夜は念力が使えない。
解錠されたままでも可笑しくはない。
ボーマンダは数回翼を羽ばたかせると、何かに引き寄せられるように其処から飛び立った。
ニドリーノの落下によって踏み潰されたバクフーンは、ふと目を覚ました。
一方のニドリーノは熟睡していて目を覚まさない。
まだ回転が遅いバクフーンの頭に、小夜とボーマンダが姿を消していると伝達される。
寝起きながらも不審に思い、カーペットの隣に敷布団を敷いて眠っているシルバーの肩を腕で揺らした。
「…何だよ…。」
“起きろよ、ツンデレ…。”
バクフーンはそう言ったが、シルバーには何を言っているのか理解出来る筈がない。
シルバーは少々唸ると、重そうに上半身を起こした。
「小夜の奴……またいないのかよ。」
頭が回転しないシルバーを他所に、バクフーンは次にエーフィを揺すった。
自分用のベッドで丸くなるエーフィは大きな耳を小刻みに動かしてから顔を上げた。
“小夜とボーマンダがいない。”
眠気満載でそう言うバクフーンに、エーフィは一気に顔を顰めた。
エーフィとバクフーンが窓から外を覗くと、太陽により明るくなった空が目に入った。
「あの野郎、また無断で何処に行きやがった?」
シルバーはのろのろと窓の傍に移動すると、二匹と同じように外を見つめた。
すると、ほんの小さな点程の大きさで何かが飛んでいるのが見えた。
青い身体に赤い翼のポケモン。
それは高速で大きくなっていく。
その背に乗っている主人とポケモンが垣間見えた瞬間、エーフィが叫んだ。
“皆横に避けて!!”
エーフィが素早く念力を発動した。
カーペットと敷布団、そしてポケモンたちとシルバーを左右へ退けるように動かし、荒々しくも中央にスペースを作った。
入室してくるであろうポケモンの邪魔にならないよう、エーフィとバクフーンが腕で窓を部屋の内側へ引いた。
その瞬間、ボーマンダが物凄い勢いで一直線に部屋へと飛び込んだ。
その衝撃波で誰もが吹き飛ばされた。
ポケモンたちは飛び起き、シルバーは壁に後頭部を強打した。
「いてぇ…何だよ…!」
ボーマンダは急ブレーキを掛けて部屋の中央に着地した。
その背には小夜と見知ったポケモンの姿があった。
「ネンドール…?!」
ネンドールを床に下ろした小夜は、真っ先にシルバーの襟首に突っ掛かった。
その勢いにシルバーはうっと声を漏らしたが、小夜の身体を見てすぐに眉を寄せた。
「お前…傷だらけじゃねぇかよ!」
小夜の身体には移動の際に出来た小さな傷が沢山ついていた。
だがそんな事を気にしていられない小夜は、即座に言い放った。
『シルバー、異常な状態異常回復の何か持ってないの!?』
寝起きのシルバーは少しだけ理解が遅れた。
早口言葉のような小夜の台詞に、リュックの中身を思い出した。
「…何を言っているんだ?
なんでもなおしならあるが…。」
『駄目なの、それじゃ治らない。』
「?」
小夜はシルバーの服を離し、目を閉じているネンドールに寄り添った。
『普通の毒じゃない。
何か人工的に作られた毒を盛られてる。
私が癒しの波導を使えたら…。』
小夜の癒しの波導は体力回復や怪我の修復だけでなく、状態異常回復など特殊な異変にも効果を発揮する。
それが現在使用不可能なのだ。
『このままじゃ死んじゃう…。』
此処でエーフィがはっとした。
エーフィは小夜の作業用デスクに飛び乗ると、其処に置いてあった小型バッグに顔を突っ込み、あの鈴の紐を咥えた。
そして小夜の隣に着地すると、首を左右に振った。
だが、小夜が瀕死だった時のように音色は出なかった。
『その鈴は…。』
癒しの鈴
旅立つ小夜にオーキド博士がプレゼントした効果不詳の白い鈴だ。
エーフィは悔しそうに小夜の顔を見上げると、小夜に鈴を差し出した。
小夜は鈴を受け取り、その紐を持った。
『お願い、助けて。』
バショウが残したポケモンを救いたい。
小夜は祈るような気持ちで手を優しく左右に振った。
―――チリーン…
その鈴は透明な音を鳴らし、鈴を中心に白い波導が何層も放出された。
その場にいる誰もが、その美しい波導に目を見張った。
エーフィが鳴らした時とは比べ物にならない量の波導が放出され、部屋を純白に染めた。
小夜が鈴を振るのを止めると、波導の発生も止まった。
『…嘘。』
今まで一度足りとも鳴らなかったのに。
小夜が唖然としていると、身体を横たえていたネンドールが全ての目を開いて浮遊した。
ネンドールの身体からは、人工的な毒による状態異常は嘘のように消え失せていた。
『良かった…。』
小夜は一気に脱力して後方に身体が傾いたと思うと、作業用デスクの角で後頭部を強打し、お決まりの悶絶をした。
『うぐ…いたあ!』
「何してんだよ。」
悶絶する姿まで可愛いと思ってしまったシルバーは、小夜の身体の傷が全て消えている事に気付いた。
如何やらあの鈴には強力な治癒能力が備わっているらしい。
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